住職のひとり言

住職の人生相談
住職のひとり言は、日々感じたことを書かせて頂いています。
生きる力、苦しみを乗り越える力を身に付け、自分も人もいろんな思いをして生きている事に気付き、思いやりやいたわりの心をもって仲良く幸せに人生を過ごして頂きたく書いています。少しでも皆様の生きる力になれば幸いです。更新されていないときはsosyoudaiji.comのHPをご覧ください。合掌

2017.2.13息子より 先週は早く感じた。当山は檀家寺ではないのにとにかく葬儀の連続であった。北九州のある寺の住職の葬儀、当山の檀家の葬儀、当山の老僧の葬儀とめまぐるしかった。だからブログまで手が届かなかった。今日、少し余裕ができたので書いている。中でも当山の老僧のが一番比重がある。老僧は私の父でもあり、戦中戦後を生き抜いて来た男でもある。それだけに私の心の中の羅針盤でもあったと思う。父親と息子といっても男という点は同じ。色んな手続きや諸々の雑務の中にも色々と思い出す事があり、そのたびに目頭が熱くなる。幼少の頃”男がすぐ泣くな”や高校時代の先輩が”男は親が死んだ時以外はなくなよ”との言葉の影響もあってか泣く事を我慢してたのか親父の事を人に話してると泣き声になって喋ってる自分に気がつく。”親父さんあんたが死んだ時くらい泣いていいだろう。男親がいなくなった時くらい同じ男だからいいだろうと”つぶやきながらの私である。施設で7年間世話になってた親父。帰る時、必ず親父の手を握って帰ってた。いつまでこのひとの顔がみれるだろうかと思えばである。その手でどつかれた事も何度もある。悔しく、恐ろしく、憎たらしくもあった。反対にその手でしっかり支えてもらった事もあった。親父の同級生の友達の手とは感触が違う手 それは世界に一つしかない私の親父の手 もうその手に巡り合う事はない そして私には”お父さん”と呼べる人はいなくなった。私の家内の父親は私の親父より4歳若かったが8年前81年の人生に幕を閉じた。義理の親父にもっと生きてほしかった。でもそれも人の定め。親父さん”いいことも悪いことも教えてくれてありがとう 男の優しさを教えてくれてありがとう あなたは辛い人生をしっかり生き抜きました 93年と1ヶ月の人生お疲れ様でした 大日如来のもとを目ざして旅立って下さい” (あなたの息子より)合掌

 

2017,2,2 十夜が橋 

四国の大洲インターのすぐ真下に番外札所十夜が橋がある。その地で弘法大師が修行の折、一晩の宿を願った所、断る人ばかりであった。跡からその地の人々は、明日食べるものにも事欠く生活をしてた事で大師は仕方なくある橋の下で一夜を明かしたとの事。その地の人達の苦しみを思うと一晩休む事すらできず、一晩が十晩くらいに感じられた事からそこに寺が建立され十夜が橋と言われるようになったとの事。お大師様が民衆に対しての深い思いがこめられている場所でもある。その時、読まれた歌は今朝の一口法話に書いていました。このような事から四国遍路の時は、橋の上では杖をつかない事になりました。いつも私達の為走り回られてるお大師さまにゆっくり休んでいただきたいとのお大師様にたいしての思いやりの心でもある。ありがとうございます。弘法大師様  合掌 [#qd034416]

2017.2.1  星祭 

先月最後の日曜29日 当山の星祭であった。天気が少し思わしくなかったが何とか盛大に終える事ができたことに心より感謝である。思い起こすと年末から星祭の案内はもとから正月行事の案内、会報の発行に向けた準備、正月の準備など慌ただしい中を星祭の御札の事を考えながらの1ヶ月。過ぎてしまえばあっという間である。毎年の事ながら大忙しの月でもある。このような忙しい中を私達の先祖は、新年を迎えるための準備をしてきた事を思うとその心に頭が下がる。と同時に私達世代が次世代に過ぎゆく年に感謝し、新しく迎える年を快く迎える事を伝えて行く義務を感じる。自分達の親がよく口にしてた言葉、態度を今、自分が口にしたり、行動してたりする。こうして人は年を重ねるのかと最近、感じるようになった。今年は、まだあると思ってた時間は勿論、事柄もすぐ目の前に現れるので、心していきたく感じている。今までの対応とは別な対応が迫られてる事も感じる。今、思った事や感じた事は実行に移すように心がけたい。そこから新たな発見が生まれ、自分の人生がプラスの人生になるように精進するのみである。 [#v91eb1f5]

2017.1.21 寺子屋 

 今年始めてのよしき先生ギャラリーでの寺子屋 講師は飯塚市の教育委員会のかたでもと小学校の校長をしたあった女性。彼女は、現在の飯塚市の教育の取り組みや小学校の児童の虐待やいじめの問題に対しての様々な取り組みなどを熱心に話していた。その講演の最後のはなしで”うさぎとかめ”の話で結果的にうさぎはかめに負けたのはご存知であろう。うさぎがかめがのろいから自分には勝てないと甘く見て、少しくらい休んでも大丈夫とたかを括ってた。反対にかめはのろいけど相手はうさぎだけでなく誰でもよかった。ただ、山の頂上のゴールに辿り着くのが目的であった。だから勝ち負けは頭になかったとの話。なるほど、物事諦めずにやりとおす事の意義を教えられた。私は、この話を聞き、自分を恥じた。何事も当たり前と思っていつの頃からか行動してた事。初心を忘れ自分流に考え、行動してる事などそのよういな積み重ねが自分を蝕んでいる事などである。今日は、そのために神仏やご先祖様が来週に迫った星祭の諸準備で忙しい中、私の心の浄化の為、寺子屋に行かせたのだなとも感じた。ある小学1年の生徒が”私がかめだったら寝ているウサギさんを起こして山の頂上までゆくのに”との話。この話からクルヨンしんちゃんでもこのような場面があった事やある整体師の息子が徒競走の時、最後の人間を待って共にゴールまで完走した事などが脳裏をよぎり、人の心の温もりを感じた。この1年生の心がそのまま育つことを祈る気持ちでいっぱいである。自分も原点に帰って歩く事であるとも感じた。ありがとうございました。 [#xcd49670]

2017.1.15息子

 先週の中頃、町内に住む信徒総代の奥さんが星まつりの申込書を持参した。久しぶりの対面で子供の話になった。彼女の次男は現在横浜の大手の企業の社員。ことしの春ごろ、現在の都と勤め先を辞め自分で会社を起こすとの事。両親もその息子の仕事を手伝う事になるとの事。頼もしい男になったと思った。学生時代は野球部の主将 町内の悪ガキは彼の一声で行動してたとの事。彼は幅広い心の持ち主だったようでそのような面が社会に出てプラスになってるようである。久々気持ちのいい話を聞いた。私の息子と同じくらいの年齢ではあるが、なかなか見どころのある男である。これから先が楽しみである。このような大きな人間になるように男を磨かなっくてはならない。改めて男の度量を教えてもらった気がした。うかうかはしてられない。常に精進 合掌 [#g578953c]

2017.1.8大工さん 

今日は月齢供養祭。終了後信者さん型とさん方とお時を頂き、雑談中来客。なんとこの本堂を始め、境内のかくお堂を建立した町内にすむ大工さん。新年の御札を求めにこられ、私は彼としばらく話した。彼は、15歳の時、ものづくりに興味を覚え、22歳から大工の見習いとして弟子入り、修行。50年の歳月が流れ今がある。その中で”私は笑顔で人に対応するのをモットーとしてる。笑顔でいれば人が来てくれ相談してくれる。それを真摯に聞き、実行すれば仕事になり、その方がお客さんになってくれる。私は、人と笑顔で対応することを楽しみにしている”との言葉。なんとプラスで前向きな人だろうと改めて感じた。そのような話を聞くとこちらも楽しくなってくる。この事がこの世を極楽浄土にする事にもなり、弘法大師の解かれる”密厳国土”の建設につながるとも思え、今の私に対して仏界からの説法にも感じられた。私の心の中のボルテージが上がってきそうな言葉でもある。ありがとうございました大工さん 又、話にきて下さい。 合掌 [#b96e3e73]

2017.1.4信徒総代

 今日の午後当山の信徒総代が、自分達夫婦と息子夫婦で新年の参拝にみえた。総代も80歳ついこの間まで若いと思ってたのがアッと言う間におじいさんである。彼も昨年病にかかり一時、生死をさまよったそうである。その体験も色々と語ってくれ、一昔の彼と比べると人間に丸みが出てきた。年を重ねるとはこのような事なのかと還暦過ぎのひよこの私には感じられた。彼は、経文を暗記してなくとも心で”南無阿弥陀仏”と唱える事。常に”ありがとうございます”と手を合わせる事が最近、多くなったと話していた。そして人生を楽しむことでもあると。良い年の重ね方の見本でもあると思えた。顔しかめても笑っても一日は同じ、一生も同じ。ならば笑い顔で人生を送ろう。良い人生に築きあげよう  合掌 

2017.1.3親、子、孫 

 今日夕方又、親父のとこへ行った。元旦は私と息子2人で行った。ふと脳裏をかすめた言葉に親から子、子から孫への言葉であった。元旦の初護摩で息子2人が助法してくれ、ふたりとも声は大きく聞いてて気持ちが良かった。ついこの間まで息子が座ってた場所に親父がいたのが、今はその姿はなし。その親父は今、ベットで横になり、満足に口も聞けない。そこには仏教でとく”諸行無常”の言葉の意味が感じられる。このようにして時が流れ、時代が変わって行く。だからこそ今、何ができるかを考え行動してゆく事が人生を充実したものにするとの思いを持ち、精進してゆかねばならないと感じた。 合掌 [#r0c5b908]
 

2017.元旦

 今日から新年の幕開けどんな年になるのか。今日は親父の誕生日93歳、すごい事である。糖尿病と付き合いをしながらの事だから半端ではない。夕方、法務を終え、私と息子2人とで親父のところへ行った。いよいよ食事を受け付けなくなったので鼻から栄養補給である。激動の時代を生き抜いた姿、色んな体験を続け、今という瞬間を生きてる姿。親父は何を思ってるのか、どうしたいのかなどに思いをめぐらした。人は死ぬまで修行というが、このような状態でも修行なのかと思うと厳しくやるせない。これも私達の先祖が体験したみち。今、親父がその道を歩こうとしている。私は、その姿をしっかりと見ときたい。いずれ自分も同じ道を歩く身だから。そう思うと今、やれる事を精一杯やることに思いがゆく。愚痴不満を口にする暇を別のプラスの方向へ向ける事の大切さを親父が教えてくれてるようにも感じた。できるだけ永く生きて下さい。もう少しあなたの顔を見ていたい。そしてあなたに話しかけたい。私の思いを伝えたい。 合掌 [#qc3f53a4]

2016.12.31夕日

 今日で2016年も終わり 変化の多かった年でもある。そのような年が暮れようとしている。皆新年を迎える準備で忙しい。私も同じく超忙しく、今年は余計に忙しさを感じる。昔、南蔵院の住職が、”初日の出を拝む事は、皆競い合って出かける。反面、大晦日の沈む夕日に手を合わす人は何人いるだろうか”との言葉が脳裏を過る。超忙しい中、夕方の5時20分の夕日に”今日一日ありがとうございました。今年一年ありがとうございました”と合掌し言葉を唱えた。お天道様もありがたい存在のひとつであると改めて感じた。 [#e9780e21]

2016.12.28懺悔

 今日は28日。真言宗寺院では今日が護摩の日であることは常識である。私も毎月28日は、護摩を修法させてもらっている。ふと今日28日護摩の終わった時点。これまでの人生を振り返ってみれば、自己のマイナス面ばかりが増えてくる。毎朝の修法。その時に必ず唱える十善戒 信者に守るように偉そうに言ってる本人が、守ってない現実。神仏からのお叱りは厳しい。やはり、人間だからといい片時も心に油断があるとその隙間から入ってくる”魔”。これは僧俗問わず平等にやってくるのではないかと思う。”魔”というとマイナス世界を代表するものと私は、思う。僧侶は、常日頃からそうならない為に修法があると思う。だから生きてる限り、我々は懺悔が必要に感じた。自分がきついなと思うときにこの”魔”たるものが我々の心を狙っているとも思えた。その怖さを感じる事は大切。でもそれにビビッては何の効果もない。一つ腹を大きく持ち、縁ある事柄に縁ある人との触れ合いに前向きに対応できる僧侶を目指して精進の必要があると感じた。 合掌 [#z767aec3]

2016.12.26食欲

 1週間前親父が床ずれが原因で今日発熱し、施設からその近くの病院に移った。今日病院から連絡があった。食事が喉を通らないので点滴をしてるとの事。夕方親父のところへ行った。担当の看護師に訪ねた所、5口ほど食べたあとは欲しがらなかったとの事。喉の筋肉も衰えて来てるのかと思うとやるせない。やはり、食欲とは大切だと感じた。そういう自分は昼食後に甘いのが欲しくなりどら焼きを2個たべた。食欲があることは喉の筋肉がしっかり働いてる証拠であると感じた。改めて食べれる事はどれだけありがたいか。恵まれてるか。幸せかと感じた。そのような働きをしてくれる事にありがとうございますと合掌した。 合掌 [#gb9267a2]
 

2016.12.22 お勤め

 昨日朝勤で護摩堂でお勤め中、護摩堂が完成するまでの事やその後の護摩行の事が脳裏を過ぎった。もう完成してから何座護摩を修法したろうか。その時は、大変でも過ぎてしまえば大した事でもない。十善戒の事を最近、信者さん方に説くようになった。人間、油断すればすぐ心に魔が入る。そうなれば善人だった人が突如として凶悪な人に変身してしまう。誠に恐ろしい事である。ヨーロッパの狼男を思い出す。この事も今述べた事と一致するようで心のあり方は、国境がないようである。このような人の心の状態を知って弘法大師様が、十善戒を重視されたのであろうと私は思う。高野山の大師教会の授戒道堂があり、参拝者が授戒を受けるのもお大師様の思いが表れている。僧侶とか在家とかに限らず生きてる人すべてにあてはまると思う。そこの先頭に立ち、信者を指導するのが僧侶である。その僧侶の一人の自分はどうあるかと思うと頭が痛い。何回護摩を修法しても滝にかかっても真の意味で心が清淨でないと神仏には通じないと思う。心の浄化の大切さを思い知らされたようにある。 合掌 [#x5cf5bc7]

2016.12.21 しまい弘法

 今日朝勤で大師堂でのお勤めの中で2日前の21日(終い弘法)先月縁あって当山にマンダラを奉納された兄弟が参拝にこられた。私も毎日、大師堂でお勤めさせていただく時に思い出す兄弟である。今年夏遷化された兄弟の母親がとても信仰心の厚い人で自宅でマンダラも拝んであったとの事。そのマンダラが粗末にならないようにと当山へ相談にこられたのであった。縁あってそのマンダラが当山に来る運びとなり、先月の21日に引き取りに伺わせて頂いた。そこで当山大師堂にお祀りする事となり、この1ヶ月間毎朝行法をさせてもらっている。その方の母親の遺徳を曇らせる事のないように精進してゆく事を自分自身に言い聞かせてる私である。 [#f0024929]
 

2016.12.19父母感恩和讃

 ”ほろほろと 鳴く山鳥の声聞けば 門出の父の御姿を 幻のこと想い出で 優しき母の面影を 涙と共に浮かべたり 夕闇せまる奥津城に せつなさ語る兄妹を 諭す法の師声さえて み空を翔ける鳥一羽 父かとぞ思う 母かとぞ思う” と御詠歌にある。今月7日の御詠歌のコンサートど詠われた和讃。当山から参加した信者さんが感銘をしてあった。この和讃を以前聞いたときから私は、親父の事が何か思い出されてくるのである。親父は、今施設に厄介になって7年。幼少の頃からの想い出が色々と思い出されてくる。昔は、マオナス面ばかりが思い浮かびそのような思いばかりえあった。年月が経つつれ愛おしくもあり、なつかしくもありという思いが出てきた。今日あたりは親父の顔を見に行きたいと思っていた。昼過ぎ法事から帰り坊守から親父のことを聞いた。今朝熱が出て系列の病院へ入院したとの事。夕方、病院を訪ねたら親父は寝ていた。もうどれ程命があるのかなとの思いが頭をかすめる。できるかぎり顔を見たい。話をしたい。その思いがつのる。世界で一人しかいない男(父親)と思えばなおさらである。寿命のある限り生きてもらいたい。お願いします。その思いを胸に病院をあとにした私であった。親父さん又、明日も来るよ。 合掌                       [#p803dc84]
 

2016.12.12希望

 昨日のテレビである自閉症の作家の事が放送されてた。自閉症は話には聞いていたがよく理解してなかった。自分の気持ちが他人に理解してもらえず、絶えず他人との事でトラブルを起こし、自分を追い詰めてゆく状態であるとの事である。ある自閉症の作家の事がをテレビで知り、彼はパソコンをしたり、物を書いたりする能力はある。唯、言葉でうまく表現ができないだけではないかと思った。心では相手の奥深いところをしっかり見る洞察力は一般人より秀でていると思った。彼は、自閉症に関する本を書き欧米の同じ悩みを持つ人達の大きな力になっている。私は、彼の生き方にエールを送りたい。今は苦しく辛いけど夢と希望は持ち続けてほしい。今、彼が願う事は来世で必ず叶う事を信じ、突き進んで欲しい。あなたの未来には素晴らしい光明の世界がある事を。多くの人にやる気と希望を与えて下さい。 合掌 [#v48d0ca4]

2016.12.8 真珠湾

 75年前日本と大国米国が戦争を起こし(真珠湾攻撃)、多くの犠牲者を出し、いまだにその傷跡が消えない。人間の歴史を遡ると戦争がなかlちゅた試しはない。何故、人は戦争をするのだろうか。永遠のテーマでもあると思う。仏教に十善会戒があり、その中に不瞋恚(ふしんに)がある。簡単に言うと”怒るな”、”少しのことで腹を立てるな”との事である。人間は感情の生き物でもあり、それがマイナスに働くと口論、喧嘩、エスカレートして殴り合い、さらに進むと暴力、戦争と繋がってゆくと思う。そこで自分の感情をコントロールする事が大切になってくる。これは我々お互いが常に心しておかねばならない事で大切な事とも思う。私の祖母が、”あの人はこの程度の人、こういう人と思いない。したら、腹もたたん”との言葉が脳裏をかすめる。良い心の遺産でもあると今は思い、人生の指針でもある。自分の考え方で喧嘩を回避してゆく努力が戦争という大惨事を食い止める事にもつながると思う。ちなみにこの日はお釈迦様が悟りを得られた日でもある。これも何か不思議に思える。

2016.12.1 師走

 今日から師走。気ぜわしさが日毎ましてゆく月でもある。物事ついつい先延ばしするくせのある自分。だが、あとからくるしわ寄せを考えると面倒でもその場で片付ける事を考え実行するのを痛感するのである。朝、すこしでも早く起きて日頃のけんあんを片付ける事を目標にと励む日々である。面倒だ、大変だと思う事からさせていただける体力があると思うように務める今日師走1日である。     [#ff323785]

2016.11.30誕生日

 今日は、当山の信者総代の81回目の誕生日。その方の若いころから顔なじみついその頃の感覚が抜けてない私。気が付くと81歳である そういう私も比例していい年である。人の事ばかり見てると自分の事は外。自分は年に比例してそれだけの値打ちを出しているのかとも思うこの頃、自分の至らなさに鞭を打って高めていかねばならないところに来たとも思う。あっという間の事でもある。今日で11月も終わり、いよいよ師走。今年の締めくくりの月でもある。できる事はできる時にやるとの思いで気合を入れて明日からは望みたいと思う。       [#f59c0e4f]

H28.11.28 今日は不動明王の日

 久々護摩を修法させて頂いた。トイレ札、台所の札、家内安全札、方除札と拝む札が多い。何かと28日は忙しいと思う。その忙しさも不動明王がそうさせてるのかもしれないと思う。楽な事はさせてくれない。何かと面倒で大変なことを与えてくれるような気がする。クリアすればどことなく清々しい気持ちにもなる。それが快感に感じる事がある。これも修行と思う今日である。 [#ua3246ef]

H28.11.25

 今日の夕方より水巻町の弟子の所へ出かけた。それも27日の日曜に弟子さんとこの柴灯大護摩があるのでご宝前とお供え物を届けるこ事であった。その弟子さんも74歳。体もいろいろとがたがきて来年は、柴灯大護摩ができるかわからないとつぶやいてた事を思い出す。”色即是空 空即是色”とまさに諸行無情である。 さあ、どう生きるか。私も自分の人生の締めくくりも考えていかねばならない。良い人生であったと思い卒業式を迎えるために。 [#h8667ba7]

H28.11.24 今日は地蔵様の縁日

 午前は寺で阿字観瞑想を行い、午後からは唐津の信者さん宅へお参りに出かけた。地獄へ落ちてそのくるしい中でもしっかり生前の罪を懺悔して、精進してればどこからか救いの手がでてくるとの事を思い出した。その方が地蔵様だと。唐津からの帰りが夕方6時すぎ、途中トイレ休憩してからふとライトをつけて運転しないといけないのにライトを消して運転したらというバカな考えが頭を過ぎり、少ししてみたら怖かった。光明真言、地蔵菩薩の真言を運転中唱える事でぶじ7時半過ぎに寺まで帰りついた。ありがとうございました。 [#i1c7e863]

H28.11.23 今日は祭日

 何かしら日曜日と錯覚するようだ。午前11時より隣町の檀家さん宅で1周期と三回忌の法事の予定なので10時には寺を出ないとと思い用意に専念。人の死はあっというまである。生前の事を色々耳にする。なくなると相手の欠点もその人の個性と映るようで不思議である。そう思うと生きてる事の意味が自分なりに答えが出てくるように思える。死ねば皆仏様との事である。だから人は皆仏の心を持ってるという事である。 合掌 [#f64824fc]

H28.11.22

 今朝、護摩堂でのお勤めの時、こうして護摩堂ができ護摩が修法できるのも縁ある多くの参拝者、信者さんのお陰であることに深く思いを凝らした。その中には自分と相性の良い人、その反対の人といる。そのような感情を超え、護摩堂建立の事を知り、寄進をされた心はまさにありがたいと改めて感じた。その方々の心は仏さまであると思えた。まさに弘法大師様が説かれてる”即身成仏” とはこの事だと気が付いた。ありがとうございました。 合掌 [#kc51c5fd]

H28.11.21

 早朝から信者さんの家にマンダラを受け取りに行く 自坊に帰りマンダラの開眼供養をしてその後,昼食       信者 さんの喜ぶ顔が目に浮かぶ 。 マンダラは、当山の大師堂に新たにお祀りする事となり、その信者さんも大変、喜んであった。このマンダラは、信者さんの母親が大層信心家で得度を受け僧侶の資格も持ってた方。彼女が今年8月に他界。その後を息子と娘に託されたそうだが、あいにく2人とも子供がいないとの事。そこで当山に縁がありマンダラが入ってきたのである。さあ、これからその方々の思いを胸にさらにマンダラをしっかり拝みこんでいかねばならないとの思いであった。 [#k8e1b6b7]

H28.11.20

 高野山から自坊へ 山とは違う現実。気温のへんかもある。山では朝の9時から午後5時までの仕事。あとは自由。じぼうではそうはいかない全般の事(掃除、お供え、参拝者の対応、お勤め、メール返信や信者さん方の連絡やお礼の電話等)でなかなか思うように行かないこと。そのような多忙さから解放されるのが高野山。 つかのまの休みをありがとうございます。 [#x8a0e438]

H28.11・19

 高野山から下は気温が高い 下手すると風邪をひく と言い聞かせ体調管理に警告。そう思い帰路の用意のさなか 午前11時48分。突如としての地鳴りの音、その後、横揺れ”地震だ”と声を上げる。高野山で地震とはやはり南海トラフの関係か。人間だけが生きてるのではない。自然も生きてる証拠。自然を怒らせるとそのツケはとても大きなものとなり、したいほうだい放題の人間に帰ってくるよとの警告にも思えた。正直、地震は恐いの一語。我々日本人の宿命かとも思えた。 [#t4d4d77e]

H28.11.18

 高野山の紅葉は今が見どころ 金剛峯寺前の紅葉も見栄えがした。これを楽しめるのも自然の織り成す技のお陰。ただ、そのお陰に”ありがとうございます” の一語しかない。人間偉そうにしてても自然の力には手足も出せない。唯々、合掌のみである。 [#i5554c83]

H28.11.17

 高野山は今日は0度の気温 まさに冬本番  この厳しい気候のなか1200年前弘法大師空海上人がこの地に真言密教の道場を開かれた事は、私達日本人にとって大きな意味がある。中でも日本で最初の寺子屋を開かれやがて種芸種智院といわれ現在の種智院大学へと発展していった。日本の教育界への影響は多大なものである。そう思うと唯、頭がさがるのみである。 [#gdad8a59]

H28.11.15

 今日から19日まで高野山での仕事。朝一の列車で博多駅に向かい昼前に山に到着。午後1時からの山での勤め。今日はジ受戒堂でのお授けが担当である。戒法を参拝者に授けるのである。日頃、自分は戒法を実践してるのかと思うと心苦しい。少しでも心にスキができるとすぐ魔が入ってくる私たちの心。だからこそ心の点検が大切。つらく、きつくとも己のためでもある。自分の心の弱さを知ってるのは自分でもある。自分をよりどころとせよと説かれたお釈迦様に尊敬の思いがよぎった。 [#k2db9311]

平成25年~平成28年5月の住職のひとり言は、サーバー攻撃に合い保存されていなかったためデーターがありません。残念です。合掌
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