住職のひとり言

住職のひとり言 平成22年

新年のご挨拶 H22.1.1

新年明けましておめでとうございます。
本年も宜しくお願い申し上げます。
午前0時、国家安泰、世界平和、各家の一年間の安泰を祈って初祈祷修正会が無事厳修されました。雪の降る中ご来山下さいまして有難うございました。
昨年は、ご本尊様から人生において2番目に苦しい心の修行を与えられ「愛」の大切さを教えられました。しかも、本当に愛の大切さが分かっているのかと何度も何度も心の修行、お試しがあり、本当の愛とは「敬愛」と教えて下さいました。苦しい年ではありましたが、私にとって忘れられない充実した大切な思い出の一年となりました。今年も皆さんが幸せになるために親子の絆説いてまいりたいと思います。たとえ親子の絆大切と知っていても知識を智慧に変えきれなかったら、過去にこだわって前に進めなかったら宝の持腐れに過ぎません。もう一度親子の絆、敬愛考えて下さい。子供がこの両親の子で良かったと思うことが一番大切ですが、親は子供に信頼される親になるよう精進することやはり忘れてはならないと思います。
先日南極越冬隊の弟から送られてきた写真ですが、今動物達に学ぶべきです。母は命をかけて子供を守り、父は命をかけて妻と子供達を守る。子供達は、親の愛情に守られて絶対なる信頼関係が育つ。初心に返ってもう一度生きると言うこと考えて見るのもこの寅年を力強く生きるヒントになると思います。皆様のご健勝とご多幸を心からお祈り申し上げます。合掌
信者さんの「小春日」故向江輝昭句集、奥様とお子様が亡き夫を父を偲んで自主出版された本を今日頂きましたので時々載せたいと思います。

      「年明けや 午前零時の 宮太鼓」
      「神木に みくじの花の 初詣」
	「シャッターに 和み一家の 初写真」

年賀状 H22.1.2

今年も沢山の年賀状を頂き感謝致しております。有難うございました。
その中の一枚をご紹介致します。
「新春のおよろこびを申し上げます。今年は私の口が貝になるまでビシバシ説教をして頂きます。継続は力なり。忍耐は口を貝にする事なり。で今年は生きます。本年もどうかビシバシ宜しくお願い申し上げます。皆様のご健勝とご多幸をお祈り致します。元旦」と。
実は元旦に信者さんはご来山下さった。その時「全ては心」と私が説くと信者さんは「思いやりでしょう」と言葉が返ってきた。しっかり意見の交換をして最後は私の言葉を神仏の言葉としっかり受け取って下さいと申しますと「分かりません」と。信者さんはくそ真面目な方なので適当に言葉を返すことをしない。嘘は罪をつくるし嘘はついてはならないと思っている。自分が納得するまで絶対に妥協する事はしない。そんな信者さんと、お互いに遠慮することなく言いたいこと言える関係に大変嬉しく思うし、ビシバシお願いしますは私から何かを学び取って自分自身を磨きたい、変えたいと思っている証拠。そんな信者さんの思いを大切にしたいと思う。今年も面白くなりそうだ。信者さんがこの一年どう変わっていくのか楽しみである。今年も沢山の方とご縁を頂いて一人でも多くの方に幸せになって頂きたいと願っています。合掌

      故向江輝昭句集より
      「つつがなき 家族の集ひ 福寿草」
	「初みくじ 見せ合ふ中も 夫婦かな」

亀の遍路笠 H22.1.3

12月の修行道場に初めて参加された方のお父様が年末、膵臓ガンで余命半年と言われたそうです。昨日信者さんからのメールで「両親がただ薬を飲んで、その経過を待つだけでは耐えられないようで、何か自分達で少しでも治す方法はないかと私に聞いてくるのですが何と答えていいのか?」と。それに対して「神仏にすがるしかないのでは?本人に体力があるならば霊場巡りをお勧めします。無理なら家族が神仏にすがっては?お百度踏むことも出来るでしょう」と返信しました。今朝、ご本尊様にお父様の事お願いしようと勤行を始めると堂内に荘厳な鐘の音が響き渡り、観音様がお力を貸して下さると確信しました。お勤めも終わり間もなく、信者さんからメールが届き「的外れかもしれませんが修行道場の勤行の時、住職さん亀のような笠を見せられたと言われましたよね。あれって遍路ですか?」と。メールを頂くまですっかり忘れていましたが、確かにウミガメが見えて「あっ、亀だ」と思っていたら90度まわって、裏に紐が見えたので「亀のような遍路笠のようなものを見せられたのですが家に、亀のはく製がありますか、それとも古い遍路笠ありますか」と尋ねていたのでした。亀と言えば長寿。しかも亀の遍路笠。霊場巡りをすれば命は延命されるということ?それしか考えられない。そうだとするならばご本尊観音様は早々と私達に霊場巡りをお勧めして下さり御利益があることを教えて下さった。何と有り難いことでしょう。ただただ感謝の一言です。お父様もきっと希望を持って巡礼の旅に出かけて下さると思います。「どうぞ四国霊場の仏様お力をお貸し下さい」と影ながらお祈りさせて頂く私です。年末にどうしたらよいのか悩んでいましたが正月早々希望がもてる本当に有り難い一日でした。有難うございました。合掌

死生観 H22.1.4

「亀の遍路笠のお父様早く御利益いただけると良いですね。読まれた皆様きっとお祈り捧げていらっしゃると思います」とメールを頂きました。まだお会いしたこともない誰かのために「祈ること」素晴らしい功徳です。有難うございました。
昨日「死」についてお尋ねがありました。私自身、両親を看取った後、「死」への恐怖(不安)がなくなりました(全くではありませんが)「いずれ私にも死は訪れる。あの世には両親達がいる。何も心配することはないんだ」と。ご住職や、ある方からも「両親はいつも見守って下さっていますよ」と言って頂ける。以前は全く感じませんでしたが、11月の修行道場(供養祭)の後、私もそれを感じるようになりました。先日の「お墓参り」の私の何とも言えない「嬉しさ」は両親の気持ちが伝わったのだと思っています。人は死んだ後、肉体は消滅しても「魂」は存在する。そして、今の私たちを見守っている。直接、目には見えないし、触れたり、会話する事は出来ないけれど見守ってくれている。そうですよね。「死」の恐怖・不安とは、愛する人たちとの別れ、死の直前の空想の苦しみなのでしょうか。と。
私からの返信メールです。
死の恐怖、不安。きっと生あるもの全て恐怖と不安でしょう。この世に存在しなくなる、この世の別れ、愛する人との別れ。肉体的痛みと精神的苦しみどちらも恐ろしい。一人で旅立つ不安。残されたものの将来を案じての心痛。どれをとっても恐怖と不安。誰も行って帰ってきたことがないから死後の世界は分からない。でも、あの世が極楽浄土で、お花畑に囲まれて鳥のさえずり、小川のせせらぎ、美味しいものが一杯、大好きな家族に囲まれて幸せな時間を過ごすと思ったら早く行きたいと思うでしょう。その為にもこの世でどう生きるのか?これが問題です。でも、私自身極楽浄土にいけるなど思っていません。なぜなら、極楽浄土に行くために今を生きているのではありません。今、目の前にいる方の苦しみを少しでも取ってあげたい幸せになってもらいたいという私の願い、それだけです。私が思うことは、一生懸命生きて生き抜いて、私の人生良い人生だった思い残すことは何もないと思えたら魂は亡くなったときのままなので永遠に幸せなのではないでしょうか。それが来世にとても大切なことだと思います。これはきれい事かもしれませんが、私の命は仏様に預けています。この世に必要ならば生かされるでしょうし、必要でなければお迎えが来ると思っています。そういっている私のようなものが、いざ死を直前にしたときあたふたとするのかもしれません。私もその時が来なければわかりません。有名な悟りを開いた仙涯和尚ですら、病床にあったとき弟子が「死にたいですか」と尋ねると「死にとうない。死にとうない」と答えたそうです。
「死への恐怖なくりました」そう言える事は幸せな事です。自分の生き方も変わる。「死」を考えることは今をどう生きるのか考えること。大切なことだと思います。今の世の中おかしくなっていますが、みんなが考えてくれたら良いですね。合掌

苦しみはお大師様のお慈悲 H22.1.5

最近気付いたのですが、いろんな問題に取り組んでいると、又もう一つ問題が起きている。最初の問題を忘れてしまうほど大きな問題。私自身困惑するような大きな問題。しかし、大きな問題を解決していくと最初の問題は解決へと向かっている。親子の絆、夫婦の絆、いろんな絆深まって幸せへ道を歩み始めている。ふと、数年前の師走にお大師様から頂いた言葉を思い出しました。
「そなたの忙しさなど私の足元にも及ばない」きっとお大師様は衆生済度のため走り廻って下さって、一番良い方法をお考えになり、厳しくも有り難い修行を与えて下さり問題解決へと導いて下さったのではないかと思います。そう思うと改めて感謝せずにはおられません。今起こりうる全ての問題は必要、必然、ベスト。今年もいろんな意味で厳しい年になりそうですが、今自分がおかれている環境、立場、責任から逃げることなく問題解決して頂きたいと思います。昨夜信者さんから「私、逃げません。もう一度頑張ります」とお言葉を頂きました。私の疲れが一瞬に飛んでいく、有り難い言葉です。縁ある全ての方に幸多かれとお祈り致します。合掌
 *(故)向江輝昭句集「小春日」自主出版より
 「荒地より 水仙の芽の たくましさ」
 「山路来て 喉にしみ入る 寒の水」
 「侘助や 踏み固めたる 札所道」

母の死 H22.1.6

死生観を書た後、母の死を思い出しました。病気が発覚して二度目の入院の時、母は「入院したくない」とこぼしました。昭和60年鯛の骨が喉に刺さりレントゲンを撮ったことで癌が見つかり命拾いをし、何事も前向きに生きてきた母が弱気な事を口にして私はびっくり。「そんな弱気では病気は治りませんよ」と励ますと「私の気持ちも分からないで」と激怒しました。母は看護婦で保健婦。小学校の養護教諭でしたのでもう帰って来れないことを感じていたのでしょう。平成15年12月2日入院の朝、私は夢を見ました。信者さんを見送り、ふと地蔵堂を見ると母が信者さんから奉納された幕を地蔵堂の中にかけていました。「お地蔵様!顔に幕があたって気持ちが悪いだろうに」と思っていると、お地蔵様は私の前を通ってどこかへ行ってしまいました。また、その日の朝、勤行の途中で般若心経が分からなくなり、もう一度最初から唱えましたがまた分からなくなり、三回目はとうとう経本を取り出して勤行を終えました。これは大変だと思った私は母のためにお百度を一週間と御礼で八日間、雪の日もありましたが踏みました。医者の説明では「前回の癌とは全く違う進行性の癌のため治療と言うより押さえることで精一杯です。
食べたものが全部癌の栄養になっています」と。残念ながら母は74歳で他界しました。一番身近な母を看取って、母は一度も「私は死ぬの?余命はどのくらい」「死にたくない」など一言も何も言いませんでした。それは、本人が恐ろしくて聞けなかったのか、それとも残されるものへの思いやり。今となっては分かりません。ただ、ほとんど意識のなかった母が、毎日父の唱える般若心経の時だけかすかな声で一緒にお経を唱えていたことは仏にすがる母の思いだったのかもしれません。いつか私も死を迎える時が来るのですが、その時私の生き様が見えるのでしょう。合掌

素直に信じること H21.1.7

昨日、一日の御礼も終わり最後の鐘の音が段々小さくなっていく。ところが一瞬音が大きくなった。鐘の音にどういう意味があるのか分からないが不思議なこともあるものだ。昨夜、信者さんからメールが届く「身体もどんどん良くなってきています。明日は母親が仕事休みなので、玄関をしっかりきれいにしますね。女性は美人でなくても良い。素直でいることが大事なんですよね。今日もぐっすり眠れそうです。おやすみなさい」と。最近沢山の方が御利益を頂いています。しかし、まだまだ御利益頂いて欲しい方が沢山います。彼女のように素直になって観音様からの宿題、精進して欲しいのですが、私の心とは裏腹になかなか心を開いて下さらない。「お観音様どうしたら人は心を開いて下さるのですか」と、観音様に尋ねたからなのか?昔、読んだ本に「どうしても観音様が救えない人がいる」と。それは「観音様を信じて、すがらないものはどうしても救うことが出来ない」と書いてありました。私は返信メールに「信じて下さい」とよく送ります。
昨日も、「住職様はよく、神仏を信じて、自分を信じて、○○信じて・・・信じて信じて信じて。と言われますが、全ては信じる事からスタートするのですね」とメールを頂きました。また、「どうしてそんなに信じることが出来るのですか」「どうしてそこまでして人を救おうとするのですか」と、メールを頂いたこともあります。答えは一つ「みんな幸せになって欲しいから」ただそれだけ。母の死を思い出したからなのだろうか、気になる信者さんのこと思うとほんの少し心が重い。「観音様どうぞお慈悲を下さい」と祈る私です。
有り難いメールが届きましたので紹介致します。
「住職のひとり言いつも楽しみにしています。母の死のお父様、お母様のご夫婦愛に感動しました。薄れ行く意識の中、ご主人様の般若心経に合わせ、お経を唱えられていたって、本当に素敵なご夫婦だったんですね。世の中全ての夫婦、家族が、ご両親の様に愛にあふれると良いですね。改めて、今年は去年よりもっともっと愛を深めようと思いました。有難うございました」

未来 H22.1.8

昨夜、信者さんに送った返信メールです。「みんな寂しいと思いますよ。孤独と不安!未来は誰にも分かりません。だから、神仏を信じて欲しいです。見えない力で守って下さる、導いて下さる。ご先祖様に心を寄せて見守って頂きましょう。そして自分を信じること!自分が持っているパワー引き出して下さい。生きる智慧です」
未来が分かったらどんなに楽でしょう。孤独も不安もなくなるでしょう。しかし、本当にそうでしょうか。人は生きる苦しみ、老いる苦しみ、病む苦しみ、死を迎える苦しみ(四苦)誰もが必ず訪れる苦しみ。それが今分かったら、生きる気力はなくなり、楽しい未来など夢見るこも出来ない。何も分からないから、明日を夢見ることができる。未来が素晴らしい人生だと分かっていたら、人は惜しまず未来に向かって努力するでしょう。だとしたら、人は不安を抱えて生きるより、楽しい未来を夢見て生きた方が良い。神仏がご先祖様が守ってくれると信じて生きた方が良い。本当に生きる智慧だと思います。護摩堂棟上げに向けて着々と工事が進んでいます。滅多にないご縁です。どうぞお不動様とご縁を頂き御利益頂いて下さい。 合掌

信頼関係 H22.1.10

元旦の年賀状の方、「初夢は住職さんと本堂で大喧嘩している夢でした」と。そして今日も楽しい意見交換。帰られて届いたメール「今年二度目の説法、言葉の冷たさ。肝に命じます。自分では分かりませんのでその都度お叱り下さい。遠慮なく。合掌」でした。本当に有り難い。お互いに何の遠慮もなく意見交換が出来ることは嬉しいことです。また、ご来山下さった信者さんと「新興宗教は神仏を信じると言うよりも、その先生(開祖様)を信じている」と話をしたばかりでしたが、偶然他の信者さんから「神仏を信じる前に住職さんを信じたから神仏を信じることが出来ました」とメールを頂いた。と言うことは神仏を信じなさいという前に私を信じてもらわないと神仏を信じることは出来ないということ。そのためには信頼関係を深めなければならない。これが簡単そうで難しい。とはいえ今日は21件のメールが届いていた。電話も二十分ほど会話した。先ずは相談してくれなければ前には進めない。幸せになりたい人はどうぞご遠慮なくご相談下さい。合掌

不動堂(護摩堂)上棟式 H22.1.12

今日は待ちに待った上棟式(棟上げ)。雪がちらつく寒い中、ご来山下さった皆様に感謝致します。また、決意を新たに精進してまいりたいと思います。(棟上げ写真)
人は皆人生の主人公。ドラマも小説も大概が人生の荒波を乗り越えて最後は幸せな、ハッピーエンドで終わる。私もそんな人生で終わりを迎えたい。今日は人生の大きなひとこま。念願の不動堂(護摩堂)上棟式。平成17年10月に思い立って4年。皆様のお陰でやっとここまできました。また、境内が狭いのでどこに建てたら良いのか場所に悩み思案しているとご本尊様から本堂横に増築で建てるようお慈悲を頂き、時期もあり得ない色々な出来事で今に至りました。これもご本尊様からの見えない力お慈悲と感謝しています。神仏の思いと皆様の思いしっかり受け止めて私の人生ハッピーエンドでありたい。長い人生いろいろありますが、夢や希望に向かって苦しみや悲しみを乗り越えハッピーエンドに向かって一緒に精進しましょう。

テレビ九州の番組「きらり九州」取材 H22.1.13

今日は、朝から嬉しい電話が入った。嬉しくなりご本尊様にご報告。内容は内緒だが私の心を受け取って下さって本当に嬉しい。これからも電話をもらったらもっと嬉しいのだが…。
さて、今日は、ちょっと変わったお参りの仕方「願掛け幸せ開運道」のお寺としてテレビ九州から取材を受けた。旅人は、「谷隼人さん」本堂お参りされて「願掛け幸せ開運道」の事を尋ねられた。願掛け幸せ開運道は「~しますように」ではなく「~しました」」とお参りします。神仏はお参りする方の思い、心を受け取って下さいます。思いが強ければ強いほどしっかりと受け取って下さいます。その 絶対に叶えたいという思いは「~します」よりも「~しました」とお参りした方が、自分の潜在意識を呼び起こし自分が本来持っている能力を最大限に発揮する事ができると思うからです。また、神仏もその思いに応えて下さいます。真言宗では三密を説きますが、神仏のお慈悲と本人の思いと僧侶の思いが一つになった時祈願成就されると言われます。真剣に神仏にすがれば必ず思いは届きます。一度おためし下さい。合掌

夫の幸せ、妻の幸せ H22.1.15

一人の男性と一人の女性が縁あって、夫婦となること赤い糸で結ばれていると言われますが正にその通りだと思います。皆幸せを求めて結婚したはずなのに、いつしか歯車がかみ合わなくなりお互いの心が離れていく。最初は元に戻そうと努力しますが段々、歯がゆさや悔しさ、最後は意地をはって素直になれない。これでは幸せな結婚生活どころか、人生そのものが不幸です。
夫婦が同じ方向を向いて、お互いを尊重し良い家庭を築いて良い子育てをして欲しいと思います。子育てに失敗した夫婦は不幸です。せめて子育てが終わるまで、夫は妻をしっかり愛してそれが夫の幸せと信じて精進して下さい。夫に愛される妻は生き生きと美しく楽しんで子育てに励むでしょう。それは妻の幸せです。私は良い家庭を築くのは夫次第と思っています。勿論一概には言えませんが………。正月に私がおしどり夫婦と思っていたご夫婦が実はそうではなかったことを聞かされて正直ショックでした。世の中の夫婦が幸せなら子供達も幸せです。どうぞ私の思い受け止めて精進して下さい。難しいことかもしれませんが少しでも精進して下さい。
誰のために?自分のために家族のために!
今日は、大阪の方、長崎の方、大分の方、愛媛の方、大牟田の方いろんな方とご縁を頂きました。明日は、大阪の方がわざわざご来山下さるそうです。今日も愛媛の方メールと電話のやりとりでしたが初めてご来山下さいました。感謝致します。
全てはご本尊様とのご縁。幸せになるためのご縁。皆様のご多幸を心から祈ります。合掌

在家得度への熱い思い H22.1.17

昨日、ホームページを見て在家得度をしたいとわざわざ大阪からご来山下さった35歳の男性。
幼少の頃から仏様が好きで、大人になって毘沙門天様をお祀りし、五年前には愛染明王様の掛け軸もお祀りしているそうです。愛染明様をお祀りした、その頃から仏門に入りたいと思うようになり、高野山の専修学園に入学して僧侶なりたいと思うようになったそうです。本山に電話をしたところ、学園に入るためには師匠をみつけ得度をしていなければならないことが分かり、お寺に尋ねたりいろんな方に尋ねたりしていましたが、なかなかご縁をいただくことができず、今回ネットで調べて、当山を見つけたそうです。私は「なぜ四千件ほどある中で当山を選んだのですか」と尋ねてみた。すると「なぜか?と聞かれても分かりませんが、祖聖大寺に一番に電話してみようと思いました。これを仏縁と言うのでしょうか?」と。大坂と福岡という遠距離なので近くのお寺さんを探すこともできますと言いましたが、当山とご縁を頂いたのは仏縁だと思いますから、師匠は祖聖大寺でお願いしますと大変律儀な方でした。いろんな事を考えて福岡へは頻繁に来ることはできそうもありませんので金剛峯寺で得度を受けることとなった。彼の熱い思いには感動しました。電話をもらって2日後には電話では失礼と一度お会いして自分の事を理解してほしいと来山。久しぶりに純粋で夢と希望に満ちていた若かりし頃を思い出した。彼の今の熱い思いは大切にしてほしい。専修学院は厳しい修行の場そんなに生半可な思いでは卒業できません。しかし、彼はきっと自分の夢のために耐えてくれるでしょう。明日は本山に連絡。忙しくなりそうだ。

ご縁に感謝 H22,1.18

最近、インターネットでご縁を頂いた方がお参りに来て下さる。今日も長崎から2時間かけてわざわざご来山下さった。子供のお向かえがあるため1時には当山を後にしなければいけないと言いながら「帰りたくない。まだいたい」と嬉しいことを言って下さる。無事帰宅後も「行って良かったです。気持ちの良い場所ですね」とメールを頂きました。本当に有り難く、感謝致します。愛媛の方も朝メールしていたことを実行して下さり嬉しいメールが届きました。昨日の大阪の方、本山に連絡取り在家得度手続きを始めました。
ご縁を頂いた皆さん今幸せの道を歩き始めています。僧侶として大変嬉しいことです。
今、21巻読経行(般若心経21回)の命乞いに入っています。命ほど尊いものはございません。本人の苦しみ、家族の苦しみ悲しみを思うと胸がつまります。
後悔しないため私が今できること精進します。人それぞれに人生は違うけれど後悔をしない人生を歩いてほしい。今できること今しなければならないことがあるならば精進してほしい。大阪の在家得度をされたい方、「後悔はしたくない」そう言って私を説得しました。熱い思い、真剣な思いは、人の心を動かすことも神仏の心を動かすことも出来るのです。どうぞ精進して下さい。合掌

供養の誠 H22.1.19

今日は、七回忌法事のため信者さんがご来山。百合や菊、ガーベラやスターチスたくさんの花と沢山の果物と饅頭を持って、故人にお供えしたいと思う信者さんの思いが伝わる。ところが、生前はかなり厳しい方だったらしく苦労話をし始めた。
私は、法要の後、供養についてお話をさせて頂きました。「人は亡くなったら仏様です。生前はいろんな事があったでしょうが、亡くなられて仏様になったのですから、過去のこだわりを捨てて供養の誠を捧げましょう」と。それから生きているもの同志が仲良くすることを勧めた。なぜならば信者さんは娘さんとの関係が上手くいっていないからです。これでは子孫繁栄はあり得ない。帰りの際に「ここに来たらホッとします」と言われて安心しました。法事に来て私に説教されて気分は良くなかったと思います。どうぞ、家族で親戚で憎しみ合うのだけはやめましょう。こだわりを捨てて、幸せを祈りましょう。合掌

博多の森のお地蔵様 H22.1.21

昨日、信者さんから博多の森のお地蔵様の話を聞いた。駐車場の隅に祀られていたお地蔵様が落ちていたらしく、気付いた方が駐車場の目立つところにお祀りされたそうです。いつの間にか祠(ほこら)に祀られ、誰かが花立てを奉納され花が供えられ、段々お参りされる方が増えていったそうです。かなりのお賽銭が上がるようになったのですが、心ない人がお賽銭を盗むらしく困っていたそうです。相談された信者さんが博多の森の管理局に持って行き、管理局は、警察に届けたそうです。半年後受取人が現れないと国庫のお金となりお国のために使われるそうです。
駐車場の隅に忘れ去られていたお地蔵様が、心ある方に祀られ、心のより所として人々に喜びを与え、そのお賽銭がまた人々に返っていく。ほのぼのとした有り難い話でした。 最近暗いニュースが多いのですが、良いことも悪いことも人、人です。お地蔵様を拾って駐車場に祀られなかったらこんな素敵な話はなかったでしょう。
17日にここ一週間が山と言われた信者さんの、命乞いの行に入っていた私には嬉しい明るいニュースでした。また、今日、山は越えたと連絡が入りホッとしています。合掌

命乞い行満願 H22.1.22

16日から始めた命乞いの般若心経21巻行は今日で満願。明日は御礼で21巻行。お観音様は何も言われなかったが、この一週間読経していると時折、鈴の音が鳴り響く。また、今日はお大師様がひょうきんなお顔をされた。どういう意味なのか分からないが今のところ亡くなる暗示はでていない。とにかく信じて祈るのみ。
お行の後、一日の御礼で読経中いろんな思いが込み上げてきた。みんな、幸せになりたいはずなのに何かにこだわって前に進めない。昨日の寂しそうな信者さんの顔を思いだすと胸が痛くなる。どうしたら幸せの道に導くことができるのか………….
今日は、信者さんにメールを送った。「あなたの心を動かすには、正面からぶつからなくては動かない!そう思えてきました。あなたと真剣勝負です。私から逃げないで下さい。観音様の手を放さないで下さい。私は絶対にあなた達家族を幸せにしたい。幸せになると信じています。私は真剣だからしっかり受け止めて下さい」と。信者さんは「自分の中で少しなにか変わってきている気がします」とメールを下さった。付いてきてくれることを心から信じている。また、電話を下さった信者さんも信じている。ある信者さんが友達に私を紹介したときに言われた言葉です。「住職さんから逃げると言うことは自分から逃げると言うことですよ」と。みんな自分から逃げないでほしい。自分のために家族のために縁ある人のために信じて付いてきて欲しい。合掌

命乞い満願御礼 H22.1.24

昨日は、命乞いの満願御礼。読経の半ばを過ぎた頃、当山のご本尊様は座像の観音様ですが、一瞬立たれました。引き締まったウエストとスラリと伸びた細くて長い足。大変美しいお姿でした。そして、黒い塊の物体。もしかして患った臓器?観音様が立たれた意味と黒い物体が何を意味するのか残念ながら私には分かりません。分かっていることは観音様は確かに動いて下さっている。どこまでお力をお貸し下さるかは分かりませんが私達の思いを受け取って下さっている事。
ただただ有り難く感謝感謝の一言です。
今朝、信者さんからメールが届く。「いつも私達のこと気にかけてくれて本当に有難うございます。今日、父は医師から今回が最後になるかもしれないと言われ一泊で自宅に帰ります。膵臓癌は進行が早いと聞きましたがレントゲンを見るとかなり広がっています。でも今のところ薬が効いてくれているのか神仏の御陰なのか痛まないのが幸いです。私達もまだまだ諦めません。信じて祈り続けます」と。今回のお行は、ここ一週間が山と言われお行に入った。確かに一命は取り留めた。
これから、どうなるかは分からないが、この世で一番大切な物は命。最後まで諦めず、神仏を信じて祈り続けよう。後悔はしたくないから。
昨日は、半年ほど前に「本堂で親子三人が座禅をしている姿が見えますよ。12月と思います」と言っていた親子が三人でご来山。1ヶ月遅れはしましたが、親子の絆深め幸せの道歩いてくれることを信じています。観音様有難うございました。合掌

夢に向かって H22.1.26

今日、信者さんが親子三代でご来山。「あれっ、高校受験生、学校は?」と尋ねると報告とご挨拶に来ましたと。野球で鍛えた体は、思いがけず、相撲の佐渡ヶ嶽部屋に入る事となった。本人は少々緊張気味でしたが、私の話に耳を傾け、素直に返事をしていた。
親元離れて、一人千葉へ旅発つことは、15歳の少年には不安だと思いますが、自分で決めた道。夢と希望に向かって精進してくれると信じてます。これから相撲を観ることが楽しくなりそうだ。
また、中学二年生の女の子、母親とご来山。そして夢を語る。中学卒業したら、東京の音楽の専門学校にいきたいと。ところが親はお金を出してあげられないと。奨学金制度の無い専門学校らしくお金の都合がつかないらしい。本当に行きたいのなら何とかするでしょう。今の若い子は、いろんな夢に向かって夢と希望に満ちているなと感心した一日でした。若いって羨ましい事です。皆さんも自分の可能性に挑戦しましょう。青春は二度と戻らないのですから。勿論いくつになっても自分の可能性挑戦するべきだと思います。合掌

星祭りのご案内 H22.1.28

毎日星祭りの準備に追われている。
今年の開運厄除け大祭。一年で一番皆さんに喜んで頂ける行事です。なぜならば、年男、年女、厄年の方は、豆や餅をまいて厄落とし。まく人、拾う人、皆さん楽しんで頂ける。
厳粛な護摩祈祷の後は楽しい福引き、今年の運勢をも占う楽しい一時。
今年の福引き豪華景品は、オーブンレンジ、コードレス付きファクシミリ、炊飯器、シェーバー、コードレスアイロン、オーブントースター、ロースター、ドライヤー、カールドライヤー、火災報知器、餅、米等です。
31日11時。是非、今年の運試しにお出かけ下さい。
当日は石橋地蔵会様からうどんのお接待もあります。
ご遠慮なくお出かけ下さい。お待ち致しております。合掌

星祭り厳修 H22.2.1

昨日、星祭り無事厳修致しました。時折雨が降りましたが、沢山の方に御来山いただいて賑やかに終了致しました。石橋地蔵会の美味しいおうどんのお接待、長崎大村の狩野ジャパン様からはラーメン4食入りを132箱を頂いたり、岸川晃様より雑貨をいただいたり、福笹作りや景品作りに協力頂いた方、沢山の方々の協賛、ご協力の御陰で無事、皆さんの笑顔あふるる中盛大裡に厳修致しました。本当に有難うございました。
また、お疲れ様メールや、御礼のメールを頂き感謝の一日でした。
「本日は、星祭りに初めて参加させて頂きました。皆様とご一緒にお経をあげさせて頂き心が清々しい気持ちになりました。それだけでも充分でしたのに、福引きで、炊飯器、ファクシミリ(電話機)、熊手まで当たり申し訳ない気持ちです。我が家は、高校生の男の子二人の食べ盛りがおりまして、毎日炊飯器がふる活動中です。電話機も買い替えようと話していたところで、もう有り難くて。夫婦で静かに喜んでいました。私達は、何もとりえが無いのですが、夫婦仲良く苦しい時も二人でを心にいつも思い今にいたっております。主人が、お不動様が願いを叶えて下さったのかな?とずっと言っておりました。新しい炊飯器で五合ご飯を炊いて頂きました。今日は一日有り難いばかりでした。昨日、ご住職にメールして、翌日のご縁にびっくりしております。近々、主人と御礼に伺わせて頂きます。合掌 」と。
こうして、昨夜住職のひとり事を編集しているとメールが届く。時計の針は23時58分。「苦しいです」と始まったメールに電話をせずにはおられない。編集を中断。私が星祭りで忙しい事を気遣ってここ数日遠慮していたのか、星祭りが終わってメールをしてきた。今日は元気になっていたので安心しました。私が星祭りに追われていたここ一週間の間にも人それぞれに人生を歩いている。喜びのメール、意見の交換、そして悲しい訃報。亀の遍路笠の方、29日23時26分旅立たれました。苦しむことなく亡くなられたことは何よりの救いです。心からご冥福をお祈り致します。
少々落ち込み気味みですがこれからも精進してまいります。合掌

勘違い H22.2.2

信者さんから今年の初夢、住職さんと大喧嘩している夢でしたと言われた事が現実となった。
最終的にはお互いの勘違いだったが、最後に送信したメールは、私が真剣であればあるほど信者さんを傷つけていると言うところに行き着き謝りのメールを送りました。ところが、「住職さんは私一人の者でなく多くの人と繋がっていることに初めて自覚し、もっと自分を強くしようと思ったのに、情けない。私に幸せになってもらいたいと思うことが代えって私を苦しめたことに気付いたとは。住職さんはあの日、私のために祈ってくれたのではないですか?私から手を離しても住職さんから手を離すことは無いと言われましたが、あれは嘘だったのですか。手を離しているではないですか?もっと厳しくなって下さい。住職さんらしくないですよ。住職さんがしてくれたこと、言われたこと全て間違いは無いです。私はどこにも行きません。死ぬまで住職さんと一緒です。」と。それに対して私の思いをメール送信後、信者さんから来たメール。「やはり、私の一人ずもうでした。‥‥‥私が仕掛けた喧嘩見事に完敗です」と。お互いに勘違いをして心痛していましたが、今まで以上に絆深まりました。大きな壁にぶつかったとき、それは大きなチャンスとなる。お互いが真剣に向き合っていれば心は分かり合え、今まで以上にお互いを理解し合う事ができる。喧嘩して良かったと心から思いました。合掌

節分 H22.1.3

今日は節分。豆を撒いて鬼を追い払いましたでしょうか。
「鬼は外、福は内」年男、年女(元来は父親あるいは年男)が豆を撒き、撒かれた豆を自分の年齢(数え年)の数だけ食べます。また、自分の年の数の1つ多く食べると、体が丈夫になり、風邪をひかないとも言われます。豆は「魔滅」に通じ、鬼に豆をぶつけることにより、邪気を追い払い、一年の無病息災を願うという意味があります。お祓いをした当山の豆ならもっと御利益が……。
地方によっては神棚にお供えしてから豆を撒くところもあります。
しっかり撒いて一年無事安泰に過ごして頂きたいと思います。
話は変わって、昨日、信者さんに「気分転換に自宅近くの四国59番国分寺にお参り行って下さい」とメールしていました。今日信者さんから「さっき私立の中高一貫の学校から電話があって履歴書と決意書みたいなもの準備して一度面談に来て下さいと。かねてからの夢だった中学校の理科の先生になれるかもしれません。お参りした御利益なんですね。明日は母が仕事休みなのでお礼参りとお墓参りに行ってきます」と嬉しいメールを頂きました。
信者さんは、とても素直な優しい方です。お大師様は頑張る者にはしっかり手を差し伸べて下さると思いました。今日も有り難い一日でした。合掌

立春 H22.2.4

今日から立春です。暦の上では春到来ですが、今日は一段と寒さ厳しい一日でした。
この立春に当たり、もう一度自分を見つめていこうと思う。私の思いと人の思い。人それぞれに歩く速さが違う。物の見方考え方も人それぞれ。良いことも悪いことも先ずは受け入れてしっかり考えていこう。思いやりと厳しさ。信念と和合。昨年神仏が説かれた敬愛、もう一度自分のものにしていこう。足下をしっかり見つめて…………。
   「小春日」故向江輝昭句集(信者)
   「立春の雲やはらかに流れけり」
   「びつしりと花芽めでたき盆の梅」
   「事もなき日々の平穏草萌ゆる」

自信と誇り H22.2.5

今日も寒い。不動堂は着々と工事が進んでいるが、余りの寒さに金槌落とす大工さん。
大工さんの目は、厳しさと自信に満ちている。何もないところに釘と木を使って一つ一つ確実に仕上げている。時折、厳しい声がするかと思うと大きな笑い声がする。毎日五人の大工さんが力を合わせてお堂を作り上げていく。大工さんの目は、自信と誇りに輝いている。
側で見ている私はお堂が出来上がる楽しみと誇りと自信に満ちた大工さんから力をもらう。
「大工さんの仕事は良いですね。自分がした仕事の結果がでるし形が残る」とお話しすると「だから怖いんですよ。人の評価が出ますから、絶対に手を抜くことができません」と。
私の仕事というと見えない世界、形なき世界。どんなに精進しても思いとは裏腹な結果が出ることも多々ある。どちらが良いのか分からないが、どちらにしても大工さんに負けないように、自分の仕事に自信と誇りを持って精進していこう。
まだまだ寒い日が続きますが、大工さん宜しくお願いします。感謝申し上げます。合掌

喧嘩 H22.2.7

信者さんとのメールのやり取りです。
信者さん「昨日、友人と喧嘩をしてしまいました」
私「喧嘩多いに結構!問題はその後です。お互いの我を張るのではなく寄り添えるところは寄り添って、反省すべき点は反省して。自分の欠点を言ってくれる人は本当に自分の事を考えてくれる人。大切にして下さい。前にもお話ししましたが全ては与えられている。自分を磨くために与えられている。神仏、ご先祖様に感謝して生きている人は見えない力で導かれていろんな事が起こる。必要だからです。今、心を磨くために色んな事が起こるのでしょう。でも安心して下さい。幸せになるために与えられているのですから。あなたは素直な人だから大丈夫です。頑張って下さい」
信者さん「私、素直ですが父親に似て筋金入りの頑固なんです。これも直さなきゃいけないところなんですね」
私「頑固も大切!ただ信念と和合大切!人それぞれに縁、育った環境が違う。物の見方考え方が違う。先ずは受け入れて下さい」
信者さん「相手を受け入れるのは難しいですが、私も幸せになりたいので頑張ります」
私「そうですね。幸せになるために通らなければならない道ですね」
今、私が他の信者さんのことで一番悩んでいた問題。お大師様が信者さんを介して私に答えをだしてくれた。そう思いながら信者さんにメールを打つ私でした。お大師様有難うございました。合掌

インコの死 H22.2.8

「家族に愛されたインコが私が寝ている間に飛んできて気付くと私の下敷きになり死んでしまいました。どうしたらいいでしょうか。苦しくてたまりません」とメールが届く。
私は「土に返しお経を唱えてあげて下さい。きっとインコは自分の命を犠牲にしてあなたに、お経を唱えるきっかけをつくってくれたのだと思います。お経を覚えて下さい。あなたは苦しくて心からお経を唱えるでしょう。お経の力は摩訶不思議です。しっかり唱えて下さい。そして、インコの死を無駄にしないために、あなたは幸せになるのです。それがインコの一番の供養になります。」と返信。信者さんから「インコの分も絶対に幸せになります。明日、先日お話ししていました中学校の校長先生と理事長さんとの面接が急遽今日決まりました。これも見えない力のお導きですね。頑張ってきます」「そうですね。落ち込んでいる場合ではありませんよ。しっかり前を向いて頑張って下さい。人は、悲しみを乗り越えて強くなるのですから」「辛いのはすぐに癒えませんが、大好きなインコの死を無駄にせず頑張ります」と。常に前向きに物事を捉え幸せの道を歩いてほしいです。合掌

朝方見る夢 H22.2.9

今朝、昨日の信者さんからメールが届く。
「今朝、女の人がインコの亡骸を連れて行く夢を見ました。不思議な感じでした」と。
「朝方見た夢は意味があります。インコはあなたのために命を犠牲にした事を教えてくれた夢だと思います。インコの命と引き替えにあなたは強くなる。インコの分まで生きると約束しましたね。女の人は観音様かあなたの守護霊様もしくはご先祖様です。自分で色々な力で守られていること実感できたと思います。自信を持って下さい。インコの死を無駄にしないよう頑張って下さい。あなたの未来見えてきました。楽しみです。神仏を信じてご先祖様に感謝して今まで以上に精進して下さい。」と返信。
朝方見る夢は、神仏、ご先祖様からのメッセージであることが多い。しっかり受け止めてメッセージの意味を考えて下さい。良きことは有頂天にならず、良からぬ事も転ばぬ先の杖と受け止め精進して下さい。合掌

人を好きになろう H22.2.10

昨日、音楽サークルで青春を謳歌した頃の友人が遊びに来てくれた。かれこれ25年ぶりの再会となるでしょうか。彼女はサークルの中心的存在で明るく楽しく誰からも慕われ、いつも彼女の周りは笑いがあふれていた。歌手のイルカにとても似た小柄で可愛い人だったので、女性は勿論年下の男性にも人気だった。そんな彼女が意外な話を始めたのでビックリ。「自分は幼少の頃、喘息と皮膚病でいじめに遭い暗い子供だった。友達から汚いからあっちいけと仲間はずれされ、先生も私を嫌った。おまけに母は私を虐待した。高校になってやっと良い薬と出会い皮膚病も落ち着いてきた。その頃からこのままではいけないと思い、とにかく人を好きになろうと努力した」と言う。確かに手が荒れているのは知っていたがそんな過去があったとは思えないほど明るかった。彼女は今も保母さんをし、子供達にソフトボールを教えているという。人を好きになって今もズーと人と関わって生きている。昔も今も彼女の周りには人が取り巻き笑い声が絶えないのだろう。
「人を好きになろう」人生が変わる、変われる。自分の努力次第なんだと教えられた一日でした。
胃ガンで27㎏もやせたとサークル仲間から年賀状が届いていたが、みんな年を取ったんだなぁ。いつかみんなと再会したいと願う私でした。

親心(親の思い) H22.2.12

今日も朝早くから護摩堂の工事に五人の大工さん。頭領と職人さんの二人、頭領の二十代の息子さん二人の五人である。仕事が始まったや否や、大きな怒鳴り声。職人さんが頭領の息子を怒鳴っている。それを聞いた頭領、「本当お前はつまらんなぁ。何も考えとらん」と職人と一緒になって怒鳴っている。しかし、そのほんの一瞬声が小さくなった。私には我が子を思う親心がみえた。さぁ~今から仕事を始めるぞと気合いを入れてきたのに、第一声目に我が子が怒鳴られ、情けない思いと辛い思い複雑だったのだろう。、私は、隣の本堂で信者さんにメールを打っていたのだが、この光景を想像しながら一人心が篤くなった。厳しさと愛情たっぷりの頭領(父親)に育てられた息子さんは幸せ者だと。勿論息子さんも親の心しっかり受け取って、どんなに怒鳴られてもいつも笑顔を絶やさない。本当に二人の息子さんには感心する。これは父親からの教えなのだろう。
最近、日本人は親子関係希薄というが、父親は仕事の厳しさと生きるたくましさ、そして親心(親の思い)母親は優しさと温もり、安心と愛情、親心(親の思い)をしっかり我が子に伝えてほしい。それは、身口意、心と言葉と行いを持って伝えてほしい。子供は神仏からの預かり者です。しっかり伝えて下さい。それは、親の責務であり、我が子の為、そして代々引き継がれて子孫繁栄となるのです。
合掌

素直な心 H22.2.13

今日、TVQ「きらり九州めぐり逢い」見て頂きましたでしょうか。実物の方がもっと男前???
幸せ開運道皆さん幸せになってほしいと願っています。
話は変わって、先日の中高一貫の理科の先生の面接の方、内定通知が届いたそうです。安心しました。信者さんとの出会いは、信者さんの先輩から「うつ病の後輩にお寺のメールアドレスを教えました。彼女からメールがくると思いますが宜しくお願いします」と始まったのです。信者さんは昨年の12月15日私に初めてメールをくれました。
「はじめまして、先輩さんの紹介で連絡させていただきました。今私は適応障害という病気で、会社をずっと休んでいます。もう少しで休んで一年になります…」と。その頃の信者さんは、トイレと食事以外に布団から出ることができないと言っていましたが、私の話に素直に耳を傾け精進しました。2ヶ月足らずでここまで来たことは本人の努力に勝るものはないと思います。今日私が彼女に送ったメールです「この2ヶ月、いろんな事がありましたが偶然だと思っていますか?全ては与えらているのです。貴女が乗り越えなければならなかった問題!そしてクリアしたから内定も決まったと思います。もっと自信をもって下さい。大丈夫安心して前に向かって下さい。薬は少しずつ減っていくでしょう!それこそ慌てない。貴女が何故教員をするのでしょう?貴女なら苦しんでいる子供達の気持ちが分かるからだと思っています。良い先生になって下さい。いつでも私は貴女のサポートしますから」と。この2ヶ月、毎日朝晩、彼女にメールをしました。これからも彼女が私を必要とする限り続けていきたいと思っています。彼女の素直な心と実行力には頭が下がりました。人は素直が一番ですね。合掌

三つ子の魂百まで H22.2.15

先日、信者さんが話していたのですが、「三つ子の魂百までと言うけれど、幼少時代の性格や性質は年を取っても変わらないもの、本人が余程自分はおかしいと自覚して、変わりたい、変わらなければと思わないかぎり、どんなに注意、忠告しても、人はそうそう変わらない。」と。それを聞いて、今一番気になる信者さんを思い出した。どんなに話をしても私の言わんとするところを理解しようとしてくれない。三つ子の魂百なのか本人が自覚しなければ何も始まらないのか。どうしても理解してくれないので「お大師様、私は信者さんを導くことはできません。お大師様が助けて下さった信者さん、一旦お大師様にお返しします。後は宜しくお願いします」とお願いした。翌朝信者さんは夢を見たと手紙をくれました。どう考えても私についてこなければならない夢。お大師様は信者さんを導いて下さっている。有り難いことです。きっといつか分かってくれることを願っています。
もし、ご自分の性格で嫌なところがあったら、しっかり自覚して直しましょう。人から注意されたら謙虚に受け止めて直していきましょう。素直が一番ですよ。合掌

不安 H22.2.16

最近、スーツ姿のサラリーマンの参拝が目につく。不景気で仕事の悩みや不安、祈願成就色んな思いで参拝されているのでしょう。勿論仕事に限らず生きることは不安です。
先日の内定決まった信者さん、今、風邪をひき精神不安定なのでしょう。「復帰が今すごく不安です。一年以上働いてないのに、4月から勤務できるのか自信がないんです」とメールが届く。
確かに彼女は不安で当たり前かもしれませんが心を強く持ってもらいたいとメールを送る「大丈夫、自信をもって下さい。いらないこと考えない、楽しいこと考えて下さい。今、幸せに向かって動いているのです。神仏とご先祖様に守られていること信じて!信じられなかったらこれからの人生、前には進めませんよ。今日も病院帰りに国分寺に行ってきたのでしょう。大丈夫、安心して下さい。貴女の側には神仏、ご先祖様、そして家族みんな貴女のこと守って下さいます。安心して人生楽しみましょう。悩んでも何もなりません。今からいろんな事がありますが、どんなことがあってもプラス思考!絶対に何とかなるし、ならなかったらこうなる運命だったと諦める!臨機応変に対応しましょう!貴女の本来持ってい明るくて素直な心磨いて下さい。私は貴女を信じています」と。
お大師様のお言葉に「明暗 他に非ざれば 信修すれば 忽ちに 証す」とあります。意味は「自分の心の持ち様が明暗を分ける。教えを信じ、学び、心を磨けばたちまちに苦厄の意味さえ明らかにし、世の在り様が変わる 」と。全ては自分の心にあるのです。そして神仏、ご先祖様を信じることによって人は安堵するのです。どうぞ精進して下さい。そして幸せの道歩きましょう。合掌

お大師様の教え H22.2.17

お大師様の書物の「秘蔵宝鑰」に「遂んじて、十悪、心に快うして日夜に作り、六度耳に逆うて心に入れず、人を謗(ぼう)して法を謗して焼種の罪を顧みず。酒に耽(ふけ)り色に耽って誰か後身の報いを覚らん」とあります。意味は「仏の生命を受けた人間として生まれながら、その尊さを忘れて十悪を重ね、煩悩を作ることを快楽として日々の生活をしている。人間本来の正しい行である六度の行を説いても聞き入れようとしない。常に他人をけなし、仏法を誹謗して自らの菩提心の種を焼く罪を反省しようともしない。その上酒に酔いしれ、色に耽って、その報いが将来、我が身を亡ぼすことを知ろうともしない。」凡夫の私達の生活に対するお大師様の厳しい訓戒ですが、人みな、この世で菩提心を育て、六度の行に励むのが本来の人間生活です。六度の行に励む人を仏教では菩薩と言います。皆さんも六度の行に励んで人として生きる幸せの道歩きましょう。
六度の行=1、布施…施しの行 2、持戒…規律を守る 3、忍辱…恥ずかしめを忍ぶ 4、精進…正しい目的に努力する 5、禅定…心の静まり 6、智恵…正しい考え。
合掌

私確実に前進してます H22.2.19

「私確実に前進しています」昨日頂いたメールです。今朝は「今日も笑顔ですね」と始まった信者さんからのメール。また、四、五日前から電話をさせて頂いている信者さんがご自分から「今日も一日頑張ります」と電話を下さり、昨日の嬉しい、有り難い出来事を報告下さった。また「急には何も変わらない。でも諦めずに前に進みたいと思っています。時々進んでいるかなぁと不安になるけれど、幸せ開運道まっしぐらですね」とメールが届く。毎日幸せに向かって歩いている皆さんの嬉しい言葉やメールに私の方が元気を頂いている今日この頃です。
我が家の長男は、高野山の寺を出てアパートで一人暮らしを始めた。明日から娘は、京都の友人宅に居候して派遣の仕事に行く。何故なら四月から香川県のお寺の絵を貼る仕事に行くのだが三月までの条件で仕事が見つからないからだ。しかし、1ヶ月も共同生活を許してくれる友達をもつ娘は人徳があるのだろう。生きることは決して楽では無いけれど、後悔したくない、幸せになりたい。人それぞれに思いは違っても今日という日を大切に生きている。前進するために!今(20日午前1時)もメールが届く。私の返信メールに「許せる心……レベルアップしてきます」と。合掌

亀の遍路笠を胸に四国遍路 H22.2.21

今日から、亀の遍路笠の膵臓癌で亡くなられた方(弟のお嫁さん父)の供養の為に信者さんが四国遍路に出発された。彼女は義妹のお父さんのお見舞いに行き、「お父さんの変わりに四国遍路してきます」と約束をした。残念ながらその日に亡くなり、病気祈願ではなく、供養の遍路となった。
昨日、信者さんに「四国行き、頑張ってきて下さい。新仏様を背負っていくのですから、もしかしたら、とてもキツイかもしれません。 義妹のお父様のために四国巡拝と思っているでしょうが、ご自分関わるご先祖様も一緒に行きたがっていますから、しっかり連れて行って下さい。四国に行くことがご先祖様にとってどれだけ嬉しいことか、泣いて喜んでいます。良き功徳を積まれています。気合いを入れて、行ってらっしゃい。合掌」とメールをした。そして、今日信者さんから来たメール「こんばんは。高松に着き、夕食を終えたところです。ポカポカ陽気です。お天気も見方してくれているようです。義妹のお父さんの事ばかり頭にありましたが、亡き両親、ご先祖様に感謝してお参りしてきます。ご住職さんはお父様を背負ってキツイと、私の事を思っておっしゃって頂き有難うございます。ところがこれだけ沢山の人たちと四国遍路できる、賑やかだわと嬉しく思っています。遍路の途中から又メールします」と返信がきた。さすがの私も笑ってしまった。彼女は、自分の周りのみんな幸せになってほしいと私にうつ病の後輩を紹介した方でもある。今日、夕方後輩の信者さんから「お参りの仕方を教えて下さい」とメールが入った。私は「メールではなかなか難しいです。今度先輩とお会いしますね。彼女に教えてもらって下さい」と返信。その旨彼女に伝えると「すごいタイミングですね。了解しました。お参りは真面目に伝授します」と。なぜなら彼女は、後輩(四国の方)のためにお経本を上げたいと当山からお経本を買って四国に行ったからである。お二人の楽しい一時が眼に浮かびます。合掌

四国遍路 H22.2.22

信者さんからメールが届く「こんばんは。三年ぶりの四国です。天気は快晴。いよいよスタートしました。二番札所の極楽寺では、遍路百回を越えている方に出会い、握手してパワーを頂きました。私を含む六名。皆さんお遍路は初めてですのでお参りの声もバラバラで揃わない。私も三年前はこんな感じだったんでしょう。今はつまずきながらのお経ですが、遍路の終盤には、皆さん揃ったお経になる事でしょう。私も初心に戻ってお参りしてきます」
彼女は三年前自分探しの旅にでた。四国霊場、小豆島、篠栗……。今では、不動心、平常心、仏心揺るぎないものになっている。
最近彼女がくれたメールです。私も「本当の幸せを知ってしまったのかもしれません」最近そう感じます。しかし何故私はここまで来たのか?精進?した覚えもないし?自分が辿ってきた道なのにいつの間にか今に辿りついていた。
そして彼女がよく口にするのが「こだわらないことです。全ての事に感謝したら人はみんな幸せになれるのに」と。
三月三日、四国霊場高野山の旅を終えて、彼女は人としてまた一回りも二回りも大きく成長して帰ってくることでしょう。お会いできる日を楽しみしています。合掌

人から人へ幸せの輪は広がって H22.2.24

「神仏は信じられるけど、人は信じられない」と今日御礼参りにご来山下さった方の言葉。
きっと、人に騙され辛い思いをされたのでしょう。「これは前世の因縁、これで一つ因縁を落としたと心の修行して下さい。怨み辛みの心のままだと、来世もまた同じ事の繰り返しですよ」とお話をさせて頂いたのですが、人は人を愛し、敬い、和合して生きほしいです。それが神仏の願いですし私の願いです。みんな幸せになってほしいと「住職のひとり言」を書く理由です。
先日、いま四国遍路をされている信者さんと小豆島でご縁を頂いた方からメールを頂きましたのでご紹介します。
「〇〇さん、お四国に巡拝に行かれましたが、お天気に恵まれ、お元気に同行の方々とまわられている様子が「ご住職のひとり言」に書かれており、読ませていただきながら嬉しくなってメールさせていただきました。〇〇さんは四国をまわられていらっしゃる熊本の〇〇さんとお逢いできるかな?今治では会社の後輩だったK子さんとお会いして楽しい時間を過ごせるかな~と?自分が巡拝しているようでワクワクしてきます。(笑)いつも〇〇さんとメール交換をさせていただいて、「すごい人だな」と感じます。そして、年上の私がいつもメールを読ませていただき元気づけられているような感じです。今日、〇〇さんの事が書かれている住職のひとり言を妻に読ませましたが、妻もとても感心して、とても素敵な人らしいからお会いするのが恥ずかしいと言っています。(妻はお会いするのは初めてです)3月3日に息子も仕事のスケジュール変更が出来たので三人で高野山でお会いするのですが、とても楽しみになってきました。二番の極楽寺では遍路百回を越えている方と握手されパワーを頂かれたようですから、私も〇〇さんと握手して、その方のパワーを少し頂こうと思っています。合掌
本日届いたメールです。「連日のメール、失礼します。今日は父の月命日でしたのでお墓詣りにも行ってきました。お花は義妹が昨日お詣りし飾ってくれてありました。(感謝!)
以前から「お四国や篠栗霊場にもお詣りに行きたいな~、四国は無理でも篠栗霊場だとなんとか行けそうだし」と、時々息子に話していたのですが、息子が「篠栗に行っといで」とお金をくれました。数日前から「篠栗に行くにはどれ位いるのか」と聞いていたので、冗談半分で「資金をカンパしてくれ」と言っていたのが・・・・・
息子も今は派遣で頑張って、3年前のピースボート地球一周の旅以来の、昨年のフィジー短期語学留学に続き、今年予定していたイギリスへの語学留学(兼、観光)でお金が必要なのに、今年は長期滞在ビザが取れないので来年にしたと言ってくれました。もう少し暖かくなったら、是非、篠栗霊場に行きます。
 ~みんな みんな 幸せになぁーれ 幸せになるために 生まれてきたのだから~
この両親の子供に生まれてきて良かった。幸せと感謝出来ること(第1条件)
この人と結婚出来て良かった。一緒に人生を歩んで幸せだと感謝出来ること(第2条件)
この子供達を授かって幸せ。「私達の子供に生まれてきてくれて有難う」と感謝出来ること(第3条件)
・・・・・精進します。ありがとうございました。 奈良県 男性
〇〇さんとご縁を頂いた方々、皆さん幸せの道を歩いていく。そして、その幸せは人から人へ広がっていく。縁ある人みんなに幸せの輪広がっていったらどんなに素敵なことでしょう。お大師様のご誓願「密厳国土」この世は極楽浄土となるでしょう。合掌

感謝 H22.2.25

今日は結婚記念日。24年目を迎えます。その当時、母は入院中、癌との戦いで生死の狭間の中でした。そんな中、右も左も分からない家内がよく寺に嫁に来てくれたと感謝しています。
家内は毎月篠栗参りを恩師と同行し、当山の五剣の滝に打たれていました。そんなこんなご縁でこの寺に嫁ぎました。得度もしており、「真誠」と言う僧名を頂いています。
「誠をもって成せ」これが恩師から言われた言葉だそうです。
お陰で神仏に対する思いは私以上に強く、寺の仕事も不平不満を一度も口にしたこともなく、また、子育てに追われ自分の時間を持つこともなく今日まで来ましたが、やっと子育ても終わり時間に余裕が持てるようになりました。今日は感謝を込めて嫁さん孝行に行ってきます。では、皆さんも奥様を大切に。幸せのお裾分け受け取って下さい。合掌

女子フィギュアスケートに思う H22.2.26

バンクーバー五輪フィギュアスケート女子、日本勢は三人とも入賞を果たした。2位浅田真央、5位安藤美姫、8位鈴木明子。演技終了後の三人の涙は、語らずとも見えてくるこの四年間、そしてプレッシャーとの戦い。インタビューに浅田真央は、途中言葉が出ずやっとの思いで「自分でいま、できることはすべてできたと思います。(トリプル)アクセルは2回跳べたけど、他の部分でミスがあったので、納得はしていません。悔しいし、演技自体には満足していないけど、アクセルが跳べたことだけがよかった」と。まだ、誰もとんだことのないとトリプルアクセルを3回成功させたことは、女子フィギュアに歴史を残した。失敗を恐れずトリプルに挑戦した勇気に世界中が評価している。安藤美姫は「スケートをやっていて良かった」満足そうにインタビューに答えた。一番印象に残ったのは、鈴木明子が「最後のステップの時にこれで五輪が終わるのかなぁと思ったらもったいないくらい幸せな時間でした」と。世界中の五輪の選手達、自分の夢に向かってどれだけの苦しい練習に励んできたか、並大抵の努力ではなかったと思う。泣く人笑う人それぞれだけれど又次の五輪に向けて心新たに努力していくのでしょう。3人のインタビューを聞いて、私の人生も恐れることなく新しいことに挑戦していき、自分に自信と誇りを持って、たとえどんなに苦しくとも人生(仕事)を楽しめる心の余裕をもって生きていきたい。五輪の選手のように華やかさや地位や名誉はないかもしれないけれど、自分の人生に満足して生きていきたい。人にはいろんな生き方があるけれど、それぞれが人生の主人公なのだから、後悔しないよう生きていきたい。合掌

母の思い出 H22.2.27

今朝信者さんから「今日は素晴らしい一日になりそうです」とメールが届く。そのメールを見ながら母のことを思い出した。生前母がよく言っていた言葉に「朝、眼が覚めると今日はどんな楽しいことがあるかなと思って起きるとよ」と。母は常に前向きな人だった。母が嫁に来た頃、自家用車なるものはなく交通の手段はバスのみ。食事の用意をするにも竈(かまど)で火を熾し、水は山からひき(現在は井戸水)、風呂は台所からバケツで水を浴槽に溜め勿論薪をくめ湯を沸かした。昔話ではないけれど川で洗濯等。そんな生活をしていたから「人間は自然に囲まれた田舎に住み、文明的快適な暮らしをする事が一番幸せ」とよく言っていた。世の中に洗濯機がでてきた時ほど嬉しかったはなかったと。自動車免許、電子レンジ、冷蔵庫……快適に暮らせるものは何でも揃えていった。そんな母でしたが山間部にゴミ収集に来てくれないことはおかしいと役場に陳情に行った。しかしなかなかゴミ収集に来てくれないので、「ゴミ収集に来てくれたらいつでも税金を払います」と税金を払わなかった。一年後やっと二週間に一度ゴミ収集に来てくれるようになり全額税金を払った。母だけではなく山間部の方はみなさん喜んだと思う。母は私に「男は30までよ。30才過ぎると誰も何も言ってくれないよ。40になったら自分の顔に責任をもちなさい」と言っていた。私も55才、自分の顔に責任もてるようになったか?今母が生きていたら何と言うだろうか?きっと「まだまだ精進しなさい」と言うのだろう。母が生きてきた74年間を振り返ってそう思う。
家には子守りさんがいたのだが、祖母が留守の時は、母は昼休み学校を抜け出し、バスに乗って家に帰ってきた。昼食の準備をするとまたバタバタとバスに乗って学校へ戻た。幼心に「一緒に食べたい」ととても淋しい思いをした。しかし今思うと子供を思う母は凄い人だった。 私に取って母は、強くたくましく、そして厳しく優しい人だった。私を生んで育ててくれた母に感謝しています。合掌
信者さんのメールに癒されて(感謝) H22.3.1
信者さんからのメールに癒されましたので皆さんにご紹介致します。
「こんばんは。今日、久しぶりに写経(般若心経)をしました。正座しての写経でしたので後半には足が痺れて、我慢できずに膝を崩してしまいました(^_^;)。
早いもので、今日からもう三月。年を重ねるほどに一日一日が早く過ぎて行きます。いつもお風呂の中ではリラックスのため、防水型のCDプレーヤーで音楽を聴いています。その中に竹内まりやさんの「人生の扉」が入っているのですがこの曲には癒されます。」
♪人生の扉/竹内まりや♪
春がまた来るたび ひとつ年を重ね
目に映る景色も 少しずつ変わるよ
陽気にはしゃいでた 幼い日は遠く
気がつけば五十路を 越えた私がいる
信じられない速さで 時は過ぎ去ると 知ってしまったら
どんな小さなことも 覚えていたいと 心が言ったよ
 I say fun to be 20
 You say it's great to be 30
 And they say it's lovely to be 40
 But feel it's nice to be 50
 (訳詞)
 私は言うの、「二十歳になるのはたのしいこと」
 あなたは言うの、「三十歳になるのはすばらしいこと」
 そして、みんなは言うわ、「四十歳になるのは素敵なこと」
 でも、五十歳になるのもいいなって感じるわ
満開の桜や 色づく山の紅葉を
この先いったい何度 見ることになるだろう
ひとつひとつ 人生の扉を開けては 感じるその重さ
ひとりひとり 愛する人たちのために 生きてゆきたいよ
 I say it's fine to be 60  
 You say it's alright to be 70
 And they say still good to be 80
 But I'll maybe live over 90
 (訳詞)
 私は言うの、「六十歳になるのもいいんじゃない」
 あなたは言うの、「七十歳になるのも悪くはないわ」
 そしてみんなは言うわ、「80歳だってまだまだ大丈夫よ」
 でも、私は90歳過ぎまで生きると思うわ
君のデニムの青が 褪せてゆくほど 味わい増すように
長い旅路の果てに 輝く何かが 誰にでもあるさ
 I say it's sad to get weak
 You say it's hard to get older
 And they say that life has no meaning
 But I still believe it's worth living
 But I still believe it's worth living
 (訳詞)
 私は言うの、「弱るのは(老いるのは)悲しいこと」
 あなたは言うの、「老いていくってつらいこと」
 そしてみんなは言うの、「人生に意味はない」って
 でも、私は信じてる、生きるってすばらしいこと
 (価値があること)
 でも、私は信じてる、生きるってすばらしいこと
如何でしたか?私も信じています。人は幸せになるために生まれてきたことを!そして「あ~良い人生だったとあの世に帰っていくことを」
有り難いメールを有難うございました。合掌

亀の遍路の先輩と再会してパワー頂く H22.3.2

亀の遍路の先輩と一年ほどうつ病で休職していた後輩再会。28日ホテルで楽しい夕食。翌日は国分寺でお経の唱え方を伝授して頂き、先輩のパワーしっかり頂いてきたようです。そして不思議な夢を見たとメールを頂きました「今は新しい職場、私立中学校の諸手続きで忙しいです。住職さん素敵なことがありました。先輩のパワーをもらったからでしょうか?お経をしっかり唱えたからでしょうか? 今日も私は不思議な夢を見ました。体が急に、凄く軽くて、心も清々しくて、なんだかこう、心の奥からはずんでくるようなそんな感覚にとらわれたんです。さくら(インコの死22.2.8の住職のひとり言でインコを死なせてしまったインコの名前)が夢の中の私のところにきてくれた気がしました。だから「さくら?さくら来てくれたの?側にいるの?」って尋ねたんです。そしたら「うん、そうだよ。ここにいるよ」ってさくらが言った気がしたんです。「さくら、ごめん。本当にごめん。
私のこと怨んでないの?」って聞いたら「うん」と言って私の周りを飛び回ってはしゃいでいるように感じました。私自身凄く幸せな気分でした。姿も声も見えないし聞こえなかったけれど、「さくらが私のこと怨んでないんだ」って思えました。国分寺で先輩にお参りの仕方教わって、握手してパワーをもらって、その足で母方のお墓とさくらをお参りしてお経をあげてきたんです。母方の祖父は大の動物好きなので、きっと天国で可愛がってくれるだろうと思って、祖父のお墓の近くの木の下に埋めたんです。夢でさくらとお話ができました。さくらは本当に怨んでませんでした。命を奪ってしまった事は謝ってすむ問題ではありませんが、今日さくらに会って直接きちんと謝ることができました。私、必ず病気乗り越えて幸せになります。それと、この話、母にしたら共感してくれました。否定されると思っていた父も受け入れてくれました。今までの父なら「絶対にそんなことあるか」と確実に否定しましたが………父が少しずつ変わってきました。神仏のパワーは凄いですね。許せる心、愛する心。精進します。」と。
彼女は今14日の駅伝(5㎞)に出るためランニングをしているそうです。そして「今日も心安らかで楽しかったです」とメールをくれました。有り難いメールでした。合掌

感動 H22.3.3

日に日に護摩堂の形がはっきりしてくる。完成するのが楽しみだ。
頭領に大工の道に入った動機を尋ねると「何もないゼロから新しい物が出来てゆくところに感動を覚えたから」との事。そして付け加えて「出会いが大切、感動する事が大切」と。
自分はどうだったか考えた。自分の場合は 修行時代、毎日の苦しく辛い行にだんだん魅力を感じ、特に護摩行の時は回を重ねるうちにとりこになっていった。何故なのか自分にも分からないが面白く、楽しかった。今、念願の護摩堂の建立に向かって、沢山の方々のご浄財を頂きましたこと、皆様の色々な願いや思いを考えると一層責任を強く感じ、初心にかえりもう一度、己の心のあり方を見つめ、人としてどうあるべきか、自分の人生をしっかり見つめ、充実したものにしたいと精進を誓う今日この頃です。合掌

結願 H22.3.4

亀の遍路の方無事結願。「元気ハツラツで廻った四国。最後(88番)は笑顔で終わると思っていました。ところが本堂でお経をあげようとした時、耳元でフッと息をかけられたような、お父さん(闘病中の弟嫁のお父さんの変わりに四国遍路に行って来ますと約束されたがその日お父さんは亡くなられた)と感じました。自然に涙が出てきてお経をしっかりあげることができませんでした。お参りを済ませ「証」をお父さんの名前で頂こうとしたら、本人以外はダメですと断られ、また、涙が出てきました。本人は来たくても来られなかった。一緒にお参りしたのに、でも、「証」は単なる紙切れこだわる必要はないんだと思ったらスッキリしました。四国に乾杯、お大師様有難うございました」と。
また、こんなメールも頂きました。「何故、今四国なのか。後輩の件もあるでしょう。そして新たな出会い(ご縁)。自分が意識しても、しなくても私の人生、目的に向かっている。最近そう思えるようになりました。」
この世には、偶然というものは一つもない。四国遍路をされたことも、沢山の方と出会ったことも全て必然です。それは、彼女に必要だから。「人生の目的に向かって 」素晴らしいことですね。人それぞれ人生の目的は異なりますが、自分が信じる道を歩いていく。それが世のため人のためであるならばこんな素晴らしいことはありません。決して楽な道ではないけれど、神仏に守られてただただ信じて生きていく。[あ~良い人生だった]と最後の結願を迎えたいものです。本当にお疲れ様でした。合掌

美しく自分を染め上げて下さい H22.3.6

三月は卒業の季節。9年前長男が小学校卒業の時に、担任の先生が下さったプリント「美しく自分を染め上げて下さい」が捜し物をしていたら出てきましたので紹介します。
赤ちゃんの時は白 誰でも白 どんな人でも白
体や心が育っていくのと一緒に その白を美しく染めていく 染め上げていく・・・
毎朝 目が覚めたら 今日も一日 嘘のない生活を送りたいと祈る
夜 眠る時に 振り返って その通りだったら 「有難う」とつぶやく・・・
人には優しく 自分には厳しく これを続けると 白は素晴らしい色になる
人をいたわり 自分を鍛える これが重なると 輝きのある色になる・・・
何もかも忘れて 人のために働く 汗は気持ちよく蒸発し くたびれも喜びとなる・・・
生まれてきたからには 良き方向に進め 体や心を大きくするには よき道を選べ
急がずに 着々と 自分で自分を 美しく より美しく 染め上げて下さい
あれから9年。子供達はどんな色に染まっているのだろうか?また、これからどんな色に染まっていくのだろうか。そんなことを考えていたら、先生の思いは、救済行に励まれたお大師様の思いと同じと思えてきた。私達は「仏の子」です。自分の心の中の仏性をひきだし、心は清く美しく、そして世のため人のため生きていく。そうお大師様は私達仏の子に願っているのではないでしょうか。
私達人間は自我が強くなかなか難しいことかもしれませんが、大宇宙のエネルギーを自分に取り入れ、風が吹くように光がさすように心に光を放ってこの身このまま仏になる。それはお大師様の説かれた即身成仏の教えだと思います。合掌

普段の生活に小さくても沢山の幸せ H22.3.7

今日頂いたメールです。「祖聖大寺とご縁を頂いて、ご住職様と出会えて、幸せが増えました。そして普段の生活にも小さくても沢山、幸せがあるってことを気付かせて頂いています。これからも宜しくお願い致します」と。「 小さくても沢山の幸せ 」素敵な響きです。この世の一番の幸せは、この世に生を受けた事。そして何事もなく一日が過ぎていく事。健康で仕事ができて、世のため人のために何かができること。自分の命を生かせること。しかし、目の前に沢山の幸せがある事に気付かない人が多い。もう一度幸せとは何なのか考えてほしい。人は日々の生活を損得だけで考えて幸せ、不幸せを判断しているように思う。一番大切なことは、心ハートで物事を見ること。地位や名誉やお金で判断してはならない。日々の生活の中に幸せを感じて生きていくためには、人として美しく生きて家族が心を一つにして仲良く明るく生きること。どんな小さな事にも感動すること。子供が、初めて笑ったときのように、初めて歩いたときのように、感動して見て下さい。人生が楽しく幸せになりますよ。嘘だと思ったら実行してみて下さい。かなりのエネルギーがいりますが、習慣付いたらなんていうことはないです。幸せになるために精進してみて下さい。自信がない方はメール下さい。アドバイスしますから。合掌

ご縁 H22.3.8

先日のテレビ放映で、たくさんの方から「テレビ見ましたよ」とよく声をかけられます。その中で一番有り難かったのは、坊守が独身時代に勤めていた上司が尋ねてきてくれたことです。かれこれ27年前退職しての再会。お互いに話が尽きることなく三人で楽しい時間を過ごさせて頂きました。数日後「親戚が和菓子屋を経営しているので」と手土産に和菓子をお持ち下さいました。これがまた美味しい和菓子で感動しました。お話を聞いていると、その和菓子屋さんはどうも時々お参りに来て下さる方ではないかと思えてきて、「一度尋ねてみて下さい」と別れていました。そして今日、また和菓子を手土産にお持ち下さり「和菓子屋の叔母夫婦は、祖聖大寺に時々お参りしているそうです。ひと月程前もトイレのお札を買いに行きましたよ」と。世間は広いようで狭いですね。人の縁とは不思議で有り難いものです。本当にご縁に感謝します。今度お参り下さる日が楽しみになりました。もし博多区板付七丁目板付新橋際付近をお通りの際は都餅本舗「山崎」を覗いてみて下さい。美味しい和菓子と素敵なご夫婦に出会えますよ。
話は変わって、次男坊が夢と希望を抱いて東京に行ってから昨日で一年になりました。どうなるかと心配していましたが、何とか新聞奨学生として2時半に起床、新聞配達を何とかこなしているようです。末っ子で甘えん坊だった息子が、一人前にお給料を頂き親に何の援助も受けずやり繰りもしている。感心しています。そして感謝しています。しかし、どうも自分の思っていた学校ではなかったとさぼっているようです。まぁ~どうなるかは分かりませんが本人が決めること。人は縁によって自分を生かせたり才能を伸ばして頂いたりする。息子が良い縁を頂いて自分を磨いていってくれたらと陰ながら祈るのみです。縁を頂くためには、先ず行動をとらなければ何も始まりません。どんどん外に出て行き沢山の方とご縁を頂きましょう。
合掌

感謝 H22.3.9

今日は、3月9日=サンキュー。感謝の日でしょうか。人が幸せになるためには一番大切な心、感謝。今日はどれだけ感謝の心を持って過ごせましたか。朝、目が覚めたことに感謝=生きていることに感謝。 食事をいただけることに感謝=夫が働いてくれることに感謝=食事を作ってもらえることに感謝=食事を美味しくいただける健康な体に感謝。働ける仕事があることに感謝。 風呂に入って一日の疲れをとれることに感謝。一日を振り返り体を休める家があることに感謝。探せばいくらでも出てくる。一日の中でたくさん感謝を見つけて下さい。たくさん見つけられた人は幸せになれるのです。自分の置かれている状況が当たり前だと思い感謝ができなかったら残念ながら幸せにはなれません。毎日毎日「有り難い、有り難い、感謝、感謝」の日々を送って頂きたいと思います。それは神仏の願いですし、私の願いです。合掌

知恩 H22.3.10

昨日、信者さんが「主人が亡くなって初めて、私は主人に何をしてあげただろうか。何もしてあげていない事に気付きました。気付いた時には主人はいないのですから」と。隣でお連れの信者さんが話をされていたこともあって何も返答ができなかった。何故なら、自分も家族に何をしてあげているだろうかと思ったからです。そして私が今こうして生きているのも生かされているのもたくさんの恩によってここに存在する事を改めて感じたからです。インドのサンスクリット語で「恩」という語は「~なされたことを知ること」と書かれています。
仏教の恩は「恩を知ること」知恩です。~なされたことを知るということはやはり感謝です。そして感謝の心は、言葉や行動によって初めて相手に伝わる。信者さんが言われた「気付いたときには主人はいないのですから」この言葉は頭をたたかれたような思いでした。もし、今家族がくなったとしたら私は「家族にできることは全てしてあげたから何も思い残すことはない」と思えるだろうか。まだまだ当たり前のことに感謝が足らない。いつか人は亡くなる。当然自分も死を迎える。もっと恩を感じて生きていかなければと感じた一日でした。
合掌

嬉しいメール H22.3.12

うつ病だった信者さん「こんばんは。夜分すいません。話を聞いて下さい。 前向きなメールです。
うまく言えないんですが、私さくら(可愛がっていたインコ)が死んでなければ今こんなに良くなっていないと思います。前は、家の中でいつもさくらを肩に乗せて、寝たりテレビ見たり ……。さくらといつも一緒だから、一人の寂しさが減って、辛い時間も少なくなりました。でもあのまま、さくらと楽しいだけの生活じゃ、自分から動くことも出来なかった気がします。さくらを死なせてしまったからこそ、その供養第一で、お墓へ行きたい、お寺に行きたいという気持ちなり、気分の良い日は外出し始めました。それが実家に戻ってからの自発的な初めての外出でした。お陰で、今は一人で遠い父方のお墓までお参りに行けるようになりました。何もない日は、さくらにお経をあげに行こうと外出します。ただそれだけで、外出した達成感からか、ウキウキした一日です。さくらを死なせたあの時住職さんの言葉は、正直、私への慰めにしか聞こえませんでした。でも、今はさくらは命を代償に私に幸せを運んでくれたんだと思います。まだまだ幸せの途中ですが、住職さんと出会った、ベットから出れない時に比べたら今は幸せです。外出が億劫だった頃に比べたら今はもっと幸せです。そんな小さな幸せも気付ける心は、さくらからのプレゼントなんだなとふと思いました。さくらは、幸せを運ぶ鳥。だったんだなって、今改めてそう感じます。まだまだ幸せはここからですよね。私、頑張れそうです。
どうしても今、伝えたかったのでメールしちゃいました。すいません。では、おやすみなさい」(3/12 AM1時4分)
私「こんばんは。観音様とお大師様が、貴女の幸せのために選ばれた方法です。さくらは死んでしまったけれど観音様が極楽浄土に連れて行って下さり幸せに暮らしています。(彼女はインコが亡くなった日女の人がインコの亡骸を連れて行く夢を見ました)そして見守ってくれています。ご先祖様もお経をあげてもらって有り難く感謝で貴女を見守って下さっています。安心して幸せの道歩いて下さい。今から起こる全ての問題は貴女に必要だから起こる。しっかり受け止めてプラス思考で対処して下さい。」
信者さん「さくらの幸せは私の幸せです。観音様、お大師様、凄い方々ですね。そして尊い………。さくらが幸せに暮らしていると聞いて涙がでました。少し落ち着いて眠れそうです。有難うございます。おやすみなさい。」と嬉しいメールを頂きました。4月から念願の理科の先生として頑張っていかれるのだが、そろそろ一日2回のメールも必要がなくなりそうだ。心から幸多かれとお祈り致します。生きているといろんな問題が起こります。しかし、それは、幸せになるために、何かが変わるため起こっていることを忘れないで下さい。それは、神仏からのお慈悲です。前向きに対処して下さい。辛いときは愚痴をこぼしにお出かけ下さい。メールでもかまいません。待っています。
合掌

自信と誇りをもとう H22.3.13

昨日のメールを読まれて喜びのメールや色々なメールが届く。
もっと自分に自信と誇りをもとう。夢を語り、励まし合い、笑って踊って人生楽しもう。悩んで良くなることは、多いに悩み、悩んでも仕方がないことは悩まない。現実をしっかり受け止めて諦める(明確に見る)。悩むことが既にこの世の地獄。地獄になんか住みたくないでしょう。地獄も極楽も自分の心がつくりだすもの。そのことをしっかり自覚して、自分の性格を変えていこう。悩み出したら、クリヤボタンを押してゼロから始めよう。
素直が一番です。肩の力を抜いて、目元は優しく輝いて、言葉は穏やかに……。人それぞれ自分らしく生きてほしい。人間の強さは、権力やお金ではない。どんなときでも、自分に自信と誇りをもち、 慈悲の心を忘れず笑っている人だと思います。神仏は見ていますよ。頑張る人には時期が来れば手を差し伸べて下さいます。幸せになるために精進して下さい。

悩み H22.3.15

人は、悩んで悩んで苦しんで成長していく。
仏教を学び、信仰心をもてばもつほど、悩みは大きくなるのかもしれない。
何故なら、人として立派に生きようとすればするほど、葛藤し自信をもてなくなり自己嫌悪に陥っていく。しかし、それはそれで己の弱さを知るためには大切な時間。全てを受け入れて向上心を忘れず、悩んだ末、自分の心の垢が一枚、また一枚はがれたと喜べることが大切です。それを繰り返し繰り返し人は成長するのです。なぜならば、人間は神様仏様ではありません。だから、常に仏心を忘れず仏道を歩くのです。合掌

彼岸 H22.3.17

明日から彼岸です。春分、秋分の日の前後三日間の一週間、皆さんは、仏壇を掃除し、花やお供え物をしたり、お墓参りをしたりしてご先祖様に感謝をされることでしょう。
彼岸とは、「悟りの世界」という意味で、悟りを開くために仏教の教えを学び、中道(彼岸は昼と夜の長さが同じになるので真ん中という事)右にも左にもかたよらない、正しいものの見方、考え方を身に付け、この世に極楽の世界をつくるという仏教週間です。
悟りの世界にいくためには、私達が今この世に存在していることへの感謝。命の継承である両親とご先祖様に感謝なくしては始まりません。
お墓参り、両親がご健在なら親孝行、自分の命の継承である子ども達や、孫達、家族みんなが心を寄せ合って、仲良く楽しく過ごせる一週間であってほしいと思います。そのことを、次世代へ伝えていくこと、子孫繁栄に大切なことです。
今日はいい日だった。今日もいい日だったと、毎日楽しく、輝いて生きてほしいと思います。
私も明日は良い日になりそうです。亀の遍路の方が福岡に出張に来られ帰りにわざわざご来山下さいます。偶然にもその日は弟嫁のお父様の49日でもありビックリします。見えない何かが動いているのでしょう。心から神仏に感謝します。
話は変わって、当山信者さんのお孫さんが甲子園に出場します。福岡県代表、自由が丘高等学校です。応援宜しくお願い致します。合掌

仏性 H22.3.20

お大師様は、般若心経秘鍵の中に「真言は不思議なり、観誦(かんじゅ)すれば無明を除く。一字に千里を含み、即身に法如を証(あか)す。行行として円寂に至り、去去(ここ)として原初に入る。三界は客舎(かくしゃ)の如し、一心はこれ本居(ほんこ)なり」と説かれています。
意味は「真言は不思議である。本尊を観想しながら唱えれば、無知の闇は除かれる。一字に千の道理が含まれ、この身このまま真理をさとることができる。悟りを目指して精進すればさとりの境地(彼岸)に到達する。迷いの心は本来もっている人間の姿ではなく、仏性こそが本来もっている人の姿である」彼岸に達するということは、自分が仏であることに気付き、仏心をもって言葉と行動をとって生きていくこと。どんなことがあっても、常に慈悲の心と平常心をもち、心はいつも穏やかで平和であることです。

ご入定 H22.3.21

今日は、お大師様が高野山の奥の院にご入定された日です。
承和2年(835年)3月21日62才でした。
真言宗では、お大師様の死をご入定(悟りの境地に入った)といいます。
それは、大日如来とひとつの境地になられて、今もなお私達を見守って下さっていると考えられているからです。
その年の高野山での、万灯万華の大会の時、お大師様はその願文の中で次のように語りました。「虚空尽き、衆生尽き、涅槃尽きなば、わが願いも尽きん……」
意味は、この宇宙法界がある限り、命あるものがいる限り、悟りの世界がなくならない限り、この世のすべての衆生が救われるまで私の願いは尽きない、私の願いはすべての衆生を救うことだとご誓願をたてられたのです。衆生のため身命を惜しまず尽くし、今も尚私達を救うため日夜走り廻って下さるお大師様。数年前の師走に「そなたの忙しさなど私の足下にも及ばない」と言いれたお大師様。本当に有り難いことです。
お大師様の一生は、勉強と修行、民衆の救済活動、日本の文化への偉大な貢献、いろは歌、日本で初めて創られた庶民の学校、満濃池の堤防工事等、自分のすべてを与え尽くした人生でした。そして1200年経った今でも人々に親しまれ私達を見守って下さっているです。
今日、信者さんとのメールのやり取りの中で「仏教を広めて幸せになってもらいたい」と思っていた私は、間違っていたことに気付きました。「幸せになってもらいたいから仏教を広める」これが正しいことだと。どうか、幸せになるために心を開いて下さい。そこから幸せの道は始まります。どんなに私が幸せの道を語っても、あなたが幸せになりたいと仏教を学んで行動をとらない限り幸せの道は始まりません。
幸せの道歩いて下さい。合掌

即身成仏 H22.3.22

お大師様が開かれた真言宗は密教です。密教は即身成仏を目指します。
即身成仏とは、日々仏の行いをし、仏の言葉を使い、仏の心、真心と慈悲の心もって、生きて仏になることです。=自分の中の仏性を引き出すことです。
しかし、人は、仕事に生活に追われ仏性を忘れてしまいがちです。
そこで、仏の心を思い出し、取り戻す時間が必要になってきます。
それが朝夕の読経だと思います。お経(真言)は不思議です。心が穏やかになります。見えない神仏、ご先祖様のお力が動いているのでしょうか。時間がなくてゆっくりお勤めできない人が多いようですが、先ずは続けてみて下さい。その内に拝まずにはおられなります。それから、心を込めて拝めばいいのです。お経には色々な意味があります。しっかり、仏教の教えや神仏、お大師様、ご先祖様の思いを受け止めて下さい。例えば「ご宝号」原文 「高野の山に身をとどめ、救いのみ手を垂れ給う おしえのみおやに帰依してたてまつる 願わくは無明長夜の闇路をてらし 二仏中間の我等を導きたまえ 南無大師遍照金剛」……意味は「高野山に身をとどめ、救いの手をさしのべて、仏の教えをひろめるお大師様に帰依いたします。願うことなら、迷い、苦しみの長い暗闇のこの世を照らし、お釈迦様と未来に出現される弥勒菩薩様とのあいだ、私達を導いて下さい。南無大師遍照金剛」と救いの手を差しのべて下さるお大師様に帰依します。私達を幸せの道に導いて下さいとお祈りしているのです。合掌

般若心経 H22.3.23

八世紀前半に伝えられた般若心経は、今では日本人に最も親しまれているお経です。神前には宝の御経、仏前には花の御経と言われるほどありがたいお経です。
お大師様は、般若心経を「すべての苦しみをのがれるための最高の呪文(真言)」と言っています。この時代は、仏教のむずかしい教理を説くのではなく、ありがたい簡潔な呪文が、災いを祓い、幸福をもたらす壌災招福のお経として民衆に親しまれ広まりました。
今日では、般若心経は人生を幸せに生きるための「智慧」が書かれたお経として親しまれています。簡単にいうと、こだわらない、とらわれない「空」の心で、迷いがあるから悟りがあると現実をしっかり見つめプラス思考で前向きに仏の教えを信じ実行し、自己をしっかり見つめ改革し、自分を信じ神仏を信じて、生きて仏(悟る)となり、心は安らぎ幸せの世界にいくと書かれています。
その方法として人々は、読経したり写経したり座禅をして真実の幸せを求めているのです。合掌

愛染明王 H22.3.25

昨日、待ちに待った愛染明王様が長崎の方から奉納された。
真言宗では、愛を説かれた理趣経というお経を読経しますが、解釈次第では大変なことになると、お大師様は、あの天台宗の開祖最澄さんにもお貸ししなかったくらいのお経です。
愛染明王様は、愛欲など心の迷いがそのまま悟りにつながる事を示す明王。外相は、分怒暴悪のお姿であるが、内証は愛をもって衆生を解脱させる意趣がある。赤色の日輪を背にし、身色は赤。三目六臂で弓矢など趣々の武器を手にしているが、三徳、降伏、衆生の五智、息災、敬愛、増益などを表している、ありがたい仏様です。どうぞ、ご縁を結んで頂きしっかり御利益頂いて下さい。合掌

愛に生きる H22.3.26

愛染明王様開眼供養は31日に執り行います。ご縁ございましたらお出かけ下さい。
人は、何故暗闇の世界へ自分から進んで入って行こうとするのだろうか。人を怨み人を憎み、社会や世の中を怨み、自分で自分を苦しめている。何も良いことはない事に気付いているはずなのに、こだわって、とらわれて、地獄の世界へ入っていく。私が一番辛いのは、家族で憎しみあっていること。まだ、開眼されていない愛染明王様の前で座禅をしながら話しかける「愛染明王様、私はこの日が来ることをどれだけ待っていたでしょう。本当にようこそお越し下さいました。これから、どうぞお力をおかし下さい。人は愛なくしては生きられません。しかし、人は愛に飢えているにも関わらず、素直になれなくて、心とは裏腹な行動をとってしまいます。また、寂しさから過ちを犯してしまいます。人々に本当の愛を諭して下さい。愛情をもって生きることがどんなに素晴らしい事なのか諭して下さい。」とお願いした。昨日も「寄りを戻しなさい」と信者さんにお話すると「やっと別れて解放されたのにそれは考えていません」と、それを聞いていた娘さんは寂しそうな顔をされました。子どもにとって父も母も大切な存在です。たとえ離婚の原因が父親の我が儘だと分かっていても、子どもは寂しい思いをしていることに母親は気付いていないし、子どもの気持ちよりも自分の気持ちを優先している。また、親は子を心配する余りに子どもに小言を言う。それを子どもは自分は親に愛されてないと思い、親を憎む。お互いに我が儘がでるのが家族だが、もっと愛情あふれた明るい家庭を築いてほしい。幸せの大元、子孫繁栄の基礎ですから。愛染明王様宜しくお願い致します。人々を幸せの世界へとお導き下さい。合掌

母(親)の思い H22.3.38

御茶引きをしている夕方、駐車場に着いた車の中から誰かが手を振る。「私、来ちゃいました」2時間半かけて長崎からわざわざのご来山。先日「愛染明王様とお会いしたいです」とメールが届いていたのだが、この日を逃したら、いつ来れるか分からないと飛んできたらしい。彼女の行動力には感心する。
それだけ観音様にお会いしたかったのでしょう。
信者さんは、若いのに信心深く、氏神様をお参りしたり、塩で家を御祓いしたり、お墓参りをしたりよく精進している。今、子供のために成就したい願いがあり時々不安になるのだろう。しかし、今日お祈りしたらお観音様が側について下さっているのが分かったので安心した。お観音様がどう結果を出されるのかは分からないが一番良い結果を出されることは間違いない。帰り際、彼女は「帰りたくない、帰りたくない」と可愛いことを言われたが、それを聞いていた今度小学一年生になる息子が「ボクは帰りたいよ」と言うと、「そうだね、そうだね」と渋々帰っていった。23時半「無事着きました。やっぱり今日行って良かったです。明日からまた、笑顔で前に進みたいと思います。今日も長々有難うございました。いつも感謝の気持ちで一杯です」とメールが届く。
「母は強し」と言うけれど、子供を思う親の思いほど尊いものはないと改めて思う。
子供がどれだけ親の思いを受け取ってくれるのか分からないが、もう一度私達大人は、自分を育ててくれた親の思いにはせることは大切で必要な事ではないかと思う。勿論それは感謝の念を引き出すために!人として生きるために!合掌

恋人がほしい H22.3.29

最近とても恋人がほしいと思うようになりました。結婚して家庭を持ちたいです。でも、寂しがり屋の私は「騙されやすいらしく、変な男につかまるよ」と色んな人に言われます。
私は、いつになったら恋を楽しめるのでしょうか?
「貴女は今、寂しいから恋人がほしいと思いますよ!だとしたら相手のことを冷静に見ることも出来ず過ちを犯す事もあるのではないでしょうか?そして、心は傷つき、人を怨み、人生を怨むことになるのではないでしょうか?私が貴女に望む恋愛は、貴女が生き生きと人生を楽しみ、女性として美しく輝いている、そんな貴女に惚れた人と恋愛をしてほしいです。そして、お互いに尊敬し合える素敵な恋人同士になったとき、二人で力を合わせ素敵な家庭を築いてほしいと願います。寂しさからの結婚は、相手を束縛して窮屈な居心地の悪い家庭を築くことになると思います。先ずは、自分を磨きましょう。感謝と思いやりを忘れず、人として美しく生きましょう。素直な貴女なら出来ますよ。いつか素敵な彼氏を紹介して下さい。楽しみにしています」合掌

私の結婚は間違いですか? H22.3.30

「昨日のブログの恋人募集中の話ですが、寂しさゆえの私の結婚は間違いですか?何のために結婚したのでしょうか?赤い糸はなかったのでしょうか?」とメールが届く。
この世の中に偶然はあり得ない。すべて、神仏から与えられたご縁。それは前世から始まった、望もうと望まなくとも与えられたご縁。親子の縁から始まって、赤い糸で結ばれていた縁、そして子供との縁。
すべて決まっていた縁ですから、ご主人との結婚は間違いではありません。 貴女がこの世で与えられた修行、乗り越えられるから与えられた修行です。何故なら、本当の幸せをつかむために与えられた修行だからです。もし貴女の結婚が寂しさゆえの結婚であったならば、今からでも遅くは遅くない。貴女が生き生きと人生を楽しみ、美しく輝いている女性になれば良いのです。そんな貴女にご主人が惚れなおすよう精進してほしいです。貴女が変わればいつかご主人も変わるはずです。そして、お互いに尊敬し合える素敵な夫婦になって明るい家庭を築いてほしいと私は願います。先ずは自分を磨きましょう。感謝と思いやりを忘れず、人として美しく生きましょう。当山とのご縁を頂いた貴女はもう既に幸せの道を歩いています。一歩一歩幸せを踏みしめて歩きましょう。今まで離婚もせず辛抱してきたのですから大丈夫、神仏はお力を貸して下さいます。
本当の幸せをつかみましょう。そして、この世で本当の幸せをつかんだ貴女は素敵な来世が約束されているのです。合掌

愛染明王開眼法要 H22.3.31

今日は、愛染明王様開眼法要を厳修。奉納頂きました梶原様、長崎からわざわざお越し下さいました。「生前主人が、祖聖大寺様にも愛染明王様を奉納したいと申しておりましたが、主人の願いがやっと叶うかと思うと、昨日は嬉しくて2時から眠れず朝を迎えてしまいました」と疲れた様子もなく嬉しそうにお話下さる梶原様に、感謝とその思いに報いるように精進していかなければと心新たに誓うのでした。又、愛染明王様の開眼法要にご縁を頂きました皆様に感謝申し上げます。有難うございました。
梶原様は私に「私はこれからどうなりますか。肝硬変は悪くなるばかりですし、体のどこも悪いです。後何年生きられるでしょうか」と尋ねられました。私は「もし私が、貴女に何年後何歳で死にますよと、言ったら梶原さんは元気に生きられますか?きっと、何年後に死ぬのかと思うと、何も手に着かず意欲的に生きていくことはむずかしくなるでしょう。分からないから、人生は楽しいのです。夢や希望がもてるのです。梶原さんは、まだ神仏から生かされています。まだまだ残された時間大切に生きて下さい。子や孫に生きる事の素晴らしさ、感謝と思いやりの大切さ、家族の愛情、絆の大切さ、被爆し年を重ねてきたから言えること沢山あると思います。生かせいのちです。まだまだ頑張って下さい」とお話させて頂きました。
無事開眼された愛染明王様に、「どうぞ愛の大切さをこの世に生を受けたすべての方に諭して下さい。そして幸せをお与え下さい」と願うのでした。合掌

新たなる旅立ち H22.4.1

今日から新年度。夢と希望に満ちた新社会人、新たなる人生の出発点。どんな人生が待っているのか、誰にも分からないが社会人としての責任と、大人としての自己改革をしてほしい。
今日も信者さんとのメールのやり取りの中で「何度も何度も同じ事言われてますよね」と返信メールが届く。人はそれぞれ持って生まれた性格も生まれ育った環境も違う。長年生きてきて、そう簡単にものの見方考え方性格を変えることはむずかしい。だから、繰り返し繰り返しして自己改革していくのです。子育ても同じく、同じ事を繰り返し繰り返し教えていくのです。大人でも出来ないのですから子供も出来なきて当たり前とゆっくり慌てず子育てする事が大切です。話は飛びましたが、我が家の長男は、新たなる挑戦を始めた。高野山大学4回生と専門学校掛け持ちで頑張るようだ。しかも生活費をアルバイトで稼がなければならないのだが、両立できるのだろうか、奨学金をきちんと返していけるのだろうかと親としては心配している。しかし、自分で決めたこと責任を持って夢に向かって頑張ってもらいたい。末息子はと言うと、専門学校退学した。先生に「お前は〇〇科の方が向いている」と言われ変更したのだが、授業がハードだったらしく新聞配達をしている息子にはついていけなかったらしい。これも縁なのだろうが、結局2年契約の新聞配達を終了したら、来年大坂の専門学校に行くよう進路を決めたらしい。山の中で育ったからなのだろうか、我が家の子供達はそれぞれに夢を持ち、自分の道を歩いている。夢は夢で終わるかもしれないが、人生は一度しかない。今したいこと出来ること後悔しないように頑張ってほしい。勿論大きな壁に何度も何度もぶつかるだろうが、必ず乗り切って人として成長してもらいたい。そのためにも、神仏に手を合わせ、ご先祖様に守ってもらって導いてもらえるよう精進してもらいたい。私も陰ながら祈ります。合掌

思い出 H22.4.2

33年前の今日、私が高野山大円院へ小僧として入った日です。右も左も分からず、慣れない寺の仕事にあたふたとしたものでした。大円院の住職が私のお師匠ですが、修業時代、師匠は何一つ教えてはくれませんでした。4年前に師匠もこの世を去り、最近生前に言っていた師匠の言葉が思い出されます。「坊さんは拝まないかんぞ」と。その当時は当たり前の事と思い聞き流してました。。坊さんは神仏を拝むのは大切。更に大切な事は、どんな人でも拝めるようになる事。更には、「人からも拝まれるようにならないかんな」とも思うようになりました。正に師の言わんとする所ではなかったかと思います。
もう一つは私が仏事の事でどうしても分からない事を尋ねた時、色々アドバイスをしてくれた事を覚えています。弟子がやる気を起こした時、大変力づけてくれた方で、弟子の育て方が上手いかたでもありました。今の自分があるのも師のお陰としみじみ感じております。このような僧侶にならないかんなとも感じるこの頃、よく”孝行したいとき親はなし”と言いますが、私の場合”師の喜ぶ顔を見たい時、師はなし”でしょうか。師のいなくなった今、もう一度、自分の心を見つめ”自分はこれでいいのか”との思いで日々を精進して行かねばならないと感じてます。 合掌

有り難いご縁 H22.4.4

今日、昨日と修行道場。今回は、奈良県から参加下さいましたご夫婦には頭が下がりました。前日のお昼に家を出られ、パーキングで休憩しながら3日の9時半に篠栗に着いたそうですが、「さすがに疲れました」と笑ってお話下さるご主人は大変さわやかな方でした。
メールで何度かご縁を頂いていましたので、もう昔からの友人のように親しみの感じるさわやかなご夫妻でした。無事修行道場を終え、昼から6日まで篠栗に滞在して篠栗霊場巡りをされ、その後大分に足をのばし、大分観光を楽しむそうです。これもお観音様のご縁、奈良県のご夫妻の思いに恥じぬようこれからも精進してまいりたいと思いました。
話は変わって、今日は観音様に「どうしたら人は幸せになりますか」と尋ねてみました。すると「笑って暮らせばいいんです」と答えが返ってきました。人は、不安や悩み、怨み辛み、そんなこだわりの心を捨て、むずかしく考えずただただ、笑って暮らしなさいと言うことなのだろうと思いました。それは、夢や希望、世のため人のために、生きて行きなさいということなのだとも思いました。
また、昨日ご来山下さった霊感の強い信者さんから「愛染明王様が、早くここに集まってご縁を頂きなさいと言われています。早く皆さんに伝えてあげた方がいいですよ」と言われました。皆さん愛染様とご縁を頂き幸せに暮らして頂きたいと思います。合掌

愛染明王様とご縁を頂いて幸せに H22.4.5

春は夢と希望そして出会いの季節。当山の周りは、桜、桃、水仙、すみれ、シャガと沢山の花々で春を満喫できる。特にすだれ桜は今が一番美しい。厳しい冬の寒さに耐えた花も草木も春の訪れを喜んでいる。
人もまた、辛い苦しい時を経て、人として美しく花開く。
先日安産祈願にご来山下さったお母さん。三人目を授かった喜びと今まで子育てに悩みも多かったそうですが当山ブログをみて子育てを楽しめるようになりましたと、とても美しく輝いていました。また、子供達とブログを見て「今日はこんな良いこと書いているよ」と親子で会話が弾みますと楽しみにして下さっている信者さん。私にとって、家族の絆深めて下さる事が何よりの喜びです。なぜなら家族の絆は幸せの条件だからです。
しかし、憎しみあっている家族が多いのが現実です。人は、この世に生まれてきた意味、親子の縁、家族の縁もっともっと真剣に考えてほしい。そして人として生きる意味を考えてほしい。愛(思いやり)なくしては人は人として美しく生きられない。家族の愛に欠ける人は、どうぞ愛染明王様とご縁を結んで下さい。家庭円満・恋愛・縁結びの明王さまです。必ず幸せに導いて下さいます。今日、愛染明王とご縁を結ばれた方が「ぞくぞくっ」としたと言われるくらい美しい仏様です。どうぞ春のように心はいつも時めいて美しく咲き誇って下さい。私の切なる思いを受け取って下さい。合掌

七回忌 H22.4.7

今日は母の七回忌。早いもので過ぎてみればアッという間。日頃、顔を会わすことのない親戚が集まり法事は楽しい一時となる。
法要が終わり、会食の途中からカラオケで盛り上がりました。従兄にも歌ってもらい、従兄とデュエットしてしまった。”今度、いつ会えるか解らない ”という私の思いからだ。従兄は私にとってかけがえのない存在で、たまに会うと何となくホッとする。いつまでもこの関係でいたいと思うが、いずれどちらかが先にあの世へ旅立つ、寂しいが人の定めである。人の定めなら、せめて会った時は精一杯相手と付き合いたい。悔いのないようにその時を精一杯生きたいと思う。年を重ねる事にその思いは強く感じます。人に対しても物事に対しても、後悔しないよう精一杯行きたい。与えられた時間、問題に全身全霊であたりましょう。必ず思いが達成されます。合掌

お釈迦様の誕生日花祭り H22.4.8

今日は、お釈迦様の誕生日。各寺院では”花まつり”が盛大に行われ、お釈迦様の徳を讃えて多くの檀信徒で賑わっています。当山では甘茶のお接待をしています。お釈迦様は、お生れになられたとき七歩歩いて、右手は天をさし左手は地をさし”天上天下 唯我独尊”と言われたという伝説があります。天にも地にもただ一人自分だけが尊いという意味ではなく、「この世の中で自分ほど尊い者はいないが、他人もまた自分が一番尊いと思っている。だから、お互いが認め合い、仲良くしましょう」との意味で、”自利利他”という仏教の教えにつながります。今の社会は「自分だけが良いならば」の風潮ですが、これでは人間関係は上手くゆきません。お互いに人としてこの世に生を受け、生かされています。他人の悲しみは自分の悲しみ、他人の喜びは自分の喜びとして共感し合って生きることが、この世に極楽浄土をつくる事につながります。仏教を広められたお釈迦様の思いをこの花祭りに改めて思い精進していきたいと思います。
追伸 昨日、修行道場に参加下さった奈良の方、無事篠栗参り結願しましたと大分の鉄輪温泉に行く前にわざわざご来山下さり、「幸せの三箇条を教えて頂き人生が変わりました。当山とご縁を頂いて良かった。これをご縁に年に一度はお参りしたいと思っています。」と嬉しいお言葉を頂き大変嬉しく思いました。インターネットを通じてご縁を頂きましたが、人のご縁とは本当に不思議なものですね。このご縁を大切にしたいと思います。奈良から本当に有難うございました。合掌

幸せの道 H22.4.9

今日は、良い一日だった。モーニングコールの高校生さわやかな声が聞けた。気になっていた信者さん忙しい中時間を割いてくれて一時間じっくりと話し合いお互いを理解し合えた。また信者さんから励ましのメールを頂き元気づけられ有り難い一日だった。
私の願い、時として「押しつけているのかなぁ?」と反省をしながら、「観音様、皆さんに許せる心、慈悲の心をお与え下さい。不動明王様、揺るがない不動心、平常心をお与え下さい。愛染明王様、どうぞ皆さんに愛をお与え下さい。子授け安産子安観音様、子どもを授け子孫繁栄をお与え下さい。お大師様、私達を見守りお救い下さい」と今日もお祈りするのです。「幸せの道を共に歩いていけますように、お力をお貸し下さい」と。
私の話、思い、あなたはどう受け取りますか?素直に受け取る事も大事、疑ってみることも大事。一番大切なことは、自分が納得する事です。お釈迦様は、自灯明、法灯明。「私が言ったことを鵜呑みにするのではなく、本当に言っていることが正しいのか、自分で確認しなさい」とおっしゃっています。もし他人が言ったことを鵜呑みにして間違っていたら、あなたは人のせいにするでしょう。自分で納得して間違ったら反省し次回からは気を付けようとするでしょう。幸せの道は、自分で手探りしながら納得して自分らしく生きていくことです。みんな同じ生き方なんてないのです。あなたらしく精進して下さい。合掌

独り立ち H22.4.11

この春、中学校の先生になったうつ病だった信者さん独り立ち。昨年の12月13日からご縁を頂いて四ヶ月。あの頃トイレと食事以外は布団から出られなかった信者さんだが、夢だった中学の先生になり頑張っている。毎日のメールそろそろ終了しますとメールを打った。
信者さん「メール思うように返せなくてすみません。本当にバタバタしていてこれまでにないバタバタのようでしたが、途中、保健室で休ませてもらったりしながらなんとか一週間こなしました。勿論初授業も終えました。教えることは難しいけれど、気持ちを乗せて授業をすればきっと届くと思っています。私のついたクラスは、雰囲気も悪く、反応も薄く、口々にこのクラス嫌と言ってきます。担任の先生の手前、私(副担任)が直接的にクラスを動かす事はできませんが、科学の授業を通して、一年で、このクラスで良かったと思わせる授業をしてみせます。今は目の前の与えられた事をこなして、がむしゃらに進みます。今日は休日ですが、来週の授業の準備をしなくてはならないので、学校に行ってきます。多分不安になるたびに連絡しますが、その時は宜しくお願いします。いつか本当に愛染明王様とご縁を結び、ご住職さんに御礼に伺いますね。」
私「忙しい事は良いことです。楽しんでがむしゃらにこなして下さい。貴女には子ども達の心つかめるはずです。先ずは、笑顔で名前を言って言葉掛け!「〇〇さんおはようございます」と。一日も早く名前覚えて下さい。そうすれば子供達は、先生もう私の名前覚えてくれていると喜びます。人の心をつかむのですよ。貴女が忙しいこと分かっています。だから、貴女からのメールを待つことにしました。本当は私は、寂しいです。だから、辛いときは勿論、嬉しい時も近況報告待っています。これかもっと忙しくなります。どんなときでも神仏に守られていること忘れないで!みんなが見守ってくれていること感謝忘れないで下さい。私達は神仏ではありません!人間です!慌てず焦らず楽しみましょう!メール待っていますよ!たまには声も聞かせて下さい。合掌」
信者さん「有難うございます。焦らず慌てずしっかりとコミュニケーションとって、必要としてもらえる先生になります。本当にありがとうございました。」
今から、良い先生になるために頑張ってくれることでしょう。しかし、良い先生になるためには、沢山の壁にぶつかり苦しみや悲しみを乗り越えなければなりません。自信と誇り、強い信念を持って精進して頂きたいと思います。神仏を信じる強い心を持った信者さんならきっと大丈夫でしょう。陰ながらお祈り致します。合掌

過去に生きる H22.4.12

先日のうつ病の方の先輩からメールが届く。
「ホームページ見ました。私も六日以降彼女にはメールしていません。本当の姿に戻った彼女(うつ病が本当の姿ではなく元の明るく陽気な性格に戻った)が自分の道を歩き始めた。さてさて、私の本当の姿とは?今日の一口法話、私も自分と戦っています。四国に行ったとき、あるお寺に貼紙がありました。迷いとは心が一つに定まっていないのだと納得しました」と。
人は過去に生きるもの。しかし、それが過去にこだわって前進できないのは問題だ。人は過去に生き、反省して過去を生かして生きる!そうであってほしいと私は願う。
もう一度過去をしっかり見つめ、本当に過去を生かして生きているのか?ただ、思い出したくないと目を伏せていないか、怨みや辛みで心を汚していないか、後悔の念で足踏みしていないか、しっかりチェックしよう。「心の迷い」本当になかなか克服できるものではないけれど、人としてどう生きるのか、自分の命、生かして生きているのか、しっかりチェックしよう。
自分の生き方に自信と誇りを持ち、感謝と和合を忘れず、魂を磨いて生きていこう。揺るぎない心(不動心、平常心、仏心)を定めて生きていこう!誰のために?自分のために!縁あるすべての人のために!合掌

無言の行の理由 H22.4.13

無言の行、今ある信者さんが自分で取り組んでいるお行!「何故、無言の行をするのですか 」と尋ねると「いつも私はいらぬ事を言って失敗ばかりします。だから無言の行を始めました。それと自分探しをするために2時間かけてお経を唱えています」と答えられた。
この世に無駄なことは何もない。きっと今、信者さんが通らなければならない道なのだろう。やってみて初めて良くも悪くても結果がでる。一瞬無駄に見えるこのお行、もしかしたら、信者さんが世のため人のために生きるためのお行ではないのか?そう思えてきた。それは、信者さんが僧侶の道を歩くのではないかということ?
最近よく思うのだが、私と深く関わる信者さん。前世で仏弟子、もしくは兄弟弟子ではなかったのか?と一人想像して楽しんでいる。なぜなら今日、お大師様の前に立ったとき、無言の行をされているお大師様に助けられた信者さんが私に言った言葉「私とご住職さんの関係は金の糸ですよ」が胸に飛んできた。「金の糸とは仏弟子?」お大師様はただじっと笑っていらっしゃる。小さな期待をしながら、お大師様に合掌をする私でした。合掌

人は何故生まれてきたのか H22.4.14

愛染明王様と初めてご縁を頂いた信者さんが、愛染明王様の前に座るなり「私は何故生まれてきたのですか?何故?何故?」と私に尋ねた。その時の信者さんのあまりの迫力に私はショックを受けた。こんなに辛い思いをしていたのかと、信者さんの思い何も分かっていなかったと反省した。
しかし、それでも、「あなたの前世の縁によって今があるのですよ」といつものように前世の因縁をお話しする。親子の縁、兄弟の縁、これは私達が生まれてきた理由を物語っています。決して目を逸らすことなく、否定から見るのではなく、現実をしっかり受け止め前向きに対処していただきたい。必ず幸せは訪れます。神仏を信じて、ご先祖様を怨むことなく感謝して日々精進して頂きたいと思います。正直こんな思いをしている人が、世の中にどれだけいるだろうと思うと、胸が痛くなる。本当の幸せ早くつかんでほしいとただただ陰ながら祈るのです。何故なら、私は変わってあげられない。自分でつかむしかないのです。私の話を自分で実行するしかないのです。どうぞ、精進して下さい。合掌

信者さんの優しさに感謝 H22.4.15

昨日の信者さんから頂いたメールです。「誕生日が来ると「何故私は生まれてきたのか?」考えてしまいます。私の事で悩ませてすみません。色々お話をして頂いて楽しかったです。つい楽しくて長居をしてしまい申し訳ございません。帰り道この三年間の事色々考えました。ご住職様の選択間違っていません。正しいです。ご住職様のお陰で私は今最高に幸せです。ご住職様の優しさがあったから幸せになったと思います。私達のことが気になると思いますが、たまには携帯オフにしてゆっくり下界を楽しむ事、見てまわる事よろしいのではないでしょうか?ご住職様が如何に凄いことをしているのか。どれだけ多くの人を幸せにしてきたのか。如何に素晴らしい人生を歩んでいるのか。見えてくると思います。生意気で申し訳ございません」と。
信者さんの訴えに、「私はあなた一人ですら救ってあげられない。あなたと変わってあげたくても変わってあげられない」と辛い顔をしたので心配してメール下さったのでしょう。
実は、前日ある方から「あなたは何人の方を救いましたか」と尋ねられました。少し考えて「たぶん一人も救ってはいません。なぜなら、今日は極楽でも明日は地獄に堕ちているからです。それが人生です。生きると言うことは本当に大変です。死んでみなければわかりません」と答えました。私は人一人として救えていないと思えていたところに、信者さんからの訴え。
かなり動揺してしまった。それを察してメールを下さったのでしょう。信者さんの優しさ思いやりに本当に感謝します。有難うございました。合掌

私の願い H22.4.16

今朝一番に届いたメールです。
「おはようございます。携帯電源オンですね!今までも、現在も、そして未来も、皆さんが救いを求めている限り導いて下さい」と頂きました。
私の命がある限り、私は幸せを説いていきたいと思っています。生きることがどんなに素晴らしいことか説いていきたいと思っています。確かに「人生は苦なり」楽なことではありません。そのことをしっかりと受け止めて、だからどう生きるのか、どうしたいのかしっかり考えてほしいと思っています。生まれてきた意味、一人では生きられないこと、心の支え、誰かのために生きること、感謝と和合、思いやりと優しさ、 強い信念、自分を信じること、神仏を信じること、ご先祖様に守られていること………いろいろ考えて、幸せになるための精進、諦めずに死ぬまで続けてほしいと思っています。神仏は必ず見ていてくれる、人として正しく生きていれば幸せは絶対に訪れると私は信じています。焦らず慌てずゆっくりと………慌てるとろくな事はありません。進んでは後戻りしながら少しずつ前進すればいい。
疲れたら一休み、一休みです。合掌

護摩堂完成 H22.4.17

昨日16日護摩堂の中の仏具や本尊様の敷物が入りやっと完成の運びとなりました。思えば長いみちのりでした。今年の正月あけから工事に入り、寒い中一時も気を抜かず完成まで仕事をしてくれた大工さん、頭領のお陰でもあり、彼らの喜びも大きく完成した護摩堂を眺め笑顔が絶えない。私も嬉しくてたまりません。反面、この不景気お堂の借金を返してゆけるのかとの思いが頭をよぎる。大阪のある寺の住職の言葉を思い出す。「本尊様の住むとこ作ったさかい、借金は本尊様がどこからか持ってきはる」この言葉を励みにあらゆる困難を乗り越えてゆき、自分に馳せられた責任を果たしていかないかんなとの思いが脳裏をよぎる。頭領の「私は何事も真剣に立ち向かいます。心からやります」との言葉が頭から離れない。私はもう一度、原点に返り思い起こしていく必要があると感じ、
自分の人生の仕上げをしてゆかないかんなと感じた。修行時代、護摩の魅力にとりつかれ気がつけば真言の僧侶になってた自分。やはり、自分は仏事が好きな人間だと。ならば少々の事に音を上げず、苦労を苦労と思わず精進してゆきたく思いました。真剣に向き合う努力を忘れたらいかんなと言い聞かせながら。合掌

接待行 H22.4.18

今日は、「お接待行をさせて下さい」と朝早くから信者さんがご来山下さった。参拝者の皆さんに、お茶やお菓子や飴をお接待され、お接待する側もお接待いただく側も笑顔と感謝の言葉が飛び交うほのぼのとした光景でした。きっと参拝者の皆さん元気を頂いて無事参拝されたことと思います。お接待は、お接待をする側とされる側のご先祖様がその供物を一緒に頂けると言われます。
それはご先祖様にとって一番の供養であり、接待行をされた信者さんにとって一番の功徳を積まれた事になります。勿論功徳を積もうとされたわけではなく、先日南蔵院の大黒天様をお参りしていると「接待行をしなさい」と言われたそうです「どこでするのですか」と尋ねたら「祖聖大寺があるだろう」と言われ今日に至ったのです。しかし、それは信者さんのこれからの生き方について、私からのアドバイスを頂くために大黒天様がもうけたシナリオだったようです。信者さんは明日から自分の歩く道に向かって精進しますと約束して帰られた。今から自分との戦いが始まるがそれが信者さんがこの世で与えられた使命ならばやるしかない。私も陰ながら応援したいと思います。
本当に朝早くからお接待と夕方の片付けなど奉仕行有難うございました。また、接待行の話を聞いて、お手伝い出来ませんがお菓子をお接待して下さいとわざわざ前日持ち下さった信者さん感謝致します。本当に有難うございました。信者さんのお接待の功徳によって先祖供養と祈願成就致します事心からお祈り申し上げます。合掌

悩み H22.4.19

信者さんからのメールです。「ひとり言」を読んでいると、皆さん、前に進まれて結果を出されていて、なんかだか私だけ取り残されているようで………」と。
頭で分かっていてもなかなか思うようにいかない現実。焦ってしまいますが悩むことが既に、前を向いている事だと思います。夫婦のことで悩んでいる信者さんへの私からの返信メールです。
「前を向いているから悩みます。充分前進していると思います。夫婦の事は相手がいる事なのでなかなか進みませんが、今の生活があるのは、やはりご主人が一生懸命働いてくれていること、感謝を忘れてはいけないと思います。勿論お互い様なのですが、恩をきせている間は前進しません。子供達もご主人様も、そして貴女も頑張っています。頑張っている者同士仲良く楽しく過ごしましょう。合掌」
信者さん「恩をきせない!凄く響きました。心がけて過ごします」仏教では、「こだわらない事」大切ですが、悩みこだわることによって前に進むのならこだわることも大切ではないでしょうか。人は悩むから人として成長します。賢くもなります。それが自分のため人のためになるのなら多いに悩み苦しむことお勧めます。
「こだわってはいけない」とこだわること、既にこだわっている証拠ですから。合掌
PS. 22時38分、うつ病を克服され念願の先生になられた信者さんから届いたメールです。「まだ、学校です。くたくたです。私頑張っています」

護摩堂(不動堂)のお不動様 H22.4.20

念願の護摩堂(不動堂)が出来上がり、今朝やっとゆっくりお不動様の前に座った。
「お不動様、やっとお不動様の鎮座して頂ける場所が出来ました。どうぞ皆様のためにお力を貸して下さい」と深々とお願いを致し、心が落ち着くまでゆっくりと読経をした。最後の般若心経を唱えている時、私の眼の前に「金の糸」が飛び込んできた。一瞬ビックリしましたが、きっと「気合いを入れていくぞ。そなたもしっかり気合いを入れていけ!僧侶として恥じないように金の糸をしっかり結べ」そう言われているのだと思いました。有り難くただただ頭を深く、深く下げる私でした。
不動明王の剣は、己の心を切る剣、しっかりと心して精進していきます。合掌

初護摩と山伏 H22.4.22

今日は、初めて護摩堂で護摩を焚いた。
不思議なことに3年前から毎年4月22日は、当山山奥にある山伏塚にお参りに行く。
私が子供の頃、祖母の夢枕に山伏が立ち「供養をしてほしい」言われ、宝山寺の先代住職と祖母と父と私は山伏塚に行った。読経の中稲光と同時に祖母はその場に倒れ、子供心にビックリした。それからの祖母は、毎日山伏塚にはいけないので、土を持って帰り供養をした。
護摩堂の建立を計画立てた頃、そのことが気になり、3年前に山伏塚に五輪塔を建てたのだ。
初護摩を焚いた日と年に一度の山伏参拝が重なったのは偶然ではないだろう。こんな山奥で命尽きるまで修行をされた行者さんの思いをしっかり受け止めて精進しなければと思った。きっと力を貸して下さるだろう。
今日は、護摩堂で読経していたら金色の粒子の世界が見えたかと思ったら、大日如来様が現れた。つい護摩堂のご本尊不動明王様を拝むのだが護摩壇の前には、大日如来様をお祀りしているのだ。しっかり力を貸して下さっていることに改めて感謝しました。お不動様も大日如来様も、見えない力でお力を貸して下さると思うと有り難く、嬉しく
てたまらない。神仏の力は計り知れないほど偉大です。少しでもお役に立てるよう私なりに精進したいと思います。明日も護摩を焚けると思うと心は嬉しくてたまらない。合掌

遍路のお勧め H22.4.23

4月21日、先日修行道場に参加下さった奈良の方から頂いたメールです。
「去年の今日、初めての”遍路”で小豆島に出発した日です。去年の今頃(午前十時頃)は大阪から高松へ向かい走り始めた高速バスの車中です。
初めての”遍路”、子供の時の遠足のような気分?
基本的には歩き遍路だったので、歩き通せるか?地図では平面表示。遍路道の起伏も判らず、とにかく出かけた訳です。
妻が心配して息子が同行。
景色の良い海沿いののんびりした道路。岩がゴロゴロした狭い険しい遍路道。ウグイスの鳴き声がのどかな田舎道。息をゼイゼイ切らして、急坂を登り切って霊場から眺めたすばらしい景色。疲れが吹っ飛びました。”遍路”はクセに成りそう(笑)。
一年後の篠栗霊場。車での巡拝。景色をゆっくり楽しむ間があまりなかったのが少し残念です。疲れながらの高速道も、いい想い出になりました。
そして、あと三日すると運命(?)の出逢いがある訳です。大分の〇〇さんと熊本の〇〇父さん。
あれから一年。まだまだ遍路は続けます。もちろん祖聖大寺へのお詣りも。」 (奈良 60才男性)
そしてメールをひとり言にお願いしました時の返信メールです。
「 おはようございます。私の気ままな文章が「ひとり言」に役立つのであれば、どうぞお使いください。そして、”遍路”の素晴らしさ、ありがたいことを伝えて下さい。私たちのように素敵な出逢いがあるかも知れません。皆さんに教えてあげてください。別に「歩き遍路」でなくてもいいんです。神仏の前では「素直な」自分に出会えると思います。(ちょっと生意気言いました(笑)
遍路の有り難さを経験されたからこそ、頂いた嬉しいメールです。
信者さんは還暦の厄落しのため霊場巡りをされました。人それぞれに色んな思いをもって霊場巡りをされると思いますが、自分が分からなくなったり、生きる意味が分からなくなったりされたときは、自分探しの旅、霊場巡りをされてみては如何でしょうか。神仏の御加護と運命を変えるような出会いがあるかもしれません。あなたに必要であれば必ず不思議な事があるでしょう。たとえ何もなくても何度も霊場巡りを重ねていると何か(自分や周りの色々な事)が見えてきますよ。生きている事が幸せであること心から感謝できますよ。合掌

気楽にいこう H22.4.25

人は、将来の不安や悩みをもって生きている。悩んでも仕方がないのだが悩んでしまう。生きることが大変なことは分かっているのだから、もっと気楽にいこう!
疲れたら休めばいい!元気になれば頑張ればいい!楽しくなければ、生きる事は辛いだけ!
仕事も人間関係も楽しめばいい!すべては楽しむことが基本。
どうしたら楽しくなるかしっかり考えよう。お金や物も大切だが、それだけでは心は満たされない。共に喜んだり励まし合ったり、共に力を合せて苦労を乗り越えていける家族や友人、同僚や部下………自分の向こうにはいつも笑顔の誰かがいてくれる。その笑顔のために楽しみながら頑張ればいい!なかなか難しいことだが、生きる目標にしては如何でしょうか!私の天職も大変だがなかなか楽しいですよ。365日休みはないし、寝坊も出来ないが、いつも観音様が笑って喜んで下さったり励まして下さる!本当に有り難く苦労も吹っ飛んでしまう、毎日感謝の日々です。合掌

信じる心 H22.4.26

人は、悩みや不安を抱えて生きる。では、どうしたら人は悩みや不安から解放されるのか色々考えてみた。やっぱり神仏を信じること!それしかないと思った。
人は心の安堵を求めて神仏にすがる。強い人間ほど神仏にすがっている。何故ならすがっているから自分を信じる心も、人を信じる心も強くなると思う。絶対に自分の未来は明るい未来が待っていると信じる心は神仏を信じるからこそ自信に満ちた言葉や行動として現れると思う。
今日も若い男性が三人ご供養にこられましたが自信に満ちている者は眼の輝きが違う。勿論、彼らにも不安や悩みはあると思うのですがご供養を済ませて安心して帰られました。それは、明日からの元気の源となり、神仏とご先祖様に守られている自信と安心ではないでしょうか。
すべては信じる心ですよ。昔から「信じる者は救われる」と言われますが、もし信仰心のあるあなたが自信に満ちていないとしたならばそれは、まだまだ神仏を心から信じるとは言えないのかもしれませんね。合掌

篠栗霊場歩き遍路のお勧め H22.4.27

春はやっぱり美しい!心も晴々気持ちが良い!日差しは明るく、花も木々も喜びあふれている。風は踊り、水(滝)は昨日の雨で力強く勇ましい! 自然はやっぱり素晴らしい!心が洗われていく。
人間は、大宇宙の小さな存在ですが、大宇宙の大きなパワーを吸収して夢や希望のパワーに変えていく存在です。もし自分に自信を持てなくなったら大自然の中に自分を置いてみて下さい。見えないパワーが宿りますよ。
あなたは連休をどう過ごしますか?どうぞ篠栗霊場歩き遍路してみませんか?必ずリフレッシュして生きるパワーを頂きますよ。素敵な出会いが待っているかもしれませんし、人生変わるかもしれません?良かったら当山にご参拝の折はお声をおかけ下さい。お茶でもご一緒しませんか?
明日は「在家得度」の件でご来山下さる方、明後日も新しい出会いが待っています。出会いは楽しいですね。
今日頂いたメールです。
昨日のひとり言、昔から「信じる者は救われる」と申しますが、もし信仰心のあるあなたが自信に満ちていないとしたならば、それはまだまだ神仏を心から信じているとは言えないのかもしれませんね!
グサッです。その通りです。何故でしょうねぇ~。これがクリア出来ない事には前には進めませんね。信じる事が出来れば楽だし、強くもなれる・・・!頭では解っていても心はそれを許さない!
神仏に甘えられない!きっとそれは人に甘えられないのと一緒だと思うのですが、あ゛~まだまだ心の垢がこびりついていますよ!
「分かっているけどやめられない」ではないけれど、信者さん!慌てることなく気長にご自分を見つめています。焦らずゆっくり自分を見つめることは大切ですね!合掌

幸せの伝染病 H22.4.28

「今日は最高!人生最高!」
元気も幸せも伝染します。元気と幸せの伝染病どんどん伝染して幸せの輪広げよう!先ずは自分からです!そう、あなたからです!
信者さんに「辛く生きようが、楽しく生きようが一生は一生!選択するのは自分です。いつでもお茶にお出かけ下さい」とメールをしましたら「楽しく生きます」と返信メールが届く。今日ご来山下さった皆さん元気と幸せの伝染病うつった事でしょう。30分電話でお話させて頂いた信者さんも元気になった事でしょう。元気と幸せの輪どんどん広げていって下さい。幸せを分かち合えたら最高に幸せですね。合掌

正道を歩く H22.4.29

今日は朝から有り難いメールが届く「昨日は最高の一日!いつでもお茶どうぞと言われると、また行きます。もう住んじゃうかもしれません。ご本尊様の前で私達を迎えてくれるご住職様に感謝しています。50年経っても変わらないでしょう。無理をしないで健康で長生きして下さい。無理をさせているのは私ですが、無理をさせないように精進します。お互いに長生きしてお茶したいです。今日も最高の日にします。」また、別の信者さんから「記憶違いでしたらごめんなさい。誕生日おめでとうございます。今日という日が素敵な一日でありますように!そして、〇歳の一年が素敵な年でありますように」と、一日早いバースディーコールを頂きました。有難うございました。感謝です。
今朝、お勤めしていると、信者さんが私に「つまり関所を建てれと言う事ですね」と言われたのが心に聞こえた。どういう意味なのか色々考えてみた。多分「正道を歩けと言うことですね」という意味ではないでしょうか?そして、 夕方信者さんからメールが届く「昨日はお忙しいところお邪魔しました。護摩堂でお経を唱えていると胸が痛くなってきました。日頃の行いが悪いから罰もお滝場のお不動様から受けました。帰り道胸が踏みつぶされるくらいに痛くなり不動明王の御真言を唱えながら帰りました。まだ痛みます。」と。
信者さん、間違った道を歩いて反省されたのだろう!そのことを観音様が私に教えて下さったのでないでしょうか。しっかり正道歩いて神仏の願う生き方に少しでも近づいて頂きたいと思います。合掌

お経の力 H22.4.30

今日は、信者さんから花束を頂きました。56歳しっかり踏みしめて充実した一年にしたいと思います。電話やメール、わざわざ花束を持ってきて下さった信者さん本当に有難うございました。これからも精進してまいりますので宜しくお願い致します。
信者さんからのメール「今日は、素敵な一日でした。ただ生徒と沢山話が出来て、うれしかったです。授業が下手くそだから、わからないわからないと休み時間に面と向かって言われました。でも、ついてきてくれる生徒に感謝です。昨日、いっぱいお祈りしたからでしょうね。おやすみなさい」と。お経は不思議な力があります!坊守がお経の力が凄いと感じたときの話をしましょう。「長男を出産し産婦人科に入院していた時の話です。夜中に5歳くらいの男の子が廊下を歩いていると思ったら、部屋に入って来て坊守の背中に手をあてたそうです。その瞬間金縛りにあったそうです。それを聞いた私は寝る前に般若心経を唱えなさいと指導しました。毎晩お経を唱え何も起こらなかったのですが、育児に疲れた4日後うっかりお経を唱え忘れたそうです。
すると、前回と同じく男の子が入ってきて金縛りにあったのです。その時初めて坊守はお経の力が凄いと実感したそうです」神仏もお経も眼には見えませんが、しっかりお経を唱えて下さい。見えない力で守って下さいます。信じる者は救われるのです。合掌

お大師様に感謝 H22.5.1

「接待行は信者さんのこれからの生き方について、私からアドバイスをもらうために大黒天様がもうけたシナリオだったようです。信者さんは明日から自分の歩く道に向かって精進しますと約束して帰られた。今から自分との戦いが始まるがそれが信者さんがこの世で与えられた使命ならばやるしかない。私も陰ながら応援したいと思います」
これは、先日ひとりごとで書いた信者さんが大黒天様から接待行をしなさいと言われた理由ですが、信者さんが動き出しました。
信者さんがこの世で与えられた使命とは僧侶の道を究めなさいと言うことだったのですが、今朝、お滝行に来られ、私が「今日は一日だからお行に来ましたか?」と尋ねると「それもありますが、それだけではありません。実はあるテレビ番組に出演したことで本山(高野山ではない別格本山の寺)からクレームが付き離宗(除名)されることになって悩んでいました。
すると、昨夜祖聖大寺のお大師様が夢に立たれて、初めてニコッと笑われたかと思うと(祖聖大寺のお大師様はいつも私には厳しい顔をされていると話されていた)今年一年は仕事に専念しなさい。その後は私が面倒見るからとお言葉を頂きました。やっと全てが吹っ切れお行に来ました」と。
信者さんには、「本山まで行くのは大変だからいつでも当山で修行していいですよ」と話していましたが、本人も本山の手前遠慮があったのでしょう。これで遠慮なく修行ができ、僧侶の道を究めてくれると思います。お大師様が認めて下さった信者さん!きっと素晴らしい僧侶になる事でしょう。「そなたの忙しさなど私の足下にも及ばない」と言われたお大師様!本当に私達のために日夜走り回って下さっている事実感でき心から感謝致します。「信者さんのこと宜しくお願い致します」と心から祈る私でした。合掌

篠栗霊場の賑わい H22.5.2

天気は快晴。最高の参拝日和!さすがにゴールデンウィーク、歩き遍路、家族連れ、団体参拝と子供からご年配まで沢山の方が篠栗霊場を参拝してお大師様とご縁を結んでいる。参拝されている皆さんはそれぞれ色んな思いで参拝されていると思いますが、このゴールデンウィークの時期は夫婦、家族連れ、三世代のお参りが多いからなのか楽しそうに参拝されている方が多い。笑顔と笑い声が境内に響くとこちらまで幸せな気分になり嬉しく思います。家族の絆、夫婦の絆、深めることは神仏もご先祖様も一番喜ばれ、子孫繁栄に繋がります。今日、長崎から参拝に来て頂いた方から「先ほどは有難うございました。みんなで行けたこと、本当に嬉しかったです。愛染明王様、正直少し怖いな~と思っていました。手を合わせて、ご住職様が般若心経を唱えられた途端にお腹と胸が熱くなって、自分の意志ではなくて、涙がポロポロ込み上げてきて、それは初めて篠栗に来て郷ノ原に近づいてきたら、涙がポロポロポロポロ、出てきた………同じ感覚でした。夫婦仲良くしなさいね。と言われているようでした。主人と行けて良かったと思います。また頑張る力を頂きました。有難うございました」と。私も初めてご主人様とお会いできて嬉しく思いました。これからも夫婦仲良く幸せに過ごして頂きたいと心からお祈り申し上げます。
篠栗霊場は色んな思いで皆さん参拝されますが、幸せになるために参拝されていることそのことだけは忘れないでほしい。幸せになるための努力を忘れないでほしい。必ず幸せになる。道は開けるのです。精進しましょう。合掌

自己を見つめる H22.5.3

今日は、いろんな事を考えさせられた一日だった。まだまだ己の弱さだとか、人への気配り思いやりが足らない事だとか、言葉の難しさだとか、いろんな事を考えさせられ、もう一度自己を見つめなおさなければならないと思った一日だった。それは、神仏のシナリオであり、私と深く関わっている方と、これからどうなるのか手に取るように未来が見えてきて、恐ろしくもあり楽しくもあり、責任を強く感じた日でもあった。私と共に生きていく人、共に高めあい、共に励まし合い、心していきましょう。今朝、お大師様が「さぁ~行くぞ」と言われた理由が分かりました。合掌

素敵なGW H22.5.4

実は、昨日「ご住職様は思いやり、真心と言っているのに、言われていることとしていることが違うのではないか」とご指摘を受け、自己を見つめようと思った。護摩堂でお参りしているとお不動様は「お前は誠でしているぞ」と言われたように感じましたが謙虚に受け止めて自己を高めていきたいと思います。今日来られた方に「私は厳しいから困惑しますでしょう?」と尋ねると「私はご住職さんが厳しいとは思いません。たぶん優しいだけでしたら、自分に得るものがないのでここには来ません。色んな事をお話下さって自分が成長出来ると思うからここに来ます」と答えて下さいました。信者さんはおととい福岡のご主人の実家に行く前に家族で来られたばかり、今日は長崎に帰る前に誕生日プレゼントと坊守に母の日だからと綺麗なカーネーションの花を届けてくれました。本当に有り難く感謝、感謝です。有難うございました。
私達は、本当に幸せものです。言いたくないことをご指摘下さった信者さんにも感謝。そして今日「昨日はご住職さんと本音で話が出来たことは今、想うと何故もっと早く心を開かなかったのかと思います。色々悩んで時間が過ぎていってしまいましたが、考える時間は無駄では無かったのですね。今から一歩踏み出したばかりの私ですが、お導き下さい。心の修行をしていきたいです」とメールを頂き感謝です。また、プレゼントだけでも有り難いのに、今日は忙しくてお昼を食べる時間もないでしょうとパンを買ってきて一緒に食べた信者さん、本当に感謝です。楽しい一時を有難うございました。素敵なGWになりました。合掌

私の願い H22.5.5

何故、昨日私のマイナス面を指摘された事をひとり言で書いたのか?皆さんは理解して下さっているだろうか?僧侶と言えども、百パーセントの人間ではないこと。だとするならば人も自分も完璧な人間ではないことに気付き、許せる心と待つ心を持つこと。そして、ただ上辺だけの付き合いではなく、長所も短所も受け入れて、お互いを理解し合い、許し合い、共に生きる喜びを感じて、より良い人生にして頂きたいと思っている私の願い受け止めて下さいましたでしょうか?。勿論、私との関係だけではなく、皆さんを取り巻く縁ある全ての方と親しく共に生きて頂きたいと思っています。許せる心、待ち心、本当に難しい事ですが精進して下さい。
昨日のひとり言を読んで信者さんから届いたメールです。
「さて気になる住職のひとり言ですが、「私と深く関わっている方と、これからどうなるのか手に取るように未来が見えてきて、恐ろしくもあり楽しくもあり、責任を強く感じた日でもあった。」
もしかして私?な~んて自意識過剰?(笑・笑)」と頂きましたが、この厳しい私の弟子になるという意味なのだが分かっているのだろうか?
勿論、「ハイ!〇〇さんもその中のお一人に、私の中には入っています」と返信しました。
私と深く関わっている方、これからどう進展していくのでしょうか、楽しみです。合掌

さぁ~行くぞ H22.5.6

5月4日の私のマイナス面を指摘下さった信者さんからのメール「実は、今不思議な事を体験しました。久しぶりに早く帰宅したので、お不動様をお参りしていましたら、心臓がドキーンとして思わず目を開けてお不動様を見てしまいました。「行くぞ!」と、心に入って下さいました。自分でもビックリで思わずローソクを見たら、風も無いのに凄い勢いで炎がユラユラ踊っているようでした。おもわずお参りが終わって、ご住職様にメールをしてしまいました。お不動様に話しかけていたせいかもしれません。昨日のお滝場の水が止まって龍のウロコみたいに見えて一枚の写真か絵の様でしたと話していましたら、ローソクの炎がまたまた勢いよく上がるからまた不思議です。お不動様のご縁に感謝の一言に尽きます。至福の心地です。本当に神仏の力は凄いです。心から祈れば気持ちが伝わること実感しました。信じられないかもしれませんが、祖聖大寺に行くと不思議な体験をしていたのです。色々な夢をみたり感じたことは日記を見て改めて思いました。お不動様と一体になれる日が早く来ます様にお祈りして精進します」と。
「さぁ~行くぞ」は私が初めて護摩堂でお参りした時(4/20)にお不動様から感じた言葉。そして、金の糸を頂いた。護摩堂ができ、やっと座るべき所に座られて思う存分お力を発揮くださるのでしょう!お不動様の勢い勇ましく、私に「カモン」とばかりに大きく振り上げた左腕は、お不動様の思いを強く感じるお姿でした。お不動様の思いをしっかり受け止めて精進してまいりたいと思います。
そして、お不動様に認められた信者さん、お不動様から頂いたレール、世のため人のために生かせいのちで精進して下さい。合掌

苦しみを乗り越えて H22.5.7

久しぶりに先生からメールが届く「GWはお忙しかったみたいですね。私は友人に学校に生徒に……と、有意義なGWでした!誰かのために!なら私働けます。体はしんどいですけど、全然苦じゃありません。教員は天職だったみたいです。ご住職さんも同じ様なこと言って下さいましたよね。ただ順風満歩で教員になったのでは、人間としての幅がなくなるので、今までのシナリオ(うつ病)が用意されていた?(していただいていた)と今では心から思えます。鬱になったこと悔しいです。でも、この経験が役に立つ機会はあまりあってほしくないですが、こんな時代だからこそ、役に立つときがくるんじゃないかと思います。家族にご先祖様、お大師様にご住職さん、先輩、友人……感謝しています。いつも、本当に有難うございます」と。

12月にご縁を頂いたときは、「トイレと食事以外は布団から出られません」と言っていた信者さんが、今こうして先生は天職と言えるのも、与えられた苦しみを乗り越えたからこそ言えること。本当に苦しみの向こうに幸せがあること信者さんが実証してくれました。
苦しみは人として成長するために与えられていると、しっかり受け止め、喜んで苦しみを乗り越えて頂きたいと思います。必ず道は開けます。信じて精進して下さい。合掌

謙虚 H22.5.9

今朝「HPを見てお参り来ました。上がってお参りさせて頂いてもよろしいですか」と6時前からご来山下さった方、HPを見て供養祭に参加下さった方、ご縁に感謝致します。有難うございました。
また、県外から供養祭に参加されるため前日から泊まられ、朝早くから境内の清掃行にお力を貸して下さった信者さん、お疲れ様でした。有難うございました。今日も沢山の方とご縁を頂いて私の方がパワーを頂いている毎日です。持ちつ持たれつ!世の中は全て持ちつ持たれつの関係で動いているのではないでしょうか。そこには必ず人がいる。その人間関係は同じ人間で上下関係などどこにもない。親子だから、兄、弟だから、上司、部下だから、名誉も何もない。同じ人間レベルで動いていく事が望ましい。なぜなら、今日はお不動様からしっかり頭をたたかれた。「もっと謙虚になれ!住職も何もない同じ人間だ!しっかり人の話に耳を傾けろ」と教えられた一日でした。どうぞ皆さんもお不動様の説法に耳を傾けてみては如何でしょうか。合掌

観音様のメッセージ H22.5.10

先日ご来山下さった信者さんからのメール「主人に何かパワー送りましたか?どう考えても観音様のお陰としか説明できません。GWから本当にお酒を飲まなくなりました。ご住職様からの言葉が効いたのでしょうか?これはもうしばらく続いてからご報告しようと思っていましたが嬉しくてメールをしてしまいました!それから何も言われず車を洗い、しかも私の車も!何も言われず自ら子供の習い事の送迎をしてくれたり、今日は誉めてくれたり、態度が明らかに変わりました。よくよく考えましたら、主人に対して私も色々言わず、ご住職様から言われた通りお観音様にお願いしていました。観音様が私の願いを受け止めて下さったのでしょう。勿論、愛染明王様の御利益もあります。家族でお伺いしてご住職様からお祓いして頂いたことも効いたようです。幸せになりますよって実感しています。とにかく嬉しいです。お酒を控えてくれることが一番嬉しいです。一日でも長く続いてほしいと願っています」と。
観音様がご主人の健康を心配している奥様の思い受け止めて下さったのでしょう。なぜならご主人を見た瞬間、飲み過ぎ二日酔いと感じたことは観音様のメッセージだからです。合掌

全てを捨てる H22.5.11

今日、初めてご縁を頂いた方へお不動様からのメッセージは「全てを捨てること!それが楽に生きること」と教えてくれた(感じた)。人は過去に振り回されて(過去にこだわって)、前に進めない!過去は忘れなさい!それが一番楽しく生きることだよと教えて下さったのだが、なかなか難しい!しかし、幸せになりたかったら努力するしかない。人を変えることは不可能と思った方がよい。自分が変わることです。過去は忘れて生まれ変わりましょう。明日、目が覚めたら、あなたは赤子です。何もない無の状態です。あどけなく可愛らしい赤子。夢と希望に満ちた子供です。そう思って生きてみませんか!
もし、あなたが過去にこだわって苦しくてたまらないのであるならば実行してみて下さい。人を怨んで生きるより、人生楽しく生きましょう!
残念ながら本人には伝え損ねましたが、幸せに生きなきゃ損ですね!皆さんも精進して下さい。合掌

護摩堂落慶法要参加のお勧め H22.5.12

先日、数人でよく篠栗参拝をされる方々とお茶を頂きながらお話をしていますと、お一人の方が「お不動様が今日は霊場参拝だからまた出直してきなさいと言われました」とお話下さいました。私はピンときましたので「それは、5月23日の護摩堂落慶法要に参加しなさいと言うことではないでしょうか?」と感じたことをお話しさせて頂きました。まだご案内状を差し上げていませんでしたので、ご本人達は落慶法要の事を知りません。お不動様の言葉からして、「ご縁を頂きなさい。必ず力を貸しますよ」と言うことだと思います。滅多に頂けない有り難いご縁落慶法要に是非参加しますと喜んで下さり、6人で当日参加下さるとのこと。お不動様、自ら落慶法要の件お誘い下さったのでしょう。今、座るべき所に座られたお不動様は、喜び勇んで凄い力を発揮して下さっています。きっと護摩堂落慶法要に参加された方は御利益を頂ける思います。特に心願成就、商売繁盛、当病平癒、色んな願い事のあります方は是非ご参加下さい。お不動様とご縁を頂いて、幸せの道を切り開いて下さい。ご縁をお待ち致しております。尚、ご縁を頂けます方は参加人数を事前にお知らせ下さい。合掌

水子供養 H22.5.13

先日の水子供養祭に参加下さった方からメールが届く「水子供養祭の時、どこからか子供達の楽しそうな笑い声が聞こえてきて、気が付くと、4・5歳くらいの、3・4人の子供達が、お経をあげていらっしゃるご住職の回りで楽しそうに遊んでいました。その光景を凄く幸せな気持ちで見ていると、子供達が皆さんの方に来て、前列にいた母の前でまた楽しそうに遊びながら、母の顔を覗き込んで、少しの間でしたが、母に甘えるように、寄り添い座り、母を見上げながら、ご住職様のお経に手を合わせて、また楽しそうに笑いながら、ご住職様の方にいっちゃいました。夢?目の錯覚?頭がおかしい?お聞きしても善いか悩みました。でも、本当に楽しそうで母の回りが暖かく和み、母は幸せな人だなぁ~と思いながら見ていました。何だったのでしょうか?」と。
「ご両親と兄弟が来てくれて本当に嬉しかったのでしょう」と、返信メールを打ちました。
五月は子供の月です。また、水子供養の月です。水子さんはこの日を楽しみにしています。賽の河原で、一つ積んでは母のため、一つ積んでは父のためと、石を積んで遊んでいる水子ちゃんに供養の誠を積んであげて下さい。合掌

小さな種 H22.5.14

今朝、護摩堂で勤行していると、右人差し指の先に小さな茶色い種がのっている光景が見えた。何を意味しているのだろう?色々考えてみた。お不動様のご真言を唱えると一粒万倍、小さな読経の功徳でも積み重ねると大きな御利益を頂けると言う意味?
指先のこんな小さな種でも、土と水と光を与えると、芽が出て花が咲いて沢山の実が実る。一粒万倍だよと教えてくれた?
小さな種は、小さな徳を積みなさい!色々な条件が揃ったとき小さな徳は大きな力となって幸せの道へと導いてくれる=御利益を頂けると言うことなのか?どちらにしても小さな種は日々の幸せと子孫繁栄と繋がっていく。
今日、御来山下さったご婦人、「毎日善いことをしたらカレンダーに印を付けるんですよ」と、とても楽しそうに話してくれた。そういえば家族に喜ぶことを一日3回は言って下さいと話していた信者さん精進して下さっているだろうか?小さな種、沢山蒔いて幸せの実を実らせてほしいと願っています。合掌

人の出会いも小さな種 H22.5.16

信者さんからメールが届く「小さな種、色々な解釈が出来ますね!今、ふっと思いました。人の出会いも小さな種!その人が自分にとって良い人、悪い人であろうが、そこからは学びがある。そして、それは自分だけではなく相手にとっても同じ事!如何に小さな種(出会い)を自分が育てられるか!そんなこと思っていました」と。出会いを大切にされる信者(A)さんは、小豆島で出逢った方(Bさん)とメールのやり取りをされるようになったそうです。
Bさんとは当山もご縁を頂き、先日メールが届きました。「GWの前に少しお遊び(失礼)で『ご住職のひとり言』を冊子にしてみました。私自身が時々読み返すのに作ったものですが、Aさんには(PDFファイルに変換したもの)お送りしたら、『お寺にも送ってあげて下さい』とメールをいただきました。ご住職に、許可もなく勝手に作ってしまいました。申し訳ありません。私に余裕があればたくさん作って皆さんにもお読みいただきたい『ひとり言』です。(『一口法話』も)
そんな想いもあり作ったものですが、もしお許しいただけるようでしたらご覧になってください」と。
その後、Aさんからもメールが届く。
「Bさんの冊子ですが、すごいでしょ!感動しました!「お寺にも送りましたか?」と尋ねたら返事は「NO」でした。それでお願いして送ってもらいました。皆に見てもらいたい!必要な人の元へ届けと!
送られた冊子、早速ご住職様が印刷して本堂前に置かれたと知りゾクゾクしました。だって思っていた通りになったんですもの(以心伝心?)
今日、Bさんにイジワルなメールをしました。「五月晴れの本日、気持ちよいです!
さて「住職のひとり言冊子」ですが、何か足りないような気がずーっとしていました。
なんだろぉ~???と思っていましたら解りました!
Bさん「幸せの三箇条を教えて頂き人生が変わりました」って言われましたね!「幸せの三箇条」は載せてみては? ご縁とは摩訶不思議なものですので、その冊子に目が止まり、HPがあるのを知る方、冊子を読まれてそれぞれに思いめぐらせる方、いらっしゃると思います。Bさんが冊子の最後にHPや連絡先まで書いたのか、不思議ではありませんか?自分が読むだけでしたら必要ないでしょう。こうする為に作ったのだと私は思いました。皆さんが読むようになれば「三か条」も必要ですね!みえない力、感じます。ご住職様の思いとBさんの温かいイラスト編集とっても素敵な冊子だと思います。「ご縁」広がりそうですね!楽しみです!」と。
小さな出会いが、大きな力となって、幸せの輪が広がっていく!感動と感謝!有難うございます。一人でも多くの方に信者さんの思いが届きますように、そしてその思いに報いるようにこれからも精進してまいります。合掌

幸せの三箇条 H22.5.17

幸せの三箇条!その中で一番難しいのは嫁姑問題(親子関係)。
昨日、祖母の代にご縁を頂いていました信者さん(84歳)がご来山。かれこれ二十数年ぶりに来られたので、郷ノ原は昔の面影は一つもなく「お婆ちゃん!お札所が立派なお寺になって良かったね」と祖母の遺影に話しかけていました。「今日は観音様が『今日を逃したらもう祖聖大寺に行くことはないぞ』と言われたような気がしたので思い切って、護摩堂の祈願の申し込みと三宝の代金持って来ました」と。そして昔の苦労話の中で「いつも姑は娘が三人いるからあんたには面倒見てもらわないと言っていましたが、いざ姑が入院すると娘達は誰一人近づきませんでした。13年間介護をしましたが、最後は私が行くと喜んで、帰るよというと悲しい顔をしていました。亡くなるときは有難うと言って亡くなりました」と長男の嫁として姑を送り出した自信と誇りを感じました。また、その日に来られた別の信者さんに「姑さんと仲良くしたら子供達に良い縁を頂けますよ」とお話すると目に涙を溜めて辛かった思いを話してくれました。どうしても憎しみと怨み忘れられなくて苦しんでいる。人の思いはそう簡単に白紙には戻らないでしょうが、一日でも早く許す心を持って家族みんなで幸せの道歩んでほしい。落慶法要の護摩の火に全てのマイナスの心を焼きつくし清浄なる慈悲の心が宿るよう一心に祈りたいと心から思いました。私は祈願や供養をしますが最終目的は皆さんが幸せになることです。不動明王の剣は己の心を切る剣!どうぞ皆さんも幸せの三箇条精進して幸せの道歩んで下さい。
今日から四国遍路。17名の皆さんと楽しい同行となることでしょう。合掌

四国参拝、落慶法要無事終える H22.5.24

四国参拝、護摩堂落慶法要無事に終わりました。。これも皆様方のお陰と感謝申し上げます。また、雨の中沢山の方にご縁を結んで頂きまして本当に有難うございました。感謝、感謝です。九州は沖縄を除く全県から、遠くは奈良からお越し下さいました。また奈良の方は、一泊されて後かたづけの奉仕行をして下さり、本日21時10分の夜行バスで帰路に着かれました。本当に感謝申し上げます。有難うございました。
四国参拝の一番雨が激しい27番札を参拝しているとき、修行大師が現れて信者さんにこう言われたそうです。「雨の中の参拝ほど、中味の濃い参拝はない。修行だがそれだけ御利益も大きい!人生もまた同く、修行(悩み苦しみ)をしてこそ中味のある素晴らしい人生だぞ」と。
雨の四国参拝された方、雨の落慶法要に参拝された方、しっかり神仏、お不動様からお力添いを頂けると確信しています。自信をもって今まで以上に信仰心深めて頂きたいと思います。
昨日、落慶法要には参加出来ないけれど、どうしてもお不動様とご縁を結びたいと仕事を終えて夕方お越し下さった信者さんからメールが届く「先日は有難うございました。大変お疲れの事だったと思います。でも、、お不動様は大変喜ばれたのではないかと思いました。『うれしいぞ』と言って下さいましたし、お滝のお不動様も『うん』と、うなずいて下さいました。私は、お滝場のお不動様は黙って、祖聖大寺に向かう人達を見ている様に思えてなりません。先ず、お滝場のお不動様が寺に向かう人々の心の中をお見透かされて寺に向かわせられている気がします。だからこそ、私はお寺に向かう前に、まずお滝場のお不動様にご挨拶させて頂き寺に向かい、帰りには『有難うございました』と御礼を言って帰ります。お不動様は優しく迎えて下さり、気を付けて帰れよと言って下さっているようです。先日護摩堂と本堂でお不動様をお参りしていたら涙がでて、神仏の底知らぬ偉大さを感じさせて下さいました。お不動様が私に『行け』と言われた意味をしっかりと考えたいと思っています」と。
お不動様の言葉に、もう悩むことなく前進あるのみ!自分の信じる道を歩いて行かれることでしょう!それが信者さんにとって幸せな生き方だと私は信じています。私も信者さんに恥じないように今まで以上に精進してまいります。合掌

最高の笑顔で生きる H22.5.26

護摩堂落慶法要を無事に終えたこと!時間が経てば経つほど嬉しく思います。
私に「住職さん良かったですね!おめでとうございます」と言葉を掛けて下さる皆さんの笑顔は最高に有り難く美しかった。あれから、皆さんの笑顔を思い出すたびに「お不動様、観音様、お大師様、諸仏、諸菩薩様!どうぞ、祖聖大寺と、縁ある全ての信者さんが落慶法要の時に見せた最高の笑顔で楽しく、有意義に過ごせますようにお力をお貸し下さい」と朝夕の読経に力が入ります!そして、いつか終わりを迎えるときに「私の人生良かった。幸せだった」」とあの世に帰って頂きたいと願うのです。そういう私もいつこの世とお別れするのか分かりませんが、笑顔は本当に美しいし有り難い。笑顔は自分も人も幸せにしてくれる魔法の薬だと思います。 どうぞ最高の笑顔で幸せに生きましょう!
祖聖大寺からあなたに祈りのパワーお送り致します。どうぞ受け取って下さい。必ず届きますから、大きく手を広げて受け取って下さい。合掌

笑顔のチェック H22.5.27

昨日「住職のひとり言」をHPに貼り付けた直後に「手を広げましたよ!パワー頂きながらやすみます。おやすみなさい」と23時36分メールが届く。有り難いことに「ひとり言」を楽しみに待って下さっているのか、22時、23時にHPを除いて下さる方が急増する!感謝、感謝です。
今日は、「ご住職、四国、落慶法要お疲れ様でした。こちらはお陰様で、みんな元気に暮らしています。主人も私も忙しいけど、本当に楽しいです。全く不安がないわけではないけれど、頑張っています。7月で祖聖大寺とご縁を頂いて一年になります。ご縁を頂いて本当に良かったと思います。気持ちの持ち方が全然違います。何があっても行ける場所があるって事が一番大きいです!だから安心して暮らせるんです。穏やかに日々感謝をして過ごせることは、幸せですね。家族をもっと幸せにしたいから、私まだまだ頑張ります。ご住職様、長生きして下さらないと、困りますからね。宜しくお願いします」と、メールが届く。有り難いメールにこちらの方が、パワーを頂いて元気になります。
笑顔は、自分も人も本当に幸せにする薬ですね。一人でも多くの方に笑顔のパワー届けて下さい。先ずは同じ屋根の下に住む家族に幸せを届けましょう!あなたの目の前にいるご主人様、奥様、子供達は笑っていますか?先ずチェック!もし笑っていないのであるならば自分から笑顔で話しかけましょう!合掌

修行、お行 H22.5.28

落慶法要の日、本山(高野山ではない別格本山)を除名された信者さん。お不動様から21日間の日参のお行がでた。25日、二日たったがどうも気合いが入っていない様に感じるので「滝行をした方が良いのでは?」に「自分も明日から滝を頂こうと思っていました」と返事が返ってきた。そして翌日滝を頂いたのだが「お滝に入るとすぐに後ろから背中を押されて、滝から出されてしまいました」と上がってきた。その時は何も言わず、もし明日滝着を持ってきていなければ活を入れなければと思っていました。ところが風邪をひいて昨夜は熱が出たらしい。ここは嫌事を言わなければと思い「風邪をひくと言うことは気合いが入っていない証拠。あなたに気合いが入っていないからお不動様が背中を押したのではないですか?分かっていますか」「はい、分かっています」「今、私の後ろに誰がいますか?」「お不動様です」「昨日は誰がいましたか?」「お不動様です」「では、私が言っていることはお不動様が私の言葉を借りて言っていることはお分かりですね!しっかり受け止めて下さい。そんなに僧侶の道は甘くないですよ!いくらお大師様が来年自分が面倒見ると言ったにしても、今のままではお大師様は力を貸して下さいませんよ」これは昨日の話!今日も「まだまだ、気合いが入っていない」と感じるので「明日から朝早く来てお滝をいただいては?」と促すと「今日、お不動様から明日から早く来てお滝を頂くよう言われました」と返事が返ってきた。「やっぱり!」明日から気合いが入るのか!楽しみではあるが、今のままでは高野山での一年間の修行は耐えられない!まだまだ、修行をさせられそうだ。
もし、落慶法要に参加したあと何か問題が起こっている方は、お不動様から与えられていると思って下さい。それは幸せになるために乗り越えなければならない問題です。どうぞ喜んで楽しんで問題に取り組んで下さい。お不動様に守って頂いているのですから必ず解決します。それだけお不動様に期待されているのですから、有り難く受け止めて下さい。合掌

共に歩く H22.5.30

長い人生にはいろんな事がある。たとえそれが自分の好まない出来事でも神仏から与えられた修行と諦めて(仏教語で明確に見る)逃げずに前向きに対処しましょう。修行ですから辛抱して耐えてこそ修行なのです。お大師様も「私は、救済行のため修行に励んだ。苦しいからこそ修行!苦しみに耐えてこそお力をいただくのですよ」と言われました。一人で悩んで苦しんで、家族や周りの人に嫌な思いをさせたり、心配かけたりして家庭や職場が暗くなる前に、私にいつでもメールや電話を下さい。苦しみを楽しんで生きる方法を共に考えましょう。共に幸せの道歩きたいと思っています。必ず道は開けます。信じて共に歩きましょう。きっと楽になれるから。人生楽しめますから共に歩きましょう。待っています。合掌

我が家の娘 H22.5.31

我が家の娘、念願の香川県のお寺の建立に伴う壁紙(学生の時色塗りをした絵)張りの仕事に出発した。明日午前7時に京都駅に待ち合わせして香川へ出発。5人でお寺のすぐ近くにあるアパートで共同生活が始まる。休みなしの一ヶ月間ぶっ通しで仕事をするらしい(本当かな?)
出かける前に1ヶ月2万円の生活費数ヶ月分と六月分の国民年金立て替え分を帰宅したら支払うと明細書を書いて行った。こちらは何も言わないけれど、社会人としていつまでも親に養ってもらうのは恥らしい。社会人として自覚しているところは、我が子ながら感心する。五月は夜、棚卸しのアルバイトに15日間行き、遠くは鹿児島、熊本と2、3時間車で移動して夜中に仕事をする。朝帰宅後寝付けないことも時々あったがよく頑張ったと思う。我が家の娘は、どうも楽な道よりも刺激のある、普段経験できないことにチャレンジする事が好きらしい。今回の香川での仕事も楽しんで出かけていった。どんな人と出会うのか?どんな仕事なのか?お寺の建立に関わる事が出来、自分がした仕事がそこに形として残る喜び。不安と期待、勿論期待の方が大きい。若いと言うことは素晴らしいと我が家の娘を見ていて思う。夢や希望に向かって恐れることなく行動に移す勇気。年輪を重ねた私達も失敗を恐れることなく、若い者に負けないようにいろんな事に挑戦して、充実した輝かしい人生をおくる努力を忘れてはならないと思う。いくつになっても夢や希望をもって人生楽しくときめいて過ごしましょう。合掌

信じること H22.6.1

今日から六月。無事に五月を終えホッと胸をなで下ろしているのは私だけではないでしょう。五月は水子供養祭、四国巡拝、護摩堂落慶法要、高野山駐在とはハードスケジュールでした。まだ落慶法要お礼状を発送していませんが、充実した有り難い月であり、責任を強く感じ気が引き締まる思いと、より一層の精進を決意をした月でもありました。
先日、21日間の日参行の信者さんに明日から朝早く着て滝に打たれるよう約束したにもかかわらず、初日目から遅れてきた。もう言うことはないだろうと思っていたのだが、もう一度お大師様が何と言われたか尋ねてみた「来年の春までとにかく仕事を頑張りなさい。その後は高野で待っていると言われました」「あなたはお大師様の言葉を信じていますか」「いいえ、半信半疑です」「何故ですか」「学費のことを考えても、来年高野に登ることは不可能です」「しかし、お大師様が高野で待つと言われたのでしょう」「はい」「ならば信じる事ですよ」翌日から信者さんは朝早く滝に打たれ、境内の清掃をして昼間はハローワークで(斎場の仕事を勧めている)仕事を探し、また夕方境内の清掃片付けに来てくれる。やっと、気合いが入ったようです。来年信者さんがどうなっているのか分かりませんが、私はお大師様の言葉を信じます。全ては信じることから始まります。信じる者は救われるのです。一月に専修学院に行きたいから弟子にして下さいと来られた大阪の方と共に専修学院で修行に励んでくれることを心から祈ります。またまた責任が重くなりそうだ。きっと二人とも良き僧侶になる事でしょう。
今日も沢山の方からメールや電話を頂きましたが、悩むことも大切ですが、お大師様(神仏)を信じ、自分を信じて前進しましょう。必ず道は開けます。合掌

生きる目的 H22.6.3

人は何故悩み苦しむのでしょう?昨日は元気だったのに、今日は落ち込んでいる。まるで天国から地獄に堕ちたかのように沈んでいる。どうしたら、人は永遠の幸せを掴むことが出来るのだろうか?色々私なりに考えてみた。そして出た答えは、「人はしっかりとした生きる目的を持って生きる事」と言うことでした。「何故生まれてきたのか?何のために生まれて来たのか?自分を生かす生き方はどんな生き方なのか?何をしたいのか?しっかり自分を見つめ生きる目的を持つ事です!目的がしっかりしていればどんなことがあっても、動じない強い人間になると思います。その目的が、世のため人のためであるならば素晴らしいことです。先ずは、一番間近なご自分の家族を幸せに導きましょう!
今日、高野山専修学院にお金がなくて行けないとひとり言で書いた件で、「学費300万円を私が立て替えます」とメールを頂きましたが、これが信者さんの生きる目的なのでしょうか?素晴らしいことですね。合掌

必死 H22.6.4

昨日、落ち込んでいた信者さんから届いたメール「ご住職様凄いことがありました!お観音様はやっぱり救って下さいました。結果が出てから、また報告させて頂きます。これで治るかもしれません!ご住職様お祈り下さって有難うございました。勿論、気を抜かずに毎日感謝と祈りは続けます」と。
天国から地獄、地獄から天国へと忙しい!しかし、喜怒哀楽!これも楽しい生き方かもしれない。助けて下さいと言われると、私も必死に祈る。信者さんの悲しみや苦しみを思えば思うほど私の思いも頂点に至る。祈願は、神仏のお慈悲と僧侶と本人の思いが一つになったとき三密といって、御利益を頂くといわれますが、必死になるから御利益も早く頂くのではないでしょうか!勿論、気を抜かず毎日心を込めて拝んでいますが……………!
必死になるということは、神仏の心も動かしますが、人の心も動かします。ご自分の熱い心、相手の心に伝えましょう。恋愛も仕事も全て熱く、必死に伝えましょう!喜怒哀楽も使い方によっては、人の心を動かすのです!合掌

感謝 H22.6.6

テレビの影響は凄いですね!
「願掛け寺があると聞きお参りに来ました」と隣の県からお越し頂いた方。やはり、嫁ぎ先のご両親と繋がっていないことが原因で、問題が起きていた。お墓参りと「どんな辛い事があっても、ご主人を産んで育ててくれたご両親に感謝はしても怨んではいけない。心からお詫びと和解をして下さい!」と勧めた。縁あって親子となったのですから良き嫁を務め、仲良く楽しく過ごしましょう。我が子の幸せを思うのなら、嫁いだ自分が幸せでなかったら、息子の嫁も幸せにはならないし、嫁いだ娘も幸せにはならない。子供達に良き縁はないのです。子孫繁栄は自分が蒔いた種からはじまります。良き種を蒔きましょう。先ずは自分が幸せになって、その思いを子供に繋げていってください。感謝の心は子孫繁栄へと受け継がれていくのです。
23時52分今届いたメールです。「何とか谷は越えました!母に感謝です」と。6月2日に「助けて下さい……」と始まったメールをもらっていましたが「大丈夫!あなたなら乗り越えられます」と返信していました。やっぱり家族は有り難いですね!家族を大切にしましょう。どんな小さな事でも感謝して楽しく暮らしましょう。合掌

人のサンタクロース H22.6.7

定期的に配信されている「熱血!中小企業応援塾 高柳さん」から今日届いたメールに感動しましたのでご紹介します。
人のサンタクロース
今回も「情熱思考」(是久昌信著)の一節からです。
クリスマスの夜、ある人が人生に限界を感じ、もう死にたいと泣きながら眠りについた。
すると、さまざまな人と話をする夢をみた。
「聞いて下さい。私は倒産しました。恋人も失いました。選挙に8回も落選しました」
「私もだよ。それが何か?」~第16代アメリカ大統領 エイブラハム・リンカーン~
「聞いてください。私は言語障害です。入試に3度も落ちました。選挙に2回も落選しました。」
「私もだよ。それが何か?」~イギリス首相 ウィルストン・チャーチル
「聞いてください。私は知能が低いと言われました。仕事を2度も首になりました。ある研究で1万回も失敗しました。」
「私もだよ。それが何か?」~発明王 トーマス・エジソン
「聞いてください。私はなかなか言葉が話せず、読み書きを覚えるのにも時間がかかり、妄想癖があり、どこの学校にも入れてもらえませんでした。」
「私もだよ。それが何か?」~20世紀最大の天才 アルバート・アインシュタイン
「聞いてください。私はお店も、資産も失いました。息子も亡くしました。新しい仕事の売り込みは1000人以上に断られました」
「私もだよ。それが何か?」~伝説の起業家 カーネル・サンダース
「聞いてください。私は7回も事業に失敗しました。5回も破産しています」
「私もだよ。それが何か?」~自動車王 ヘンリー・フォード
「聞いてください。私は創造力が乏しく、アイデアにセンスがないと会社を解雇されました。何度も破産を繰り返しています」
「私もだよ。それが何か?」~アニメの神様 ウォルト・ディズニー
その人は夢の中で7人の偉大なる凡人に出会った。
彼らからどんなことにも傷つかない心とあきらめない勇気をもらった。
成功するまで何度も失敗してもつきることのない情熱をもらった。
その人のハートは窓の外の雪をすべて溶かしてしまうほど熱くなっていた。
人生に限界はない。失敗を恐れてはいけない。
成功は、偉大なる失敗の連続から生まれる結果だから。
情熱を持って偉大なる失敗を繰り返せる凡人が世界を変える。
いかがでしたでしょうか?あなたも可能性を秘めた凡人なのです。合掌

東長寺の弘法大師誕生祭 H22.6.8

日本最古の真言宗の寺、東長寺(東長密寺)では、6月15日はお大師様のご生誕を祝う青葉祭(誕生祭)が行われます。
この日は、年に一度のお大師様自作の弘法大師像がご開帳されます。
是非ご縁を結ばれて下さい。
詳しくはこちらから http://averse.hp.infoseek.co.jp/kan/ka005.html

子授け御守が出来ました H22.6.9

祖聖大寺は、先代の香岳氏の時代から子授けに霊験あらたかな寺として有名です。
そこで、子授け御守(500円)を作りましたのでお知らせします。
結婚して子供が授かる事は当たり前のように思いますが、世の中には子宝に恵まれない人も沢山います。子供を授からない方に、1.水子がいる方、2.跡取り長女でありながら嫁に行った方、3.嫁姑(母と姑)が不仲、4.親子が不仲、5.両親が不仲など、この条件に当てはまる方が特に多いように思います。また良縁に恵まれない人も多いように感じます。1の水子がいる方は心から侘び供養をしてあげることです。2の方は実家のご先祖様にお詫びと供養、特にお墓参りには毎月行きましょう。心からご先祖様の供養と家族が仲良くすること大切な事だと思います。精進して下さい。
子安観音様に御利益を頂きたい方は、子授け祈願致します。御守付きで五千円です。また供養もいたしますし、供養祭にもご遠慮なくお出かけ下さい。忙しい現代人、最近ではネットでお申し込みされる方が増えてきました。心があれば必ずご先祖様、水子ちゃんに届きますのでご遠慮なくお申し込み下さい。。勿論自宅でもしっかりお経を唱えてあげて下さい。合掌

住職のひとり言の冊子2010年1~4月版が届く H22.6.10

先日、「住職のひとり言を冊子にしてみました。取りあえず2009年版カラー2冊、2010年1月~4月版カラー2冊、モノクロ2冊を送ります。読みやすくなったと思いますので活用してみて下さい。パソコンなどをお持ちでない方にも読んでいただきたいと思っています。冊数が少ないのでお配りできませんが、お寺に参拝のおり、お時間の許される方々にお読みいただければと願っています」と冊子が届く。
そして今日のメールで「最近、思うことがあります。昔からチョットとお節介な処があり、物事によっては『小さな親切、大きなお世話』になってはいないかと考えるときがあります。関わらないことは、楽で良いんでしょうね?『こだわり』を捨てると楽なんでしょうね!」と。
「小さな親切、大きなお世話!」悲しいことです!生きるという事は大変なことだと思います。だから、人は人と関わって、支え合ったり、励まし合ったり、泣いたり笑ったり、共に分かち合って、人生をくぐり抜けていくのではないでしょうか?それなのに、人の行為を大きなお世話と感じる人が増えていることは悲しいことです!年輪を重ねた分、知識を智恵に変えて生きてきた私達大人は、生きるということを次世代に伝えていく義務があると思います。最近は、その義務を怠る親が増えてきています。子供に好かれたい気持ちから、嫌事を言わず、物わかりの良い親を演じている。本当にそれで良いのでしょうか?私は、命の継承は魂の継承と思っています。親は子供に、一生懸命ご先祖様が生きてきてくれたからこそ自分が存在すること。そして真言宗のテーマ「生かせいのち」人としてどう生きていくのか、しっかり伝えていけば、人の親切を大きなお世話と思うことはないと思います。日本人は、人の親切を遠慮が美徳と思っている方が多いようですが、感謝が美徳だと思います。自分が出来ることはさせて頂き、人の親切(行為)には感謝を忘れない!そういう子供達を育てていけば、明るい未来が訪れるのではないでしょうか。
一人でも多くの方に「住職のひとり言」読んで頂き幸せになってもらいたいと、冊子を作って下さった信者さんに感謝します。有難うございました。合掌

おせっかい H22.6.11

「今朝のメール、生意気に感じましたか?」
実は私も昨年の始め頃、同僚の恋愛問題に関わっていました。
相手が支店長なので内輪の話です。
「大きなお世話」をしていたと思います。
どんな問題も決めるのは本人です。
アドバイスなんてものは一般論で奇麗事だと思います。
本人だってこうすればいいのは解っているけど出来ない!
その心の葛藤なんですよね。
全ての問題は外にあるのではなく内、自分の心!
後から解りました、彼女に申し訳なかったなぁと!
返って苦しめる事になったのだろうなぁと!
それに気づいた時彼女に謝りました。
彼女は彼とよりを戻そうとしました、その後はあやふやですが、でも最終的に別れた後、自分を取り戻しその後元気にイキイキとしています。以前より仕事に打ち込んでいるようにも感じます。
「おせっかい!」
人は良かれと思ってしています、どんな事であろうと!
受け取る方が「おせっかい」と受け取るか「ありがとう」と受け取るか?出来る事なら「ありがとう」と受け取ってもらいたいです。
しかし、同僚の方は何か不安だったから信者さんに相談したのではないでしょうか?
おせっかいは大いに焼いてほしいと思います。そこに人の温もりを感じられるから!合掌

信者さん板東三十三観音巡拝 H22.6.13

信者さん今日から板東三十三観音霊場巡拝の旅にでた。
板東公式サイトから、インドにその源を発する観音信仰は、仏教の東漸にともなって中国、朝鮮、そして日本に流伝した。特にわが国においては、きわめて古くから、また、各時代を通じて観音信仰は継承され、やがて全国津々浦々に至るまで浸透、それゆえに民衆信仰を代表するものとなっている。だから現存するあらゆる仏像の中で、観音像がもっとも多数を占めており、また、観音信仰の縁起や説話のたぐいも多く語り伝えられ、信ぜられている。この観音信仰の基盤をなす代表的な経典は「妙法蓮華経」の中の「普門品第二十五」であるが、真心をもって一心に観音の御名を称えれば、その音声を観じてたちどころにわれわれの苦悩を観音菩薩は救いたもうとある。そして、その慈悲心のおはたらきが、姿を三十三種に変じての救いとなっているといわれるのである。この三十三という数に合わせて始められたのが、三十三観音札所巡りである。
信者さんからのメール「今日は浅草寺からのスタートでした。最後は袋滝で終了。浅草寺はすごい人でした。多分、今までで一番の混みよう、まるでラッシュアワー並。それでも中まで入らせて頂けたのでお参りはしっかり出来ました。
夕方、添乗員さんから、16日にお参りする31番札所笠森寺でハンカチに願い事を書いて所定の所に結ぶと願いが叶うと教えて頂きました。そこで早速ハンカチを購入して来ました」と。
さて、信者さんは何と願いを書くのでしょう?信者さんは、以前「人の幸せへのお手伝いをしたい」と言われていました。きっと巡拝を終え、一段と美しく輝いて帰ってくることでしょう。美しく輝いている人の回りには人が集まってきます。そして幸せの輪はドンドン広がっていくのでしょう。あなたもどうぞ、美しく輝いて下さい。幸せになるために!合掌

来春高野山専修学院へ H22.6.14

護摩堂落慶法要翌日から21日間の日参行がでていた信者さん、昨日満願そして本日御礼参りを無事に終えた。5月1日に高野山ではない別格本山から除名(僧侶の免許を取り消し)されて思い悩んでいたときに、当山のお大師様が現れて「とにかく一年間仕事をしなさい。そして来年の春高野山で待っているから」と言われていましたので、これからどうするのか、どうしたいのか、素直な気持ちを聞かせもらった。
「日参行を終え、今から新たに始まったと思っています。行は終わりましたが、これからも来れるときはお滝をいただきたいと思っています。そして自分としては、来年の春高野山の専修学院に入学したいと思っています」と。
専修学院に行くためには、得度をしなければならないことを伝えると祖聖大寺で得度をしたいと希望した。本人の意志は固く、私の弟子としての覚悟も出来ているようだ。20日の得度式に向けて忙しくなりそう。
信者さんは二歳の時初めて高野山に上り、孔雀堂の前で高野山を降りたくないとだだをこねた。
そして高野山二回目の来春、高野山真言宗の僧侶の資格を取るために専修学院へ上る。
信者さんの進む道は生まれた時から既に決まっていたようだ。除名をされ遠回りをしたように思えるが、遠回りをしたからこそ専修学院での辛い、辛い修行に耐えられると思う。
お大師様が認めた信者さんきっと素晴らしい僧侶となるでしょう。
その前に来年三月まで働ける職場が見つからなければならないのだが……どこか良い職場はないでしょうか?宜しくお願いします。
人生は一本道。しかし、時には寄り道、脇道、近道もあります。生きることに無駄な事など何一つないのです。どんなことがあっても、落ち込むことなく、常に反省と向上心をもって生きていれば、道は自ずと開け、自分の本当の生きる道に到達するのです。合掌

お大師様の誕生日 H22.6.15

今日は、お大師様の誕生日。宝亀5年(774年)6月15日のお生まれです。
真言宗のお寺ではご生誕を祝う法要が各地で執り行われています。(当山では13日供養祭に合わせていたしました)
お大師様の教えの中に、如実知自心というお言葉があります。「あるがままに自らの心を知る」という意味です。人は、ともすると弱者を思いやることを忘れ、自らを戒めることもなく、耐え忍ぶことを知らず、怠惰に過ごし、その結果として悩み、迷っています。
弘法大師は、自らの心に目を向け、汚れた心を知り、省みることが大切であると説いています。
自分の心を知った上で、人としてどう生きたらよいのか、常に自分を見つめることは大切ではないでしょうか。私達をお救い下さるお大師様の思いをしっかり受け止めましょう。
今朝、お大師様の御前でお参りしていると、「まだまだ試練は多いが、頑張れ」とお言葉を頂いたように感じました。人を幸せへと導くことの難しさを改めて教えられたように思います。それでも笑って「頑張れよ」と言って下さるお大師様に感謝です。
板東観音霊場巡拝の信者さんからメールが届く。
「昨日雨の中、最後にお参りした筑波山大御堂、なんとお大師様の誕生日の今日、大師堂の落慶法要が行われるとの事。なので朝食前にお参りして来ました。
雨も上がり、あたり一面は霧の中。ひんやりとした、澄んだ空気の中での般若心経、幸せな気持ちになりまし。ご縁をありがとうございます。今日もお参りが続きます。行ってきま~す」
昼過ぎに「今回の坂東のお寺ではありませんが、成田山新勝寺に寄りました。境内広~い!一時間の自由時間、五ヶ所ご朱印を頂きたく、早足ですたこらさっさ。途中、奥の院の裏で何やら工事中?洞窟の扉(木製)の取り替えでした。工事責任者の方が洞窟の中を見せてくれました。そこにはこんな説明が書かれてありました。この洞窟は奥行き約11メ-トルあり、正面に不動明王の本地仏である大日如来が安置され、毎年、当山祇園会の日、(7月7・8・9日)に限り開扉される。入口左右の板碑は考古学上貴重なものである。ラッキーでした。工事のおじさんありがとうと言って握手して来ました」と。
信者さんは幸せの一本道を歩いていますね。私は心から嬉しく思います。
なぜなら、それが私の一番の願いであり幸せですから。合掌

板東三十三観音巡拝中の信者さんからのメール H22.6.16

次はハンカチに願い事を書いて結ぶと願いが叶う笠森寺です。今朝みんなにメールしたので「願い事」思い送ってくれたと思います。
天気予報、雨でしたが朝から全く降っていません。きっとみんなの心が届いたのでしょうね。結んで来ました。観音様にお願い届きました。ホッと一息です
昨日の出来事です。15日最後のお参りは満願寺(27番円福寺の奥の院)。ご朱印を頂きたく納経帳を渡しました。すっごく若い尼さん(見習い)?朱印をポンポンと…
「すみませんがそのページは33番ではないですか」と、声をかけると、彼女は「しまった」という表情!「申し訳ございません」と彼女は平謝り。
「良いですよ、そのままそのページにお願いします」
お参りを済ませると彼女は「先ほどは大変申し訳ありませんでした。これをお納め下さい」と、福袋を頂きました。彼女は今後注意深くご朱印されるでしょうし、私自身、「許す心」を持てた事が嬉しかった。
ホテルに着いて頂いた福袋を開けると中には「お福豆」。お大師様の誕生日、今日の最後は「福」でした。
私から「素敵な思い出が出来ましたね!お大師様から福を頂いて最高の幸せです。
やっぱり幸せの一本道歩いていますね。嬉しいですね」と。
あなたも「許す心」持てますか? 人は、心に余裕を持っているとき人に優しくできます。心に余裕を持って一緒に幸せの一本道歩きましょう。たとえ、あなたが、今地獄の底へいようとも志を高く持っていれば必ず極楽浄土へ到達出来るのです。お金や地位や名誉がなくても、誰でも幸せになれるのです。合掌

得度式 H22.6.19

今日一日早い得度式が執り行われた。高野山真言宗の僧侶が一人誕生したのである。
私の弟子になった以上、お衣着て、袈裟付けただけでは僧侶として認めない。心が僧侶でなければならない。勿論、私が信者さんを僧侶としてふさわしいと認めたからこそ、今日の得度式を迎えたのだが……。来年の春、修行の地、高野山専修学院に入学して僧侶として磨きをかけてくれるだろうが、僧侶の道は厳しく生半可な思いでは志半ばで挫折してしまう。これから先、信者さんに取ってどんな人生が待っているのか?分からないが、責任を持ってしっかり精進してほしいと思う。常に志は高く持ち、世のため人のためになる立派な僧侶を目指して頑張ってほしい!
私に出来る限りの協力はさせて頂こうと心に誓う。
人生!楽にこしたことはないが、イバラの道を敢えて歩いていくのもまた楽しいと思う。人は、現実の苦しさから逃げよう!逃げようとする!逃げても何も始まらないのに逃げてしまう。本当の幸せは苦しみの中から始まることを知ってもらいたい!
自分の内に秘めた強さや慈悲心を引き出して、自信と誇りを持って生きてほしい。同じ人生なら、何事にも挑戦して自分の可能性を引き出して生きていこう。合掌

父の日 H22.6.20

今日は、父の日です。香川県でアルバイトしている娘から「元気ですか?」と電話が鳴った。やはり父親として嬉しい。それは、自分の存在を認めてもらうことに喜びを感じるからだと思います。年を重ねれば重ねるほどその思いは強いのではないでしょうか。
今日、信者さんとのメールのやり取りの最後に「今日は父の日です!あなたの命の源です!
先ずは、ご両親に感謝の意を伝えて共に生きる喜びを感じて下さい!幸せはここから始まります。感謝が一番ですね」と送信しました。
私も、親父に親孝行してきたいと思います。今日だから意味があるのです。皆さんも親孝行して下さい。電話一本でよいのですから!合掌

命の授業 H22.6.22  

今日熱血!中小企業応援塾より届いたメールです。
「8年前、家族とスキーに行った際、転倒し首の骨を折り、手術は成功したものの、医者からは「一生寝たきり」よくても「車いす生活」と宣言され、あまりのショックで自殺未遂までした男がいます。
しかし、彼は奇跡の復活を遂げます。
事故から10日後、まったく動かなかった手足がだんだん動き出し、そして4ヶ月後、先生として学校に戻れたのです。
その背景には、彼の強い信念と家族、生徒、仲間達へのたくさんの感謝の気持ちがありました。
彼の名は、腰塚勇人。元中学の体育教師。
私が彼と出会ったのは、今年の4月に名古屋に行った時でした。
そこはあの竹田和平氏の事務所でした。
彼の話をその時初めて聞いて、涙が止まりませんでした。
先日、たまたま彼が書いた本を見つけて、買いました。
それが本日のタイトル「命の授業」です。
そして本を読み、また泣いてしまいました。
彼は学校へ戻るときに「5つの誓い」を決めました。
「口」は、人を励ます言葉や感謝の言葉を言うために使おう
「耳」は、人の言葉を最後まで聴いてあげるために使おう
「目」は、人の良いところを見るために使おう
「手足」は、人を助けるために使おう
「心」は、人の痛みがわかるために使おう
私を助けてくれた人たちがしてくれたこと、今度は私がしよう…
そして今彼は、中学教師を辞め、全国で講演活動をしています。
また、 7/01 19:45~フジテレビ系奇跡体験アンビリーバボーに出演されるようです。
彼の生き方、考え方には、一個人としても経営者として学ぶべきものがたくさんあるように思います。いかがでしたか?合掌

充実した人生 H22.6.22

毎日が楽しい、面白いと充実した人生を送ることそこ幸せな人生だと思います。
そのためには、常にどうしたら幸せになるのか?考える事が大切だと思います。但し、マイナス思考は逆効果ですが……!
例えばお金ですが!生きていくためには絶対に必要です。勿論お金があれば、幸せ?とは限りませんが……無いよりあった方が良いでしょう。
「じゃぁ、そのお金は何をして得るのか?」
「どうしたら、もっと稼げるのか」
「得た後、どう使うのか?」
と考えていくと、色んな夢や希望は広がり、人はそのための努力をするのです。例えば、本を読んだり人の話を聞いたりいろんな事を学び人として成長するのです。学びは日々の生活の中に発見や喜びや感動へと繋がり、充実した楽しい人生を送る事になるのです。しっかりプラス思考で楽しい日々を送って下さい。決してマイナス思考で自分で自分を苦しめる事のないようにして下さい。自分を信じて明るい未来を信じて精進して下さい。合掌

辛抱の先には幸せが待っている H22.6.24

三年ぶりに八女から信者さんが若い女性とご来山。大祭の護摩木の申し込みには、いつも子供の良縁祈願を申し込まれていた信者さんでしたが、お連れの女性は息子の結婚相手でした。
おめでたい話に私はホッと胸をなで下ろした。何故なら、ご主人の浮気に悩まれていた信者さんは、養子に来てくれたご主人には何も言えないと、ただただじっと耐えていたからだ。
ご主人がつくった色情因縁は、子供達の結婚が縁遠かったり、離婚したり、子供が授からなかったりと、子孫繁栄に大きな影響を与えるところでしたが、奥様がじっと耐え辛抱したからこそ良縁に恵まれたと思います。
今日、二人で篠栗参りに来たきっかけは、護摩堂落慶法要で頂いた散華を恐る恐る「有り難い散華をお守りにもらってくれない」と話すと「喜んで頂きます。祖母が良く篠栗にお参りに行っていました」と話が弾み「篠栗に行きましょう」と決まったそうです。お二人のお話を伺っていて本当にほのぼのと嬉しくなりました。「私達、メル友です」「お母さんはとても気さくで明るくて友達のようです」。信者さんのカバンには息子の結婚相手から頂いたかわいらしいキーホルダーが沢山ぶら下がっていました。
そして、気になるご主人との仲も、不景気で仕事が少なくなり、浮気は金が縁の切れどころ!で、奥様にしっかり謝られ、パートに出ている間ご主人はお母様の面倒をよく見てくれるそうです。
辛いご主人の浮気にじっと耐えたからこそ、今本物の夫婦となり、幸せな日を迎えることが出来たのだと思います。辛抱した者は必ず幸せになる。そして子孫繁栄と繋がっていくことを確信した一日でした。
あなたも辛抱して下さい。今度はあなたが幸せになる番ですよ。合掌

日本中が歓喜で渦巻く H22.6.25

W杯前に、今、注目の本田選手のドキュメンタリー番組で彼が言っていたことを思い出す。サッカーで「夢と感動を伝えたい」「誰に何を言われようと、自分の魂に従えば、自分の信念を貫き通す事!全ては自分の幸せのために」「勝つためには団結と調和が大切。くじけそうになった時、支えてくれる仲間に感謝」「諦めたらその先に道はない!」「練習試合でとる1点も、W杯でとる1点も同じ!いつも必死だ」「待つのではボールは回ってこない!自らボールを取りに行かなければならない」「ボールを取られて気付くことがある」…………
日本一!世界一を目指して生きてきた本田選手の生き方に感動した!そして、まだまだ夢に向かって自分を鍛え磨いていく努力を惜しまない彼は、人々に生きる勇気を与える事だろう。
スポーツマン本田選手の生き方は、社長もサラリーマンも主婦も誰でも、彼の生き方を参考にすれば、まだまだ自分を磨いていけるのでは無いでしょうか。それは、やはり、たった一度しかない人生のために!夢と感動の人生のために!自分の幸せのために!まだまだ自分の可能性捨てたものではないかもしれません。合掌

シャンソン歌手クミコさんの話題の曲「inori祈り」を聞いて H22.6.26

最近、シャンソン歌手クミコさんの話題の曲「INORI祈り」を聞いて、最後の歌詞「めぐりめぐり行く季節をこえて 今でも今でも祈っている 二度と二度と辛い思いは 誰にもしてほしくない 誰にもしてほしくない」を聞いてハッとした。
仏教を学び、信仰の素晴らしさを感じ始めた頃、私は「この苦しみをこの悲しみを、もう二度と誰にも味合わせたくない。信仰の力で運命を変えることが出来るのなら、こんあ素晴らしいことはない」と、そう思ったのだった。
祈りとは、魂を魂の世界!どんなことがあっても祈り続けること!たとえそれが自分の思いと正反対の結果であっても祈り続けること!そうどんなことがあっても ………
それが、僧侶としての使命でもあるし、皆さんに伝えていく大切な使命でもある。
クミコさんのコメント
新曲「INORI] 「祈る」ことは「祈る」こと
日本人にとって「折り鶴」は、特別な意味を持つものといえます。
「千羽鶴」といわれるくらい沢山の「折り鶴」に「願掛け」をする風習は、この国の人なら誰でも知っています。
一羽一羽心を込めて折る、折り続けるそのことが、切なる願いを持つ人の大きな支えになっているのでしょう。
「INORI」の主人公の少女もそうでした。
佐々木禎子(さだこ)ちゃん。
広島平和記念公園にある「原爆の子の像」のモデルでもあります。
頭上に高く「折り鶴」を掲げた少女の像です。
2才で被爆し12才で亡くなった少女は、いつか元気になって皆の待つ家へ帰れることを願いました。
そしてそのためにできること、それが「折り鶴」を折ることでした。
苦い薬の包み紙を広げ、一羽一羽折り続けることでした。
「INORI」は「祈り」です。
核軍縮が声高に叫ばれる現代。
少女の残したちっちゃな「折り鶴」たちは「命」の尊さを教えてくれます。
生きとし生けるものの「祈り」を伝えてくれます。
禎子ちゃんの甥にあたる作者佐々木祐滋さんが、私に手渡してくれたこの歌を、これから共に大切に唄っていきましょう。
それこそ「折り鶴」を折るように。
心を込めて。

我が家の子供達 H22.6.27

昨日、娘からメールが届く「昨日、香川の仕事終わりました。今日、神戸の部屋を見に行きました。連帯保証人はお父さん!もしかしたら 電話がかかってくるかもしれないので、よろしくお願いします。今日は、京都の友達の家に泊まります。多分、明後日福岡に帰ります」と!
娘の行動力には頭が下がる。若者の町、神戸に夢とロマンを求めて、また旅立っていく!
親の心配をよそに旅立っていく。喜ぶべきか?悲しむべきか?複雑な思いです!
長男はと言うと、自分の夢に向かって頑張っている様子。ただ高野山麓の町ではアルバイトが見つからず、難波に引っ越す手続きを取っている。専門学校と高野山大学の掛け持ち大丈夫なのだろうか?
東京の次男は、昨夜、坊守に、「後輩が彼女のことでお母さんに相談したいことがあるらしいから話を聞いてあげて」と電話が入った。内容はというと、女心を教えてほしいと言う事!坊守は最後に「本当に彼女のことが大切なら、今は新聞奨学生として仕事と勉強を両立させ、自分の夢や目標に向かって努力して下さい。男として、自分を磨き輝いていれば、きっとあなたの思い分かってくれるでしょう」と話していた。親として、出来ることはただ祈ること。神仏にすがって祈ること!
この世で一番尊いものは、やはり親の思いです!
親は、心配のあまり、小言を言ったり批判をしたり、ついしてしまいますが、本人を尊重して認めてあげることが大切ではないでしょうか。
親の信頼を受けて育った子供は、自信をもち、未来に夢や希望をもって羽ばたいて生きていけると思います!
たとえ、それが親の意にそぐわなくても!本人にとっては、たった一度の人生なのだから!合掌

言葉、言霊 H22.6.29

「その一言、有り難いです。力が湧いてきます。私もそんな風に言えるようになりたいです」と、信者さんとのメールのやり取りの言葉です。
私達は、毎日言葉を使って周りの人とコミュニケーションをとります。その会話は、お互いに明るく力が湧いてくる言葉だとうれしいですね。
昔から言葉は言霊(神秘的な霊力)と言われますが、言葉には人の心を動かす不思議な力があります。
一日一人で良いです。あなたの言葉で、誰かに元気や勇気を与えて見て下さい。そして、明日は二人と三人と……意識して言葉を使っていると、自然と身について気が付くとあなたの周りは、笑顔とプラス思考の明るい、元気な人たちが集まってきます。
先ずは、家族の笑顔を見るために素敵な言葉を使って下さい。家族から広がった幸せの輪は、世界へと広がっていく事でしょう。
合掌

辛抱 H22.7.1

今年も折り返し点を迎え、喜んでいる人、悲しんでいる人、不安でどうしようもない人、様々な思いで七月を迎えたと思います。
どちらかと言えば、不安でどうしょうもなく、いても立ってもいられない仕方がない人の方が多いと思います。
マイナス思考で物事考えても何も良くなりません!どうぞ今は辛抱時です。
人間は、長い間生きていると、いろんな事があり、苦しまなければならないことの一つや二つはあります。何事も短期を起こさずじっと辛抱して、しっかりと自己を見つめ、、神仏を信じて心正しく身を守って下さい!辛抱して耐えた者には神仏は必ず力を貸して下さいます。必ず道は開けるのです。信じて信じて精進して下さい。
それしか方法は無いのです。合掌

素直に生きる H22.7.2

信者さんからのメールです。
「心開いて話せる人、沢山はいりません!一人でいいんです。この人は裏切らない、信頼できる人が一人いれば・・・きっとそれが夫婦だと円満!って事なんでしょうね」と。
「心開いて話せる人!」あなたは何人いますか?
「それが夫婦だと円満!って事なんでしょうね」ご夫婦が信頼しあっていますか?
子供が、夫が自殺する!家族は誰も気付かない!これが現代社会!
夫婦の絆も、家族の絆も薄れている!
「愛!」とは何でしょう?言いたいことも言えず、言えば腹をかき、お互いの心に背を向け、理解しようとしない夫婦、家族、人間関係!これで良いのでしょうか?
お互いに肩の力を抜いて、もっと素直に心から腹を割って語り合うこと!大切ではないでしょうか
長い人生にはいろんな事があります!
辛くて悲しいときに相談できる人、信頼できる人必要ですね!
そのためには、嘘、偽りのない自分の正直な素直な心、本音で語り合わなければ信頼関係は築けないでしょう!
一度、ご自分の周りを見渡してみて下さい!
何でも話せる、信頼できる人はいますか!合掌

信じるもの H22.7.3

信者さん曰く「私は、仏教(信仰)をしているとは思っていません。神仏の存在もまだよく分かりません……自分を信じていません(よく分からない)!」と。
この言葉に衝撃をうけた。自分を信じられない人が、人を信じる事ができるだろうか?ましてや神仏の存在も分からないと言う。
私は、神仏を信じ日々生きている!それは心の安堵へと繋がり、自分を信じて楽しく生きていく事へと繋がっている!もし、私から神仏を信じる心を除いたら、私は何を信じて生きていくのだろうか?そして心の安堵は得られるのだろうか?色々考えてみた。
「金?」確かにお金は必要だが、本当の心の安堵は得られるだろうか?
世の中は「金!金!金!」信じるものは「金」!
お金は自分を裏切らない!お金さえあれば何でも出来る!地位も名誉も幸せも何でも買える!
そう思っている人が多い。まるでお金を持った者が勝者のように!
そして「お金が縁の切れ目」とばかりに人間関係もお金に左右される。
夫婦はお金の事で諍い、挙句の果てに離婚をする。
ある人が言っていた。「お金に汚い人は、いつかお金に苦労する!」自分のお金(財産)を増やすことしか考えない人、要するにお金を出し惜しみする人は、いつか財産を失うと!
神仏を信じるのか?お金を信じるのか?どちらも大切であるが、心の安堵という面では大きな差がある。信じる者は救われる!騙されたと思って心の底から信じてみませんか!
あなたの幸せと、あなたの縁ある方々の幸せのために!合掌

人生の選択 H22.7.5

ある行政機関が婚活支援を開始したとニュースが流れる。その町では30歳以上の男女の三分の一の人が独身、このままでは町は成り立たなくなると言う。
最近の若者は「結婚だけが人生ではない」と良く言う。また「結婚は人生の墓場」これも良く耳にするが、本当にそうだろうか?
愛する者と共に人生を歩む喜び。夫として妻としての責任。子供を授かる喜びと責任、父として母として子供と共に成長していく喜び。共に力を合わせて一つの家庭を築いていく喜びと責任は、大変な中にも充実感と、守るべき者がいることはエネルギーの源で有り幸せであると思う。
では、結婚はどうしたら出来るのか?
先ずは自分を磨くことが大切です。輝いている者は人を引き寄せるパワーをもっている!そこには笑いと夢と希望があると私はそう信じています。
一度しかない人生!楽に生きるより刺激的に生きた方が絶対に面白い!一人で生きるより二人で生きた方が絶対に楽しい!だから人生の選択を間違わないようお勧めします。
幸せはそう簡単には手に入らないかもしれないけれど、行動をとるだけの価値はあると思う。そこには、人としての成長があるのですから!合掌

おもかる地蔵様 H22.7.6

昨日奈良から修行道場に参加下さった方からのメールです。
ゆっくり帰るつもりが(ゆっくり走ったのですが?)、雨降りもなく、混雑もなく思ったよりも早く関西圏に入ったので一気に帰宅。AM2:30頃に着いてしまいました。
今回も修行道場に無事参加、帰宅させてくださった神仏に感謝しています。
この度の入山で特に感じたのは、お寺の本尊様、子安観音様などの霊験もあらたかでしょうが、私は『おもかる地蔵』様から、願掛けあるいは尋ねに対し、ご反応をたくさんいただいたことを嬉しく思いました。
必ず叶うであろう事柄には軽々と持ち上がるご反応をいただき、持ち上がるが少し重みを感じる場合は「時間がかかる」か「もう少し精進しなさい」と言うご指示なのでしょう!
また、まったく持ち上がらない(ご反応のない)願いもありましたが、「精進すればきっと叶う」と信じたいものです。
もちろん、「妻とも仲良く暮らして行けますように」とお願いしたら軽々と持ち上げることが出来ました。(^_^)v
『おもかる地蔵』さまにもたくさんの方がお参りに来られると良いですね。
差し上げました「ひとり言」冊子ですが〝ご縁〟のある方に読んでいただけたら嬉しく思います。『ひとり言』は身近な事を書いておられるので長く手元において読み返していただけるとおもいます。
『弘法新聞』の「仏声梵語」「随感」や信者さんからのメッセージもたくさんの方々に読んでいただきたいです。これからも作っていきたいと思います。
皆様の幸せのお手伝い、布施行有難うございます。ご縁のある方に差し上げたいと思います。
有難うございました。合掌

七夕に思う H22.7.8

昨日は七夕。短冊に夢や希望、色々な思いを星に願いを込めてお祈りしたと思います。
七夕は、織姫と彦星が年に一度、再会できると言うお話です。
この季節、恋人は愛を語り、片思いの人は切なくて、遠距離恋愛を楽しむ人、もしくは不安に思う人、若かりし頃の懐かしい思い出や切ない思い出、色んな思いで七夕を迎えると思います。
中には忘れられない未練のある恋もあるでしょう。お互いに愛し合っていたはずなのに自分に告白する勇気が無くて成就しなかった愛、ちょっとした喧嘩でお互いに意地を張って別れてしまった愛、親を説得できなくて諦めた愛。未練の恋愛は、年を重ねる毎に後悔と懺悔の思いにふけるものです。また、お互いに許すことなく離婚をした夫婦。
月日が経つに連れ後悔する事もあるでしょう。しかし、過去を変えることは出来ません。そんなときは、懺悔と祈り、それしかないと思います。
心から、相手の幸せを祈ること!それは必ず神仏に通じます。是非精進して下さい。
若者よ!良き伴侶と思う人が現れたら、後悔しないようにアタックしよう。
自分の素直な思いを、心を込めて伝えよう!熱く伝えよう!
失敗を恐れることなく、勇気を持って伝えよう!たった一度の人生だから!
伝える事なく諦めるより、行動とって諦めた方がよい!
こんな魅力的な人間に気付かないとは、見る目が無いな!と思った方が勝ちです!合掌

人生は山有り谷有り、平坦有り H22.7.11

ひとり言「七夕に思う」を貼り付けた途端、信者さんからメールが届く。
「最近新しい出会いがありました。優しそうな笑顔に、瞳に、一目惚れです。ひとり言呼んで勇気出ました。アタックですね!」と。
若いと言うことは素晴らしいことですね!このメールを見てどれだけの人が心動かし前向きに人生を歩んで行ってくれるのか?楽しみであり、喜びでもあります。
今日、信者さんから「近所の方が自殺をされました」と辛い話を耳にしました。
多分。中間職で仕事上の悩みがあったのでしょうが?
しかし、死ぬくらいなら会社を辞めればいい!と私は思う。
死んだらおしまいです!しかも、あの世に行くことなくさまよい続けなければならないのですから!残された家族の苦しみ!暗い影を残した家族に幸せという文字はあり得ない!
どんな事があっても、人は生き続けなければならないのです!
なぜなら、私達がこの世にうまれてくるとき、神仏と命を全うする事を約束してうまれてきているからです。
「人生は山有り谷有り」と申しますが平坦もあります。一生苦しみ続ける事はありません。楽しいことも嬉しいことも沢山あります。
今苦しんでいる人に、「いつかは楽しいこともある」と言っても考えられないかもしれませんが、今日ご来山下さった信者さん「あの苦しかった事が嘘のように感じます。神仏に守られていることしみじみと実感します。」とご夫婦でにこやかにお話下さいました。
苦しみも、幸せも自分の心次第で変わることを覚えておいて下さい。
今、苦しんでいる人は勿論、今幸せな人も、この世は諸行無常、永遠と言う文字はないと言うことを!
しかし、神仏を信じ感謝の日々を過ごしていれば、いつかは必ず光明がさして道は開かれると信じて精進下さい。合掌

生きる目的 H22.7.12

信者さんからのメール。
今日、旧友とメールしました。彼女は研修医をしています。元クラスメートで、受験期を共に戦いました。彼女は、患者さんやその家族の笑顔が頑張れる源だと言っていました。
私もそうです。私の場合は生徒の笑顔です。更にうれしい一言をいただきました。
「私の笑顔は、クラスで1番だったよ。明るくいつもクラスを引っ張っていってくれてた」と。今、教師としての自信がなく、迷っていました。住職さんにも散々言われていたこと、やっと気付きました。
「笑顔で明るく。これが私なんですね!先生だからって、こだわらなくていい。
私は、私らしくこのキーワードで私らしい教師になれば良いのですね。」と。
人は、生きていくために人生の大半を仕事に費やします。
仕事は決して楽では無いけれど、仕事をする目的が生きていくためでは、もったいない。
もっと楽しまなければ!損です!
何故、何のために、仕事をするのか?しっかりとした目的を持つことが、やりがいのある充実した、楽しく面白い人生のカギだと思います!
仕事の向こうに、笑顔と感謝されることこそ、私は真の目的だと思います。
真の目的に向かって進むには、型にはまらず自分らしく笑顔で明るく頑張ればよいと思います。
勿論、言葉でいうのは簡単ですが、常に笑顔をイメージしながら喜ばれる楽しい仕事を目的に精進して下さい。合掌  

夢に向かって H22.7.13

昨年の水害を思い出させる大雨。各地で被害のニュースが流れる。
早く小康状態になりこれ以上被害が出ないことを心からお祈り致します。
さて、7月7日七夕の日に夜行バスで神戸へ旅立った娘、バイトが決まった。
コンビニの弁当工場で働くそうだ。夜10時から翌朝8時まで10月までの短期アルバイト。工場は冷房が効いてかなりの重労働らしいが、月収20万円だそうだ。
昼と夜が逆転、しかもアパートの前は海水浴場ときている。今から海水浴場は人で賑わううるさいところ。睡眠不足で体調を崩さなければよいのだが?
とはいえ、本人はやる気満々!先ずは3ヶ月間お金を貯めて、その後ゆっくり神戸を散策しながら、職を探すつもりらしい。
若者の町神戸!夢とロマンの町神戸!楽しい面白い青春の1ページを作ることだろう!
長男は浪速に近々引っ越しの予定、こちらも夢に向かって頑張っている!
親は、何もしてあげられないけれど、自分で自分の人生を切り開いていっていることは頼もしくもあり羨ましくもある。
私達夫婦も、子供らに負けないように、二人で力を合わせて、心の支えとなる喜こばれる楽しい有り難い寺になるよう精進していきたいと思います。それが私達の仕事であり夢です。私達の仕事の先に笑顔!生きる目的です!合掌

お大師様のメッセージ H22.7.14

今朝、いつものように四国八十八ヶ所の掛け軸の前で勤行を終え、信者さんの事を思いながらお大師様に話しかけていた。
「お大師様、世の中はなかなか自分の思い通りにはならないものです!この問題を解決するためにはかなりの苦労がありますが、信者さんはこの問題を乗り越えていけますでしょうか?
しかし、これも縁!縁無くして縁はないですね!必然、全ては与えられている!ですね!だとしたら乗り越えられますね」そう思うやいなや、お大師様から私の目の前にハートの形が飛び込んできた!
「あっ!熱い思い!愛をもってなしなさい!」ということ?
それは本物の幸せを得ることが出来ると言うこと?」
私には、愛をもってなせば必ず乗り越えられる!
試練を乗り越えてこそ本物の幸せを掴む事が出来るというお大師様のメッセージだと思いました。
お大師様のメッセージを頂いて、今日ためらっていたお不動様のお言葉を信者さんに伝えた。勿論お大師様のメッセージを添えて………!
そして最後に「私はあなたを信じています。心から信じています」と添えました。
もし今、あなたが直面している問題があるのなら、愛、慈悲、心を持って精進してみて下さい。
必ず道は開けます。自分を信じて前進あるのみです。合掌

山笠追い山に思う H22.7.15

今日は、769年の歴史を誇る山笠追い山!男の熱い戦い!
勝負にかけた男達の目は真剣そのもの!
七番山笠 東流れは不動明王が飾られ、この世知辛い世の中に、動じない不動の心、清らかな心を持ちたいという思いが込められていると解説者は話されていました。
無事に山笠が終わり、「無事終わりましたね」という解説者のインタビューに「終わったのでなく、今日から始まったのです」と答えられていました。こうして伝統は継承されていくのですと番組は終わりました。
人生は真剣そのものであり、終わりは始まりであり、親から子へ継承されていく!
歴史ある山笠も、私達家族も同じだと思う。父親は息子に山笠追い山のような厳しさや厳しさの中の楽しさを息子へ伝えていく。それは、子から子へと継承され先祖を敬う心と感謝の心を育て、子孫繁栄へと繋がっていくと思う。
母親は、娘に女らしさや家庭の温もりの大切さ……を伝えていく!
勿論、そこそこのご家庭で色々な考えがありましょうが、一番大切なことは、夫婦がよく話し合いどんな子育てをしたいのか、常に同じ方向を見て協力し合うことが大切だと思います。
もしも、子育てに失敗したと思う方がいるのなら、今からでも遅くないですよ。もう一度やり直して見ませんか?たとえ、子供が社会人になっていても。親は親なんです。必ず子供に親の思い伝わりますよ。精進してみて下さい。
今日は良い一日でした。昨日の信者さん嬉しいメールを下さいました。
子授け守りを妹さんにと買われた信者さん、妹に子供が授かりました。
「無事に一学期を終えそうです」と、病気を克服された先生から感謝の電話を頂きました。
毎日モーニングコールの高校生、元気な声で「行ってきます」と自分から電話をくれました。
本当に今日は良い一日でした。これだから人生はやめられませんね! 合掌

幸せとは H22.7.18

幸せとは何なのか?信者さんと話をしながら考えさせられた。
「私は充分幸せですよ」と言う信者さん!
しかし、私が思う幸せと何かが違う?何が違うのか?
自分の思い通りにならない夫、はじめは不満に思っていたが、長年連れ添っていると「言っても分かってくれない」と諦めている。確かに相手を変えようと思っても本人が気付かなかったら何も変わらない!諦めることは大切ですが、問題はここからです。
愛を持って、いつかは変わってくれると信じて慈悲の心で神仏に祈りつづけるのか?希望をもって生きるのか!
それとも、自分勝手にすればいいとお互いに背中合わせで生きていくのか?便利だからと愛のない共同生活を送るのか?これは大きな違いがある。
たとえ表面上は普通の夫婦でも、片意地はって素直になれない夫婦、心の中はいつの不満だらけで時には憎悪の念すら感じさせる。これでは明るい家庭も良き子育てもあり得ない。勿論、子孫繁栄もあり得ない。私が思う、本当の幸せとは言えないのです。
本当の幸せとは?生きるとはどういう事なのか?もう一度、心の点検をしてみて下さい!合掌

父から子へ H22.7.19

信者さんからのメール。
「返信メールが遅くなって申し訳ございません。
今日は同僚の結婚式で、今、帰って来た所です
結婚した子は笑顔が素敵な子です(子といっても34歳ですが)
彼女と仕事を一緒に始めたのは10年前、いつも笑顔、元気!こんな子初めてと思う位でした。
そして、今日笑顔の理由が解りました。
お父さんに挨拶に行った時の事です。
「いつも笑顔でいろ。怒られても、何があっても笑顔でいろ、と、言ってきました。あの子はそれをしてきたんです。だから影では泣いたこともあると言っていましたよ」
彼女はそれを小さい時から続けていたんですね。
父から子へ、思いは伝わっていく。素敵な一日でした。
メール有難うございました。
私はこの一年、色々な事に気づきました。
でも気づいただけで頭でっかちになっていました。
全く実践できていなかった…学び、行動出来なければ意味がない!
一から出直しです!3年で私輝きます!神仏信じてみます!
宜しくお願い致します」と。
今でも素晴らしい方ですが、今以上に素晴らしい女性へと輝いて下さることでしょう。父から子へ思いが伝わっていくように、信者さんから幸せの輪が広がっていくのでしょう!楽しみです。合掌

終業式 H22.7.20

無事に終業式を迎えた、中学校の先生からのメールです。
「住職さんと出会った昨年の12月の段階では、半信半疑でした。会社は休職状態、食欲も意欲もなくただ、時間だけが過ぎて行く日々。なんで生まれてきてしまったんだ。なんで生きてるんだろう。なんでこんなはめに…絶望の底にいました…。
考える事も億劫で、先輩の最初のメールは見たけれど、なんと反応することもなく時は流れました。
確か二度目のメールで住職さんに連絡してみようと思い、連絡した事だけは覚えています。
口紅をつけたのが第一歩でした。それから、一日、二日、三日…気がつくと毎日少しの時間ですが、外出するようになってました。
それからは、いろいろありましたが、毎日住職さんはメールをくださり、気が付くと憧れの先生への道へと歩み始め、なんとか今日までいろんな不思議な縁、神仏が導いて下さって、ここまでこられました。
神仏を信じ始め出したのはさくらの死後、観音さま?を夢に見てからです。すべてが与えられていた道のように、流れに乗って、ただただ毎日祈り、感謝し、努力して頑張ったら今に至りました。
病気が完全に治ったわけではないのですが、ここまでこれた事を父と母はとても喜んでいます。
神仏やさくら、ご住職さんや先輩へのご恩は計り知れません。これは私が教員を続ける限り、生徒と精一杯向き合う事で、恩返しとさせてください。
それが私の天職なら更にうれしいです。トンネルをひとつくぐった気持ちです。
本当に感謝しています。ありがとうございます」と。
返信メール「嬉しいメールを有難うございます。感謝です。
これからも自分を信じて下さい。そしてご両親!皆さんに感謝を忘れず、自分の天職で恩返しして下さい。本当に頑張りました!全てはやはり貴女の努力の賜物です」合掌

生きて年を取っていくだけだよ H22.7.22

信者さんからのメール「今朝、NHKのニュースでインドネシアの国勢調査の模様を放送されていました。沢山の部族があり言葉も違う!ジャングルの奥地へ進み、彼らは木の上に住宅を作り住んでいる。」
火を起こすのも原始的、そんな生活をしている彼らに聞き取り調査をしていました。
「インドネシアの事で知っていることはありますか?」との質問に
「インドネシア?何だそれ?私達は生きて年を取っていくだけだよ」
生きることって私達現代人は複雑に考えすぎているのかな?
もっとシンプルなものかもしれない…今朝、そんな事考えていました」と。
また、ある信者さんからのメールは「先程、憧れの方に再び連絡してみました。失うものはないし、相手方の都合が悪ければ断られる。脈がなければ返事は来ない…。
待っていても始まりませんよね。アタックあるのみで頑張ります。楽しんだものの勝ちですよね。」
そして報告「アタックした甲斐があったのか…、今は会議やレポートで忙しいそうでした。
8月になったら余裕ができるみたいで遊びに行きましょうという流れになりました」
優しそうな人だから、断れないんじゃないかと思って、迷惑じゃないですか??
と聞いてみたんですが、本当に忙しいだけみたいでした」
インドネシアの方の言われた「私達は生きて年を取っていくだけだよ」
この言葉は、大変深い意味があると思います。命をはって家族を守り、喜びも悲しみも家族や仲間と分かち合い、力を合わせて生きていく。そこには、年上を敬う心や感謝の心が溢れていると思います。そして、先祖代々受け継がれたいろんな事を、また次の世代へと伝えて死んでいく。これが自然体であり、人の生き方なのかもしれません。
若者よ。打たれてもたたかれてもめげず自分の心に正直に素直に生きよう!
心にゆとりを持って楽しみながら、多いに悩み考え,自分の自然体、生き方探して、また素敵な伴侶見つけてより良い人生にして下さい。若者に限らず自分の生き方見つけて下さい!合掌

心の値段 H22.7.25

人は、感情の生き物です。感情があるから楽しくもあり、苦しくもある。
全ては自分の心がつくり出す喜怒哀楽ですが、出来ることなら楽しく日々生きていたいと人は思っている。しかし、なかなか心のコントロールが出来ずに、人を怨み憎しみ、自分で自分を追い込んで悩み苦しんでいる。
どうしたら人は、心を磨き幸せに生きていけるのか?色々考えてみた。
もし心に値段があるのなら、今自分が損をしているのか得をしているのか分かるのではないか?当然、損をするより得したいと人は思うもの!
あなたは人を敬う心、愛する心と、人を怨む心、憎しみの心!感謝の心と不足の心!
どちらが多いですか? 心の借金作っていませんか?毎日楽しく過ごさなければ損ですよ!心の貯金をして幸せになって下さい。貯金が多ければ多いほど、人は安心して暮らせるのですから。
常に、今自分は心の貯金がいくらある、増えた減ったと思って生きていれば地獄の底へ落ちていくことはないと思います。
たとえ、どんなに苦しくても明るい未来があると希望をもって心の貯金を増やす努力をして下さい!神仏は必ずあなたにご褒美を下さいますから、信じて精進して下さい。合掌

「住職のひとり言」の冊子 H22.7.27

昨日、「住職のひとり言」の冊子を差し上げていた信者さんから電話が入る。
「8月9日孫連れてお参りに行きます。先日頂いた住職のひとり言、読めば読むほど有り難く感激しました。これを読んだら皆さん勇気を頂いて幸せになれると思います。昨年会社が倒産した息子に、是非読ませたいです。一からやり直すと言って頑張っている息子に夢と希望を与えてくれると思います」と。
この一本の電話は、私を勇気づけてくれました。
実は数日前、住職のひとり言を読んで頂きたい方に冊子を差し上げたのですが、「何故、こんな物を私にくれたのですか?私は充分幸せです」と送り返されたのです。
私にはとても幸せな方だとは思えませんでしたが、同じ冊子でも、受け取り方次第では有り難いと思う方と、ありがた迷惑と思う方!人それぞれ………正直ビックリです。
人は、自分のことは自分が一番知っていると思っていますが、案外自分のことは気付かないものです。自分を磨くためには、素直な心と感謝の心が大切です。そうすれば、人の思いや優しさに気付き、思いやりや優しさのある心の温かい人間へと成長していくと思います。
どうぞ、住職のひとり言読んで今以上に輝いて下さい!
幸せは、誰でもない!自分でつかむものだから。合掌

一枚の葉書 H22.7.29

信者さんからメール。
『こんにちは!仕事中ですがお邪魔します。
一枚の葉書を頂きドンヨリしていた気持ちを切換える事が出来ました。
とらわれていた問題も、私の中で解決しました。
心配してくれる人がいる事はありがたいですが、信じてくれる人がいる方がどれだけ心強いか!
それは私がご住職様から「信じています」とこの一年何回言われた事かしれません!
信じてくれる人を裏切る事が出来るでしょうか?出来ません!
「よし、頑張ろう!」って思います!
そしてご住職様からのメールに、
「〇〇さんから生きる事、いろんな事教えてもらって皆さん今を幸せに生きようとしています」ってありましたが、私の力ではありません。それは本人の自力だと思います。
感じるか感じないか、気づくか気付かないか・・・!
そして今朝HPを出勤前に見て〇〇さんにメールしました。
「幸せの輪広がりますね。嬉しい一日の始まりです」と。・・・
私、大丈夫です、復活しました!』と。
一枚の葉書は、神仏からの贈り物だったのでしょう!
少々低迷気味の信者さんに、感謝の葉書が届き勇気づけられた。
それは、お互いに生きる夢や勇気を頂き、幸せの道を歩んでいく大切なご縁。
これは偶然ではなく、日々精進しているお二人に、神仏から頂いたご縁でありご褒美だと思います! 信仰心の厚いお二人は、もっと暖かくご縁を深めていく事でしょう。合掌

神仏からのご褒美 H22.7.30

6月18日ヘビの抜け殻を物置で見つけた。見て気持ちの良い物ではない。
そして、20日恵比寿大黒天様をお参りしていると木にマムシが上を向いて絡まっている姿を見せられた。マムシは銭形模様!金運がつくのではないか?密かに喜んだ!
数日後、今度は北向き地蔵様をお参りしているとヘビの抜け殻と同じシマヘビを見せられた。これは何か意味がありそう!早速物置のヘビの抜け殻と大黒様の御守りを財布に入れ、30日宝くじを買いました。その晩、恵比寿大黒天様の前で「そろそろ私にもご褒美下さい」とお祈りしました。翌朝もまた「そろそろ私にご褒美下さい」とお参りしました。しかもその朝、今年初めて本物のシマヘビを見た。ここまで話すと宝くじが当たったと思うでしょうが!残念でした!
その日、不動堂のお不動様を奉納された信者さんがお参りに来られて「少しですが護摩堂の借金に使ってほしい」とお話を頂いたのです。
思いがけない有り難いお話にただただ感謝でした。
そして昨日、振込を頂き繰り上げ返済の手続きをしました。
信者さんから「主人が残したお金はお不動様に使って頂きたいと思っていましたから、私も嬉しいです」とお言葉を頂き大変有り難く嬉しく思いました。
これは「神仏からのご褒美」と感謝してより一層精進してまいりたいと思います。
しかし、ヘビの抜け殻からヘビを見せて頂いた意味を神仏が教えて下さった事、見えない世界を実証出来たこと、自信をもって皆さんに伝えることができます。
そして「一生懸命頑張っていれば、必ず神仏がご褒美をもって待っていて下さること」心から伝えることが出来ます。どうぞ神仏を信じて自分を信じて精進して下さい。
今度、ご褒美を頂くのはあなたの番かもしれません!
勿論ご褒美は、お金だけではなく今あなたが必要なものです。合掌

人生は自分で作れる H22,7,31

簡単ホームページ作成の北研・亀田さんからのメールです。
「実は、4日前、私の人生で非常にビックリなことが起こりました。
今まで信じていたことが、ガラガラっと崩れるような感じです。
とはいえ、「ご飯がのどが通らない」ほどではないです。
今日は、一言で言うと、「人生は、自分で作れる」「それは、勘違いでもいい」ということを、私自身の体験でお伝えしたいと思います。
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名前の由来
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誰しも、自分の使命を知りたいと思っています。
よく心理学の本などに、「人は、自分が何者であるかを知りたいと望んでいる」
「そのために、様々なシゴトや、生活、チャレンジをしている」など書かれていることもあります。
あなたも、思春期のころを思い出して下さい。自分が何者か?
どこから来て、どこにいくのか?そういう、疑問をもって、不安になったことがあるかも知れません。僕の場合、今でもハッキリ覚えています。夏休みのある日、雲一つない晴れた日でした。
そらを見上げると、どこまでもつづく青い空・・・・
「青く見えるのは窒素で、その先は宇宙だ」
「宇宙は、ずっと膨張しているらしい」
「じゃぁ、その先は?」・・・・「僕は、どこからきて、どこにいるんだろう」
「この膨大な広さと、時間の中で、なんて存在なんだろ」・・・・
こんなことを、空を見上げながら、ふと考えてしまい、怖くなって、急いで自転車をこぎ、友達の家に向かいました。それまで大好きだった宇宙の本なども、このころから、読まなくなりました。
このように、「自分の存在」について、いろいろ考えてしまうのが、人間らしさというか、
面白い所でもあります。そして、いつからか分かりませんが、私は、自分の変わった名前を「自分の由来・使命」にしました。私の名前は、「学広(たかひろ)」です。
親は、「広く、いろいろ学んで欲しい」と願い、付けたのだと思っています。
そして、名前の通り、何にでも興味がわくので、「名前って不思議」「名前が僕を表している」と思っていました。
大学院に入っても、他の学生が興味をもたない。他分野の本なども読み、研究成果に結び付けてきました。「名前が、僕の人生を作ってきた」と思っていました。
そして、最近は、「学びを広げる」とも読めるじゃないか・・・と気づき、こうして、学びを広げようと、メルマガを書いたりしています。つまり、私の生き方は、「親の願いが反映されている」と思っていました。・・・ところが、これが大きな勘違いでした。
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総画で決めた
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母の家で夜ご飯(大阪だけ?たこ焼き)を食べながら、子供の名前の付け方について話をしていた時です。
私:「僕の名前は、・・・・と付けたけど、自分の子供の名前は、どうしよう?」
母:「えぇ?あなたの名前は、総画で決めたのよ」
私:「えぇ?総画?そんなの信じてるの?」
母:「信じてないけど、考えてたら分からなくなったから」
実は、私の名前に深い意味はなく、「総画」で決めたそうです。
更に名付けた本人は、「何画がよっかったかも忘れた」という有様。でも、母が言いました。
「生まれてきた子供は、どんな可能性があるか分からないじゃない」
「それなのに、球児とか付けると、人生を縛りかねない」
「どんな才能があるか分からないから、総画だけ決め、あとは、好きな漢字で、組み合わせを考えた」と。
つまり、私は、親が付けた名前に、勝手に使命を見いだし、そして、「広く学び」、自分が様々なものに興味を示した結果、それも、「名前に由来する」と、学ぶことを強化してきました。親は、そこまで考えてなかったわけです。ガラガラっと、思い込みが崩れました。
しかし、同時に思いました。「人生は、自分の思い込みで作れる」
つまり、人生は誰の物でもなく、「自分の思い込み一つで作れるんだ」と。
私は、勝手に「広く学ぶ」と思って、様々なものを学び、最終的には、「学びを広げる」ことを使命と思いました。きっかけは,自分の名前です。しかし、簡単に言えば、「勘違い」。その勘違いで、博士号の取得まで来ましたし、現在だと、起業し、今後のことを考え、いろんなプロジェクトを進めているところです。そして、私の学びを広げたいとも思っています。でも、原点は「勘違い」です。
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勘違いでも、先にすすもう
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私の例から分かるように、使命なんてものは、実は適当なものです。勘違いだったりします。しかし、完全にランダムではなく何らかの因果関係はあるでしょう。
私の親が、学ぶと、広い という文字の組み合わせを使おうとひらめいたのは、何か意味があったでしょう。しかし、詳細は分かりません。つまり、完全な使命なんて分からないのです。でも、大切なのは「成果は出せる」ということです。
あなたも、何かしようか、やめとこうか悩んでいるものがあるでしょう。
そんなとき、周りを見て下さい。そして、「これは、やれってサインだな」と思うような
何かがあれば、「勘違いして、使命だ」と思って、「小さな一歩」を踏み出して欲しいと思います。小さな一歩から、徐々に歩みをすすめていると、振り返れば、想像も付かないような場所に、立っていることでしょう。
歴代の偉人に比べれば、私の歩いてきた道は、平坦かも知れませんが、結構、起伏があって(親の離婚や、大学をやめたりとか)、なかなか、過去から未来を想像できない感じです。
今後も、あと3年後、何をしているか、想像が付かないような感じで、すすみたいと思っています。是非、今日から「勘違い」を始めて下さい。
「他の誰でもない、あなたじゃなきゃできない」なんて、思い込んで下さい。そして、一歩を踏み出しましょう。」
今日で7月も終わりです。8月は一年で一番大切な供養月です。
しっかりご先祖様と向き合って下さい。合掌

言葉と心 H22.8.1

信者さんからのメール。
「おはようございます。今日は一風変わった「ひとり言」ですね。
納得しながら読ませて頂きました。
1978年生まれ、32歳・・・若い方なんですね。文章を読んでもっと年配の方かと思いました。これこそ「思い込み」ですね(笑)
「思い込み」「勘違い」プラスに働けば前進に繋がる。人間関係もしかり!
この思い込みや勘違いでなかなかうまくいかない。心って本当に不思議ですね。
人間関係の中で「思い込み」「勘違い」を無くす為には…腹を割って話すしかないですね。ただし、愛情を持って話すという事、これが無いと単なる「口喧嘩」になってしまう。
しかしながら友人の心は開こうとはしません。私の心は伝わらないのでしょう。
世の中には色々な思い込み・勘違いがありますが、現実を直視して精進します」と。
「腹を割って話す」人間関係をつくる事は簡単そうですが難しいですね!
しかし、少しでも腹を割って話せる人間関係をつくる事は大切ですし、一生の財産です。
そのためには、お互いが相手の話を良く聞き、相手の心に近づく事が大切です。
話を聞くとは、耳で聞くのではなく心で聞き、言葉は言葉で言うのではなく心(魂)で伝える。(言霊)
人は人に感謝の言葉を伝えます。神仏に対しても「守って下さって有難うございます」と感謝しますが、心から感謝している人の瞳は美しく輝き、言葉は弾み聞いていて心地よい。言葉と心はそのままその人を現し、相手に感謝の心が伝わります。
しかし、言葉と心、言っていることと(感謝)、していること(表情)が一致しなければ、反って不信感を与えてしまいます。信頼関係をつくるためには、先ずは自分が心も言葉も美しく輝くことが大切です!少しでも自分を磨くよう心がけましょう。合掌

白いキャンパス H22.8.2

信者さんからのメールです。
「こんにちは、お邪魔します「自分の人生作れる」(私の中でまだ続いています・笑)
「思い込み」「勘違い」のプラス発想、衝撃受けています。
昨年私は、自分が「無」になるには…なんて事を真剣に考えていました。
「何も無い」今、感じているのは自分が作った世界、ならば現実。とは・・・訳の分らない事を悩んでいました。
今朝スッキリしました!
「自分の人生作れる」そうだよね!
この世が「無」であれば皆それぞれに真っ白のキャンパスを持って生まれて来る。線を描き色を塗って思い思いの絵を完成させていく。もし、途中で進路変更したければ書き換えればいい。
もちろん白紙に戻す事も出来る。生まれた環境は皆違うけれど真っ白なキャンパスは与えられている。人生何度でも書き換えられる!やり直せる!そんな事考えていたらドンドン元気になる自分を感じていました。
一度しかない人生、「自分で作る」楽しまなきゃ!」と。
信者さんは幸せの道!まっしぐらです。一人でも多くの方が美しく輝いて人生を歩んで行ってくれたらと心からお祈り申し上げます。合掌

幸せの案内人 H22.8.3  

信者さんからのメール「毎日心が晴れません。憂鬱です。毎日祈るだけでは幸せになれない。自分が変わる努力もしないといけないから。私自身が壁を乗り越えないと先はないのがわかりました。暗闇の中で光る一筋の光、見つけたいです。」と。
「毎日祈るだけでは幸せになれない」「私自身が壁を乗り越えないと先はないのがわかりました。」ここまで来れたことは進歩です。「暗闇の中で光る一筋の光」もうすぐ見つかります。そのためにも神仏を信じて自分を信じて、プラス思考で毎日楽しく、感謝して輝いていて下さい。そうすれば必ず幸せになります。私を信じてこれからも精進して下さい。
精進していれば必ず幸せになれるし御利益も頂けます。
信者さんからのメールです。
先日朝勤行していると、珍しく子安観音様が現れて真ん前に沢山の満開の百合の花がお供えされている光景を見せて頂いた。そこへ、妹さんに子授け守りを購入された信者さんからメールが届く、「朝早く、すみません。またまたお願いがあります。妹が昨夜、出血したらしく、今日病院に行ってます。長崎帰省は 延期かもしれません。それは仕方ないと思いますが、せっかく 授かった命です。 どうか、どうか、、無事でありますように。 私も祈ります。ご住職、お力をお貸しください!今日からご主人、出張だし、それも心細いと思いますから。どうかよろしくお願いします!」と。
子安観音様が現れた意味が分かりました。
その後、「おかげ様で、赤ちゃんは無事だということです。 ただ、元々の貧血持ちにつわり…で飛行機は問題ないらしいんですが、出血が治まるまで安静に。治まれば長崎に帰っていいみたいです。」と。
私からの返信メール「妹さん!守られています。しっかり手を合わせてほしいですね!きっと元気なお子さんが授かりますよ!安心しました。」と。御利益頂きました。
信者さんAから「今朝、昨日のご住職様の話が蘇ってきてウルウルときてしまいました。感謝して生きて行くことは本当に有り難いこと実感しました。祖聖大寺の仏様は、本当に優しくて慈悲深く、ご縁を頂いた私は幸せです。」と。
信者さんBから「何故、今までの人生が幸せと感じる事ができなかっのか…一人で考えて悩んできた。決めるのは自分だから、でも幸せは自分一人では掴めない。今、やっとその事に気が付いた。人はひとりでは生きていけない。なので、ど-ぞこれからもよろしくお願いいたします。」と
信者さんCへ送った、メール「可愛いお母さんですね。素敵な家族ですね。間も無く家族の絆深まります。楽しみにしています」と。
皆さん少しづつ幸せの道を歩んでいます。精進された結果です。
今日、「幸せ案内人宜しくお願いします」とメールを頂きましたが、幸せを自分で掴んだ方は、幸せは自分で掴むもの、掴めるものと実感していると思います。
どうぞ、幸せの輪を広めて下さい。縁ある方々に伝えて下さい。幸せ案内人になって下さい。
私の心からの願いです。合掌

すべて上手くいっている…感謝 H22.8.4

信者さんからのメール
「護摩堂の建築費のご返済、良かったですね!ご住職が以前、ブログでおっしゃっていた。
〝この不景気、お堂の借金を返してゆけるのかとの思いが頭をよぎる。
大阪のある寺の住職の言葉を思い出す。「本尊様の住むとこ作ったさかい、借金は本尊様がどこからか持ってきはる」この言葉を励みにあらゆる困難を乗り越えてゆき、自分に馳せられた責任を果たしていかないかんなとの思いが脳裏をよぎる。〟
そのとおりになりましたね。まさに〝神仏からのご褒美〟ですね。
新車購入の件も順調に進んでいます。
昨日朝、食卓のうえに十万円が入った銀行の古封筒が置いてあり、妻がゴミと間違えて捨てそうになりました(笑)が息子が車購入の足しにと置いてくれていました。
普段はあまり口には出しませんが気に掛けてくれていたようです。
〝感謝!〟
でもよく考えると今年は大厄の年、エアコンは壊れたので買い換えですが、車は故障も無くまだまだ乗れるのに正直思いつきで買い換え、これで良かったのでしょうか?
〝ご褒美〟だと思い大切にすれば良いんですよね!
また、納車はお盆あたりになりそうですがお盆の納車は良くないと言われましたが、やはり避けたほうが良いのでしょうか?少し気になります」と。
エアコン14年、愛車15年良く働いてくれましたね。物に対する愛情が伝わります。やはりご褒美です。全てプラス思考”すべては上手くいっている すべっても上手くいっている”です。
出来ればお盆はご先祖様をしっかりお迎えして、心のこもったおもてなしをして頂きたいものです。盆明けの17日が日が良いです。しかも観音様のご縁日です。
優しい息子さんに感謝!親として誇りですね。家族の絆しっかり結ばれて子孫繁栄!これからが楽しみです。
ご夫婦で楽しそうにドライブされている様子が目に浮かびます。素敵な家族に乾杯です!合掌

人は何故生きるのですか? H22.8.5

「人は何故生きるのですか?」先日信者さんからのメール。
「この世に必要だからです」と返信。
あなたはこの世に必要だから生まれてきました。
誰かのために生きるために生まれてきました。
誰かのために生きるということは=自分のために生きると言うことです。
自分の目の前にいる人のために生きて下さい。
結構楽しいものですよ!生かされている自分に誇りを持てますよ!

人は迷い苦しんでも何も始まらないと分かっていても、出口の見つからない迷路に入ってしまう。
迷路から抜け出すためには、自分をしっかり見つめ執着心を捨てることが大切です。
ありのままの自分を知り、執着心が自分を苦しめていることを自覚して下さい。
繰り返し学んで人は強くたくましく成長していくし、また、苦しみを知っている人は、人情味のある人へと成長していくのです。
「生かせいのち」あなたがこの世に生まれてきた意味、生きる意味しっかり探して下さい。合掌

辛抱という幸せの切符 H22.8.10

先日、「流産しそう」とお姉様からメールを頂いた信者さん。無事長崎にお里帰り。長崎の産婦人科を受診したところ、小さなポリープが見つかり、その場ですぐ取り除いたそうです。出血の原因はポリープだったようです。結婚していなかったら、妊娠していなかったら、出血していなかったらと思うと、神仏からしっかり御利益頂いたと思いました。
また、先日「星祭りのお札を間違って就職祈願と書いていますよ」と二月に書き換えた信者が来られて「実は、星祭の頃、息子はリストラにあって無職だっだそうです。親に心配かけたくなかったらしく、私は何も知りませんでした。住職さんが間違っていたとおりでした」と。間違えることも神仏のなせる業だということを教えて頂きました。この世に偶然はないです。
今日信者さんとのメールのやり取りの中で、私が送ったメールです。「その方は辛抱という幸せの切符をもっている方です。辛抱したから掴んだ幸せなのです」
信者さん「先日駅まで送って下さったご夫婦と出会った事は、偶然ではないのですね!辛抱という切符!これは神仏が私に頑張れと言ってくれているのでしょうか?そう、思いたいです」と。
ご夫婦に駅まで送って頂いたことも、駅に着きそうになったとき「もっとお話したいです」と言ったらご主人が「またお会いできますよ」と言って下さったことも、偶然ではなく幸せを掴むためのご縁のようです!しっかり自分を見つめて、辛抱という幸せの切符!掴んで頂きたいと思います。
辛抱して頑張っている方は皆さん幸せの切符を持っている方です。
誰でもない自分で掴んだ幸せの切符なのです。辛抱あるのみです。合掌

お盆の準備 H22.8.11

お盆の準備はお済みですか?当山でもお盆の準備に追われています。
「うっかり忘れていました」と今日になって電話やFAXで申し込まれ、限定40膳のお膳供養も明日は追加買い出しで忙しい。しかし、ご先祖様や水子さんが喜んで来て下さると思うとまた楽しいです。13日の晩は玄関の開閉がうるさいことでしょう。三日間しっかり供養させて頂いて16日施餓鬼供養をして送り届けたいと思います。
昔は、日本全国盆休みでご先祖様をお迎えして送り届けたものです。今では夏休み休暇と家を空ける人がいますが、心からご先祖様をお迎えして頂きたいと思います。
勿論、提灯や供物を供えることも大切ですが、親子、兄弟、親戚が仲良く楽しく出迎えることが何よりも大切だと思います。
また、子孫が悩み苦しんでいる姿を見ることは辛いものです。どんなに苦しくても夢や希望をもって頑張ってご先祖様を安心させて下さい。何よりの供養になりまし、私達を守って下さいます。相互礼拝です。

お膳供養 H22.8.12

「待ちに待ったお膳供養宜しくお願い致します」と有り難いお手紙頂きましたが、ご本人以上にご先祖様は喜んでいらっしゃることと思います。
今日頂いたメールの中に、「ブログ見ました。13日の夜はお参りの方でお忙しいですね。仏様参りにお邪魔するのは何時ぐらい迄だったらOkですか。
自宅で3日間、御膳をお供えしてますが、朝、昼、晩とお供えした物は、すぐに頂いていいのですか。お供えの仕方を教えて下さい」と。

どうも勘違いをされているようですが、13日の夜のお客様は、ご先祖様の事です。
ご供養申し込み頂いたご先祖様は喜んで当山に来られるのです。13日の夜は集まったご先祖様、水子さんが夜中中語らいお堂は大変賑やかです。
お盆のお膳は、基本食べません。川に流してお施餓鬼しますが、なかなか難しいので少しずつ取って川に流します。しかし、それも難しいのであれば庭の木の根っこに埋めて下さい。それも難しい………!お茶、汁物は、流しを綺麗にして塩で清め水を流しながら流します。ご飯類はゴミで出すしかないでしょう。それでも送り届ける心は忘れずに!
どうぞ、ご先祖様をしっかりお迎えされて楽しいお盆をお過ごし下さい。合掌

盆施餓鬼供養無事厳修 H22.8.16

13日から15日までのお膳供養、そして本日盆施餓鬼供養を厳修し、ご先祖様、水子さん無事に浄土へと送り届けました。
参加頂いた信者さんからは「今日はとても清々しい気持ちです」とお言葉を頂き、また、時間の都合がとれないと不参加だった信者さんが時間の都合を付けて参加下さった事は大変嬉しく有り難かったです。きっと私以上にご先祖様が喜んでいると思います。
今年の盆供養で胸を打たれた供養があります。大阪の23歳の母親が育児放棄で二人の幼い子供を餓死させたニュース。この報道に信者さん「母親としてあり得ません。私はこの子供達が可愛そうでたまりませんが何もしてあげることが出来ません。せめて盆に供養をしてあげたいのですが……」と供養の申し込みをされました。しかも「桜子ちゃんと楓くんにお供えして下さい」とジュースをわざわざ高知の農協に頼んで送って下さいました。信者さんの思いに頭が下がると同時に、いつもの暗いニュース「可愛そうに……」と見ていただけの自分が恥ずかしく、考えさせられました。全くの赤の他人が供養をされたことは気休めのように思うかもしれませんが、損得抜きの行動に神仏はしっかり心動かされ、供養の誠は受け取って下さいます。きっと二人で仲良くお腹いっぱいジュースを飲んだことでしょう。 そして小さな手を合わせて信者さんに感謝していると思います。私達は常に、拝み拝み合い心(魂)を磨いていきたいですね!合掌

素敵なお盆 H22.8.17

人それぞれにお盆を迎え、ご先祖様を送り届けたと思います。
今日信者さんから届いたメールです。
「お盆の15日に不思議体験をしました。仏様に御膳を供え、父と仏様を送る前のお参りをしていたら、何時もの様に、愛犬ダックスが短い手足をフル回転させ走って来て、父に寄り添い甘えていました。父の右手は木魚の代わり「我が家には木魚は有りません」が犬を撫でながら、いつものようにお経をあげていたら、父が明るい光りに包まれ、小さな子供が、父に寄り添い父に頭を撫でて貰い、そして、嬉しそうに、楽しそうに、父の周りを踊り、膝に座りいつの間にか消えていなくなりました。そしてそこには、愛犬がいました。夢?お盆の奇跡かな?ただ父は幸せな人だと思いました。」と。
また、昨日の心温まる供養をされた信者さんからのメールです。
「色々とありがとうございましたm(__)m
今日のひとり言を読んで、すごく嬉しかったです。
『小さな手を合わせて感謝していることでしょう』と。
私はそんなことはまったく考えてなくて、もちろん望んでなくて、あの子達が天国でおいしいものをたくさん食べれて、今度生まれてくるときには、2人揃って 優しい両親の元に生まれてくれたら…とそれだけでした。 でももし『ありがとう』って思ってくれてたら、すごくすごく嬉しいことです。
余計なことかな…とも考えたりしてましたが、やっぱり思い切ってお願いしてよかったです。
本当にありがとうございましたm(__)m」と。
皆さんも素敵なお盆でしたか?
又、一年間家族仲良く幸せに過ごしてご先祖様をお迎えしたいですね。合掌

幸せの根っこと辛抱 H22,8,18

「孤独」と「幸せ」みんな背中合わせで生きています。
先日信者さんから届いたメールです。
「幸せって何でしょう?」と。
「幸せですか?幸せは心の安堵です!毎日心が時めく事です!そのためには、神仏を信じ、感謝を忘れない事です。ご先祖様、ご両親、縁ある人に感謝を忘れない事です!
そうすれば必ず幸せは訪れます!必ず道は開けるのです」と。
道を歩けば石を見つけるくらい幸せは沢山転がっているのに気付かない!
石ころ(幸せ)は、田舎へ行けば行くほど沢山あり、都会へ行けば行くほど見つけにくくなります。それは、「人間が人間らしく自然体で生きているのか?」だと思います。
人間らしく(素朴さ、純粋さ、感謝や祈りの田舎の空間!)生きるのか?それとも、金、名誉、見栄、プライド、意地など!人間らしさを見失った都会の空間で生きるのか?
また、仏教では因縁を説きますが、種を蒔き水をあげ、芽が出て花が咲き実がなるように、「孤独」という種を蒔けば孤独に!幸せという種を蒔けば幸せに!なります。
どうせ蒔くなら、幸せの種を蒔きたいですね!
人間が人間らしく本当の幸せに気付いて生きていくためには、魂を磨き、どんなに雨が降ろうと嵐が来ようとも(不安や苦しみ)、ビクともしない幸せの根っこをしっかりはる事です。
幸せの根っこに気付いた人は、夢や未来を信じて辛抱していくことが出来ると思います。自分を信じて前進して下さい! 合掌

お盆のパワー H22,8,19

本日、盆施餓鬼供養のお礼状も発送しホッと一息ついています。
さて、皆さんはご先祖様に満足のいくおもてなしをしましたか?
自信をもって「良いお盆だった」と言える方は、ご自分にもご先祖様にもパワーが付いています。お盆のパワーです。このパワー今が使いどきです。
そこでお願いですが、今抱える大きな問題(特に夫婦、親子、親戚)がある方は、ここ一番とばかりに問題解決に向けて精進してみませんか?ご先祖様は子孫繁栄のために見えない力を貸して下さいますよ。嘘だと思ったら先ず実行してみて下さい。
そのためには、先ずご自分の心の整理!(怨みや憎しみの心を捨てること)
「自分達のためにもご先祖様のためにも、家族、親戚が仲良くしましょう」と心から伝えること。
たとえ相手が、自分の意に添わなかったとしても「いつか分かってくれる日が来る」と信じること。
私の指針「すべての者を愛し、慈しみ、許せる心と待つ心を持ちたい!」を一緒に実践してみませんか? 幸せのために!心の安堵のために!子孫繁栄のために!
ところで、皆さんはご自分の祖父母(父方母方)の命日を知っていますか?
私達の守護霊は祖父母とよく言われますが、祖父母の因縁は孫が一番受けやすいのです。勿論、縁あって孫として生まれてきたのですから同じような因縁を持って生まれてきたことになりますね!幸せになるためには心から祖父母の供養を忘れないようにして頂きたいですね。必ず道は開けます。信じて下さい。合掌

水木しげる H22.8.20

今日の連続テレビ小説「ゲゲゲの女房」。
戦地で片腕を失った水木しげる。自分が所属していた部隊は玉砕!殆どが亡くなったそうである。妻布枝が「お父ちゃんは腕を無くしても明るかったそうですね」と尋ねると、
しげるが「ガックリしていても生きていくしかないけん!ないものを嘆いても仕方がない!その分、工夫して人に負けんだけの仕事をしたらいい!両腕であろうが、片腕であろうが、弱いところは誰でもある!それより前に進む強い意志が必要!
くよくよせずに自分が出来ることを頑張ればいい!」
「それどころか、自分は運が良いと思っとる!腕一本無くしただけで生きて帰ってきたけん!」と。
私達はお金がないと嘆き、自分の思い通りならないと嘆き、無いものねだりをして、不満を外に向けてしまう!それよりもしっかり自分を見つめ、前に進む強い意志を持ちたいですね。合掌

早速お盆のパワー頂いた信者さん H22.8.21

昨日、信者さんから「ちょっと 悩んでいます」と電話が入る。すると「ドン!あっ!」と大きな声!!「どうしましたか?」と尋ねると、止まっている自分の車のミラーに車がぶつかったと言う。一旦電話を切って冷や冷やして待っているとすぐに電話が入り「大した傷ではなかったので許してあげました」と!「ぶつけられたのに動揺していませんね」と尋ねると「車のことよりも今抱えている問題の方が私には大きいのです」と。
私は心地よくお話させて頂きました「何故?私と電話をしていて車がぶつかってきたのでしょうか?あり得ないことですね!そしてあなたは、許してあげた。あなたが今抱えている問題は解決しますよ。それとお母様が孫のためにお金を出して下さると言うのなら甘えて下さい。例えそのお金が無駄になっても、孫のために何かをしてあげたいというお母さんの気持ちを大切にしてあげて下さい。年寄りは孫のためにお金を使って嬉しいものですよ。」とお話しすると信者さんは声をつまらせた。たぶん親に心配をかけたくないとよい子を心がけてきた方なのでしょう。
親は案外子供に甘えてほしいと思っているのかもしれません。
反対に親が思うほど子は親を嫌っているわけでもないのかもしれません。
どこかで歯車が上手くかみ合わなくなっておかしくなっている親子は多いと思います。
もっと肩の力を抜いて楽しくいきましょう。素直が一番ですよ!
そして今朝昨日の信者さんからメールが届く。
「今朝の夢は嬉しいものでした。ご住職様からメールがきた夢で、『今あなたにお線香を送ろうと荷造りしてたらお不動様が現れました。やっはり守られていますよ』という夢でした。 夢の中でもすごく嬉しくて、もちろん、今も余韻が! また今日も頑張ります」と。
大阪の母親が育児放棄をして亡くなった二人の子供の供養をされた信者さん、すべては良い方向に進んでいくでしょう。お盆のパワーと私はそう確信しました。合掌

布教活動 H22.8.23

先日、二人連れの若い女性がキリスト教布教のため当山に尋ねてきた。
当然「私は仏教を広めている身ですから」とお断りしましたが、それでも「この世の中おかしいと思いませんか?キリスト様は、楽園を……」と話を続ける。そこで私は「登る入口は違っても目指す頂点(心)は同じだと思います。一番大切なのは心です」とお話ししました。
それでも「聖書はですね……」と続けるので、キリスト様より早く、お釈迦は国を治める王では人は救えないと出家され仏教を広められた事など伝えましたが、私の話を聞く気は全くない。結局「大工さんのお茶出しがありますから(事実)」と忙しいことを伝え話は終わりました。
私は、ひと月ほど前、異国の方が改良着(僧侶の衣)を着て参拝された時のことを思い出しました。彼に「何故仏教を信仰されるのですか」と尋ねてみると「キリスト教は絶対!イエスかノーか!自己を大切にする。ある意味相手を認めない自己主張です。しかし、仏教には中間がある。相手を認めます」と話してくれました。
お二人の女性、自己主張!納得!しかし、お二人の情熱、キリスト教に対する思い信仰心、素晴らしいことです。日本人がキリスト教を信仰するかと思えば、異国の方が仏教を信仰する。これも、ご縁なのでしょうが、「日本人はもっと仏教を学び生きることの素晴らしさを感じてほしい」と思います。僧侶はもっと布教活動に力を注ぎ仏教を広めるよう精進しなければならないと、お二人のご縁に感謝しました。合掌

心は素晴らしい存在 H22.8.26

信者さんからのメール。
信者さん「今日も一日平穏に過ごしました、何よりです、ありがたい・・・
HPの「人間が人間らしく自然体で生きているのか?」「自分が自分らしく自然体で生きているのか?」ですね、つまり素直になるという事!
あるHPに『いくら有益な情報も、受け取る際の意識次第ではなんの進展も発展性もないのです。最高のものや最高の思い・最高のシステムがあったとしてもそして、それらとの接点があったとしても...やはり自分次第なのです』と書いていました。
「自分次第=気づき」 なんだろうなと!
ご住職様から沢山の有益な情報を頂いたとしても私がそれを受け留められなければ進展はない!頑張っているつもりなんですけどね(笑)
「素直になる」って楽だろうなって想像は出来ますが、さて私はどれだけのものを持っていて捨てればよいのか?
久しぶりにテレビの番組を観ました。NHKの「ファミリーヒストリー」綾小路きみまろさんがゲストでした。きみまろさんのお父さんの言葉「今、我慢すればきっとよか日がくる」
この番組を通して父の人生、思いを初めて知るきみまろさん感極まって涙していました。
以前の私なら自分と重ねて泣いていた事と思います。
でも涙が出なかったんです。きっとそれは、両親の人生を全て知った訳ではありませんが、私の中で両親の生き方を理解できたからだと思いました。だから番組を観ても自分とは重ならなかった、涙が出なかった。何に反応するか、心動かさせるか・・・自分の中にあるものに反応するんですね。心って本当に不思議なものですね、だから知りたいんです。
全てを左右する「心」ってなんだろうって・・・私変ですか?(笑)」
私「心は素晴らしいものですね。他人はだませても自分はだませない!決して誰も入って来れない世界!自分と常に向き合う世界!天国(極楽)にも地獄にも繋がる存在!だとしたら、心は、素晴らしい存在でありたいですね!
信者さん「昨夜はパソコンと携帯にメール、ありがとうございました。
そうですね、今の現実を受け入れて、これからも沢山思い、感じ、考えて行きます
私「のんびりいきましょう。自分を高めて下さい!神仏は見てくれています」
信者さん「ハイ、何に意識を集中するのか…自分ですね。汝自身を知れ!
珍しく夢を見ました。母、岩、包丁、不動明王の剣とまではいきませんが、いろいろな事切り捨てていきます!」
私「神仏のメッセージ!しっかり受け止めて精進して下さい。合掌

素敵な手紙 H22.8.27

先日、御札のご依頼を頂き、とても素敵な手紙に感動しました!
そして昨日御礼のメールが届く。
「前略 お札の送付ありがとうございました。
お札とともに同封していただいているお便りも心のこもった内容でした。
業務による海外赴任が長いこともあるのですが、今年は一人娘の件で日本滞在しています。
次なる海外赴任の際には、事前におねがいしてお札を持参いたしたく思っております。
今回は、本当にありがとうございました。」と。
素敵なお人柄が伝わる手紙とメールに感動しました。
仕事上、お忙しい方のようですが、父として娘(家族)を思う親心、手紙の相手に届ける温かい心。素晴らしい方ですね。
人はどんなに忙しくても心にゆとりを持つこと。それは、周りの人を暖かく包んでくれるんだなぁ~!と思いました。
私自身、忙しい事を言い訳して大切なことを置き去りにしているように思います。
心にゆとりを!もっと精進して自分を磨いていきたいと思います。合掌

自分を見つめることの難しさ H22.8.29

信者さんからのメール。
「自分を見つめる」・・・なかなか難しいですね、自分の事なのに!
私の場合、一度自分を嫌いになりました。
「こんな自分は嫌だ!」そこからはい上がってきたと思います。
どんな自分が嫌なのか、じゃあどんな自分になりたいのか、本当の自分は・・・
本に出会いました、人に出会いました、自然とも出会いました、そして神仏!
ただ言えるのは「一人では何も出来ない」という事!
自分を取り巻く全てがあるから学びがある、気づきがある。
先日、「何に反応するのか」とメールしましたけど、一人では反応出来ません。
そこに人がいるから反応できるんです。
自分が「良い」と思うことも「悪い」と思うことも自分の「心次第」なんだと!
もし今「イヤだ」と思う自分がいたら何故「イヤだ」と思うのか自分に問うようになりました。
「何に反応したんだろう」と…そういう事なんですかね「自分を見つめる」って!
「許し」と「感謝」があれば人生随分軽くなりますね!
とは言ってもまだまだ沢山のもの背負っていますよ、クリアーになりたいです!
「自分を見つめる!」本当に難しいですね!
私の場合、一人の人間として、寺の人間としてどう生きるのか?どうしたら幸せに導くことができるのか?それだけで精一杯でなかなか自分を見つめることが出来ていないように思います。
やはり心にゆとり!ほしいですね!合掌

すべて感謝 H22.8.30

昨日の信者さんからメールが届く。
信者さん「心のゆとり!どっしりと構え、おおらかに笑顔で楽しんで!そんな一日を過ごすよう意識すれば、習慣となり、いつかは意識せずとも身につくでしょうか?慌てずゆっくり、でも着実に前進します」
私「はい!ゆっくり休まず前進です。今、マイナスイオンの自然の中で過ごせる事幸せだなぁと思いながら滝場の掃除をしています」
信者さん「猛暑の中、エアコンの効いた会社で仕事が出来る事、幸せだなぁと思っています」
私「ハイ!すべて感謝です」と送信。
信者さんとは一年以上のお付き合いとなりますが、私の言わんとするところしっかり分かっている!随分成長したなぁ!とこの一年を振り返りながら楽しんで滝場の掃除をした。
幸せになるためには、どんな状況も楽しむこと!感謝する事!常にプラス思考で捉えること!信者さんが言われるように「意識すれば、習慣となり、いつか意識せずとも身につく」と思います。
それともう一つ!生かせいのち、一日一回(一人)でも良いです!誰かのために生きること!人が喜ぶことをすること!それも意識して身に付けて下さい。それは言葉で良いんです。挨拶でも笑顔でも何でも良いんです。あなたに出来ること精進して下さい。とても幸せな気持ちになりますよ!
先日、「お盆のお供えに家族が使っているお皿を使っていますがよろしいでしょうか」と尋ねられたので、御霊供膳(盆御膳供養限定40膳にしたため使用していない御膳)を差し上げたら
「御膳ありがとうございました。家族で大喜びで箱を開けました。特に姉は初めて見る物なので喜び、父は「これからは、盆、正月はこれで仏様達にご飯をあげれば喜ばれる、有り難い、有り難い」と言ってました。父の実家は盆、正月は、あの正式な御膳にお供えするそうなので、父は感激してました。本当にありがとうございました。年二回使わせてもらいます。帰り際外から本堂をのぞくと、仏様達が見送ってくれ、本堂全体にご光がさしてました。有り難かったです」と、感謝のメールを頂きました。
また、奈良の信者さん「遅くなりましたが「住職のひとり言」、5・6月分を加えた1月~6月までの冊子を(改めて)作りましたので送ります。いつも、今日はどういう「ひとり言」かと楽しみにHPを開いています。一口法話もですよ!今回もたくさん作ることが出来ず多くの方にお読みいただけませんが、縁ある方にはお読みいただけると嬉しく思います」と冊子が届きました。
本当に有り難いことです。綺麗に仕上げられた冊子には信者さんの思いが込められ、私は信者さんの思いを大切に一人でも多くの方を幸せに導いていかなければと責務を感じました。良いことはする側もされる側もお互いが幸せになりますね。合掌

夏の宿題 大師堂 H22.8.31

今日で8月も終わり。夏休みも今日で終わり、子供達は明日から新学期。楽しみにしている子、憂鬱に思っている子、色々でしょうが泣いても笑っても明日は必ず来るのですから笑って楽しく生きましょう。明日からモーニングコールが始まる。楽しみだ!
夏休み奮闘したママからのメールです。
「ご住職様、色々ありがとうございましたm(__)m
長男は今日からで次男は明日から学校です。 今年の夏は楽しかったです。いつもなら、ご飯も食べずにげっそり、それが定番でした。今年は来年に向けてのステップ! 来年はきっともっと良くなります。お盆もありがとうございました。あれからですね、2人の友達に20年ぶりに偶然再会したんです。行くつもりのなかった場所にふっと『寄ってみようかな』と寄ったら、先々週と先週、ばったり。私が夜出かけるのって1年に1、2回、昔の同級生との集まりだけなんですよね。
懐かしくてホッとする友達。だから今回再会した、2人の友達もアドレス交換して次回の集まりは参加したいって言ってくれました。 もしかしたら大阪の2人のあの子たち(育児放棄で亡くなった子)が供養の御礼に会わせてくれたのかな~って。それならすごく嬉しいプレゼントをありがとうって思っています。
先日、やずというのがまるまる一本!お買い得で売ってて、サービス品だからさばいてはくれないんですけど、『特別にいいですよ』と三枚おろしにしてもらってLucky☆
そんなプチ素敵なことは毎日のようにあります(笑)
本当に夏を無事に過ごせて、よかったです。人との出会いも、病もすべての出来事も、全部必然なんですよね!うまく言えないけど、私、これからの人生、今までよりは楽しめるような気がしています。 明日からは掃除も頑張ります」と。良かったですね!
十日ほど前、朝勤行していると現在地蔵堂が建っているところに大師堂が新しく建立されている映像を見せられた。あり得ないと気にもしていなかったのだが、あり得ないことを見せるはずがない!はてはて?どうしたものか?と最近少々悩んでいる。
今、境内工事をしているので頭領に尋ねてみた。一間半一間半のお堂を建立したらいくら掛かりますかと?やはり坪二百万円ほど、それに解体料………やはり頭が痛い。
私の夏の宿題はまだ終わりそうもないなぁ~?決断は如何に?
大人も子供も、夏の宿題終わりましたか?行動を取らなければ何も始まらない。明日のために未来のために今できること精進して下さい。合掌

人間の値打ち H22.9.1

今日から9月。今日初めてお参りに来ましたという参拝者から「願掛け幸せ開運道」のご祈願依頼を受ける。「テレビに出ましたでしょう!是非一度お参りしたいと思っていましたので正、五、九月の九月を無事に過ごせるようお参りさせて頂きました。祈願内容は家族の健康と子供の良縁!親心ですね!さぁ~今日からしっかりご祈願させて頂こう!
今日、NHKの「ゲゲゲの女房」で「人間苦しいときこそ、人間の値打ちがでる」と言っていたが、確かにそうだなぁ~!と思いました。
すべて上手くいっているときは誰しも、自身と誇りに包まれて輝いている。しかし、人間壁にぶつかったとき、如何にそこからはい上がるか?これが問題ですね。そこにその人の生き様や、心の強さが見える!
今日午前2時28分届いたメールです「神仏は、本当に願いを叶えてくださいますね。
この一週間正式には半月ほど、うつ状態が再発し、再びはいつくばるような生活に陥り、休養をとっていました。前日まで動けず、今も眠れず…毎晩、お経をあげて、先祖様、お大師様、観音様、どうか、お守りください。私を導いてくださいと願い続けました。
私が出勤できたのは、追い詰められたからではなく、神仏が力を貸してくれたのだと思っています。
さらに、幸運なことに、先輩にもカツをいれられ、有り難い気持ちでいっぱいです。
まだ不眠でこんな時間まで眠れませんが、出勤すら出来なかった前職を思い出すと、私にとっては本当に奇跡です。あとは私の考え方次第…。人生楽しんだもん勝ちですよね
神仏の恩恵をうけたので、メールせずにはいられませんでした。夜中に失礼しました。おやすみなさい。」と。
神仏、信仰心は摩訶不思議ですね!信じて願う事!ただただ無心になって願えば、見えない力で導いて下さる。どんなことがあっても信じて祈り続けること!クヨクヨせず心に夢や希望をもって輝いていること!そこにその人の値打ちが出てくるのではないでしょうか!本物の値打ち!人間になりましょう!合掌

水木しげるさんのスランプ H22.9.2

連続テレビ小説「ゲゲゲの女房」水木しげるさんにもスランプ時代があったそうです。
そんなとき、北星出版の戌井さんが奥さんに尻をたたかれて貸本時代の水木しげるさんの漫画を単行本にしたいと訪ねてきて、眼を輝かして水木漫画の良さを熱く語る。「水木さんの漫画を読んでいると、気持ちが高ぶる。熱いんだなぁ~!力強い絵、面白いストーリー、見えない物を見せる不思議な世界。でも今の水木さんの漫画は何かが足りない!それがなんなのか自分にも分かりませんが、水木さんがこのまま終わるはずがない!見向きもされなかった時代に積み重ねた努力!それが不死身の漫画を作った。水木さんは不死身です。そして鬼太郎も不死身です!ただ言えることは、本物は消えない。もし今スランプだったら苦しんで下さい。でもその先にきっと突破口は開くはずですよ」と!
それを聞いた水木しげるさんは「俺は何を見失っているんだ」と突破口を求めて、賢明にもがきはじめていました………。とテレビは良いところで終わるんですよね!
「見えない物を見せる不思議な世界!」仏教も見えない世界をどうやって伝えるか頭を抱える。
「本物は消えない!」真理は一つ!
今スランプだったら苦しんで下さい。苦しみを乗り越えたとき人は成長する!
漫画の世界も、どんな世界でも仏教の世界と通ずるところがある!
どんな人でも長い間人間していると、大なり小なり問題は起きてくる。
そんなとき、必死に問題解決に立ち向かっていく強さと勇気が大切ですね!
また、他のテレビ番組で「明日を生きるためには、今を生きる事が大切」と言っていました。現実から逃げずに今を大切に生きましょう。合掌

色情因縁 H22.9.6

「ん?もしかして、本堂の前、階段を上がったとこ?…小屋の横に?…、お地蔵様が??…
夢に見られた、とひとり言に書いてあった地蔵堂の場所?…あら~本当に建てられたんですね!
うわ~すごい!私なんて、最近憶えてる夢はさるの子供を育ててる夢でしたけど。
ご住職様は、観音様からのメッセージがきて、いいですね。私もご住職様からのメッセージで、救われてますけど。一番に写真を頂けたんですよね!すっごいご利益がありそうです。」と返信メールが遅くなったお詫びに送った写真に感動して下さった信者さん。
私「護摩堂建立に伴い移動していた七観音様、十二支の守り本尊様など売店を壊して安置しました。お大師様からご指示頂いた大師堂は、写真奥の地蔵堂を壊して建てますよ!来年検討中です!楽しみにしておいて下さい」
信者さん「友達に不倫してて、でも家族も仕事も全部うまくいってて、美人だし、考え方もさっぱりしてるし、健康だし。私、その子すきなんですよ。たぶん、みんなも。
うまくいく人は、どんな事をしてもうまくいくんですか? 旦那様も『美人だから浮気くらいは~』な~んて理解あって。不思議でしょ?まあ、ばれてないと思いますが。昔から彼女はそんな感じ。私にはできない。でも人間だから、正しいことばかりじゃない。たまに彼女を羨ましいって思ってしまいます。でも因果応報ばかり考えて、まったく何もできないし~」
私「因果応報考える人は、本当の幸せを掴む事が出来るし極楽にも行けます!友達は可哀相な人!見せかけの幸せ!ご主人に満たされないから外に向ける!本当はご主人に愛されたいのではないでしょうか?心の弱い人だから自分を偽って生きていると思います!もっと素直にご主人に甘えたら良いのに!不倫相手はあくまでも性的満足のため遊ばれている!
たとえ満たされても心の中は空しいと思います!人の性の部分には入っていけないし、批判する事も出来ませんが、羨ましいと自分が過ちを犯さないように!
現代人はみんなしていると言い訳して、人としてどう生きるのか、自分を見失っていると思います!自分の良い因縁は子や孫に残しても、悪い因縁は残さないように!常に自分を律して生きて下さいね!」色情因縁は辛いですよ!合掌

宝物 H22.9.7

今朝、白衣観音様をお参りしていると、道ばたに素敵な宝石入れが落ちている映像を見せられた。どういう意味なのか?色々考えてみた!きっと「どこにでも宝物は落ちているよ。しっかり自分の足下見つめて、落ちている宝物を見つけなさい」と伝えたかったのではないか?。宝物とは何なのか?色々考えてみましたが、人にとってやはり人ではないでしょうか?家族は勿論、縁あるすべての人だと思います。
家族や人とどう向き合うのか?敬愛、思いやり、真剣、楽しく、面白く、真の愛情とは何なのか………人(相手)ではなく常に自分を見つめ磨くことが大切ではないでしょうか?
先日、信者さんに「私達の相性は安と壊です。信者さんから見て、私は安、安心安らぎです。私から見て信者さんは壊です。私があなたが持っている本来の性格を壊してしまう相性です」とお話すると信者さんは「私を壊してくれて有難うございます。色んな物の見方、考え方を学ばせて頂き、私はこの一年で人として大きく成長することが出来ました」と。
予期しない信者さんの言葉に私は感動と感謝でいっぱいでした。
これこそ私の宝物。共に磨き合える宝物でありたいと思いますし、もっと宝物の輪広げていきたいと心から願っています。あなたも私の宝物になって下さい。合掌

人生を生きる H22.9.9

今日は救急の日、突然のケガや病気に備えて知識や対処方法学んでおく必要がありますね。
先ずは健康管理ですが、最近夏バテ気味と思っているところへ「夏の疲れが出る頃です。ドリンク少ないですが飲んで頂いて、彼岸の供養宜しくお願い致します」と信者さんから高麗人参の入った滋養強壮剤を頂く。本当に有り難いことです。
今日は沢山嬉しいことがありました。
「家族でお墓参りに行ってきます。幸せが近づいてきます」とメールを下さった信者さん。
「おはようございます。今日から試験があります。いい点数とれるように頑張ります。いってきます」とメールをくれた高校生。
「お久しぶりです。ご都合良かったらお伺いしたいのですが」とメールを下さった信者さん。
「手術まで後数日ですが、すべて神仏にお任せしたいと思っています。頑張ってというよりも、お暇を頂いた気持ちで入院してきます」と足の手術をされる信者さん。
「祖母の心臓が止まりました」とメールをくれた信者さん。残念ながら亡くなりましたが、「子育てに追われて最近、お見舞いに行けなかった事が心残りです。でも突然の事で母が動揺していますので私がしっかりしなくては……」と心の切り替えをして頑張っている信者さん。
長い人生にはいろんな事があります。しかし、どんなときでも前向きに生きていくことが大切だと思います。それが本当の意味の「人生を生きる」事だと思います。
昨日信者さんから届いたメールです。「片思いをこんなに楽しんだのは初めてです。でも片思いは片思い、前進あるのみ!後悔したくありませんから!」と。
人によっては、片思いのところが、仕事であったり、人間関係だったり人それぞれでしょうがどんなときでも楽しんで下さい。道は開かれると夢や希望をもって下さい。神仏、ご先祖様にすがって共に生きて下さい。力を貸して下さいます。9月はお彼岸月です。ご先祖様は楽しみに待っていますからお墓参りには必ず行って下さい。僧侶としての切なる思いです。合掌

生きる意味 H22.9.12

「相談してよかったです。ありがとうございました。まだまだ問題ばかりですがよろしくお願いします。私がお寺に行く意味、私の存在が少しだけ解りました。まだまだご迷惑をおかけしますが、生きる意味、進む道が見え始めた気がします」と信者さん。
「生きる意味」誰しもこの世に生まれた意味!あると思います。逃げようと思っても逃げられない「生きる意味」!
さて、あなたの存在!生きる意味!解りますか?
ちょっとだけ、いや多いに考えて下さい。何かが変わりますよ!
勿論、未来が明るくなります。もし辛くて苦しいとマイナスに思うのならもう一度自分を見つめ直して下さい。自己改革が必要だと思います。合掌

あなたへ 秦万里子さんの歌 H22.9.13

NHK歌うコンシェルジュの司会者秦万里子さんのあなたへは母親のことを歌った曲です。
お彼岸や敬老の日を前に生んでくれたお母さんに思いを寄せてみて下さい。
★あなたへ 秦万里子★
朝日に洗濯物 鼻歌まじりお買い物 朝日がさせば食事の支度 時々割れる皿の音
新学期の名前書き 夏休みの自由研究 遠足のお弁当 大袈裟な欠席届け
来てくれた参観日 出席しないクラス会 家族のために運転免許 舅や姑と同居
母の日じゃなくても 誕生日じゃなくても あなたにいつも あなたにいつも あなたにいつも ありがとう
夜中まで待っていた 忘れ物届けてくれた 寝ずに看病してくれた ゴキブリを見事叩いた
見て見ぬふりをしてた とことん反対してた しぶしぶ賛成してくれた 幸せ祈ってくれた
感謝の日じゃなくても 敬老の日じゃなくても あなたにいつも あなたにいつも あなたにいつも ありがとう
あなたの娘(こ)で良かった そう私が思うように 私を産んで良かったと 思ってくれれば嬉しい
あなたをずっと あなたをずっと あなたを思っています
命の源である母親(父親)!誰にでもたった一人必ずいる母親(父親)!
あなたはどんな母親(父親)ですか?どんな母親(父親)になりたいですか?
それはあなたの心の幸福度によって変わってくるでしょう?先ずは心の幸せを掴んで下さい。
そうすれば「あなたの娘(こ)で良かった そう私が思うように 私を産んで良かったと 思ってくれれば嬉しい」と子供から思ってもらえるでしょう!合掌

人間関係 H22.9.14

「大きな人間関係のお試しがきました。相手にこびることなく相手が望む事。私はどうしたらよいでしょうか?」と信者さんからのメール。
私「自分から飛び出さないと何も始まりませんよ。相手が喜ぶこと。相手が依頼したい雰囲気ご自分から作ってみては?そこには慈悲心が必要ですね!」
信者さん「慈悲心?」
私「優しさ、思いやり、字の如く、悲しみ慈しむ心です。苦しみ悩んでいる人に手を差し伸べることです。しかし、高いところから対処すればありがた迷惑になります。同じ気持ちで寄り添うことが大切です。」
信者さん「タイミングが悪いのか?何か手伝おうかと声をかけても、いや、いいの返事!私はどうして寄り添えないのでしょう!」
私「何度も声をかけていれば、その内心を開いてくれますよ!慌てない慌てない!ゆっくり心を伝えて下さい」
信者さん「我が家のことを考えていました。同じように接していれば上手くいきますね。お試しクリアーします。有難うございました」
私「はい!楽しんで下さい。」
私とご縁を頂いて一年も経つと、「有り難いです」「幸せです」と言葉に出したり、メールしたりするとお試しがあること!皆さんわかり始めた。
辛いことや問題が生じても殆どの方が、構えてどうやってこの問題解決しようかとへこむことなく前向きに対処できるようになる。それどころか、これをクリアーしたらまた人として成長できると楽しんで問題解決に取り組む。心の安堵、幸せ早く掴んで頂きたいです。合掌

お試しクリア? H22.9.15

昨日お試しが来ましたとメール下さった信者さん。
「これからの頑張りが自分達にとってゆるやかかもしれないけど着実に成長できる自信に繋がるチャンスだと思って共に頑張りましょう。協力お願いします。また明日話しましょう。メールありがとう。心強いです・・・・・・・・・・」と今日職場の方からメールを頂き、
「お試しクリア?彼女に背中を向けなくて良かったと思いました。お試しがあったとき間違った選択を(行動)しなければ幸せは訪れる事、実感しました。”全てはうまくいっている、すべってもうまくいっている”ですね!これからも「心」を常に磨いていきますよ!篠栗へもまだまだお邪魔します!これからです!」と一歩前進した嬉しいメールを頂きました。
日本人は「遠慮が美徳」思っています。人から何かをしてもらうことを「申し訳ない」と思い、遠慮することが人の道と思っている。何かしてあげたいと声をかけた方は断られると「いらんお節介だった」と自分を反省する。こうなると、断った方は頼みにくいし、断られた方もまた断られるのではないかと自己防衛するため二度と自分から声をかけない。
これでは、信頼関係や絆を深めることは出来ない。
私は思います。「遠慮が美徳」ではなく「感謝が美徳」だと!
朝ドラのゲゲゲ(水木しれる)の お母さん、ご主人を亡くして言っていました「私はこれから感謝して、楽しく生きていこうとおもっちょる」と!感謝は楽しく生きる秘訣です。
人生は楽しくなくてはもったいない!特に職場や家庭は一日の大半をそこで過ごすのですから、如何に感謝して生きるのか=如何に楽しく生きるのか!
学んだ知識を智慧に変えて如何に行動にうつしていくのか!
幸せになるのかならないのかは、あなた次第です。合掌

認める寄り添う H22.9.16

「昨夜のNHKためしてガッテン「認知症が良くなる」番組みました。
物忘れ等「脳」の障害による症状と「感情」からくる症状。
全てが失われていくのではなく「感情(心)」はあるのだという事。
ではその「感情」の部分をどうすれば改善できるかと言うのが今日の番組
「寄り添う」「否定しない」「価値を認める」
う~ん、考えさせられました」と、信者さん。
これは「認知症」に限ったことではありません。「うつ病の方」、「自殺願望の方」、又人が人と接していく上で大切なことだと思います。人は人から認められれば、人に寄り添おうとします。もし、人間関係でつまずいたなら相手を否定して認めてないのではないか、寄り添っていないのではないか、信頼関係を築けていないのではないか?相手を責める前に自分をもう一度見つめて下さい。何かが見えてくるはずですよ。
また、自分が生まれた意味!生きる意味を知りたくてご先祖様の事を調べた信者さん。
出てくるは出てくるは、知りたくもないご先祖様の過去!過ぎてしまったご先祖様の過去を批判するのではなく、辛かったご先祖様の思いに寄り添うこと。ご先祖様の生き方を認めてあげること、それは心から供養をされるために大切な事だと思います。 そしてご先祖様の過去はご自分の前世が見えてくるはずですよ。生まれてきた意味も生きる意味も見えてくるはずですよ。合掌

信頼関係 H22.9.18

先日、上司に忠告したら耳を傾けてくれず納得いかないとイライラ相談メールが届く。
私「こんばんは。あなたが正しいと思います。しかし、難しい問題ですね!忠告をしても納得されなかった!勿論部下に忠告されてハイ!分かりました!とは言いズラい!ここはひとまず引いて落ち着いた頃に相手を立てながら尋ねる様にお願いしてみてはいかがですか?それから何故上司は忠告に耳を傾けなかったのか?自己を見つめる事が大切です!」
信者さん「ヒント下さい」
私「上司とあなた!何がならなかったのでしょうか 」
信者「お互いを信じていない?って事ですか?」
私「信じていないというよりも、信頼関係がまだ足らないという事でしょうか?信じて頼りにしている!という関係まで到達していない!あなたは何故私に何でも相談するのでしょうか。苦しんでいる人に私と縁をもつよう勧めるのでしょうか?」
信者さん「ご住職様を信じているし信じられるからです。私が上司に信じてもらえないのは,
私自身最近口癖のように言っている中途半端な人間だからでしょうか……。もう一度素直な気持ち伝えてみます」
私「そこには敬愛ありますか?もし敬愛があったら、忠告を聞かない上司の事を心配してもイライラ怒って私に相談はしなかったはずです」
信者さん「怒り、イライラの前に敬愛ですね。有難うございました。今の素直な気持ちを上司に伝えます」
翌日「私の忠告受け入れて下さいました。自分の思いをきちんと伝えれば必ず伝わることそこには敬愛、信頼関係が大切なこと学びました。ご指導有難うございました。」
そして私「中途半端な人より一生懸命の人の方が信頼はされるでしょうね。上司を立て、明るい活気に満ちた楽しい雰囲気の職場になるよう今一層の信頼関係築いて下さい」
信頼関係築くことは大変難しいことです。しかし、人生を楽しく生きるために大変必要なことだと思います。合掌

好きなこと H22.9.19

朝ドラ「ゲゲゲの女房」新米教師、長女の藍子が教師を辞めようかと落ち込んでいるときに水木しげるが娘に言ったセリフ
「人間は頑張ったから上手くいく。努力したから報われるとは限らない。”意志の力で成功しないときには、好機の到来を待つほかない”(ゲーテ)お父ちゃんも諦めなかったから良かった!」
「好きなことをして、生きるは良い!しかし、好きなことと楽をする事はちょっこし違う!苦しいことや嫌なことがあっても、それでもやりたいと思うものが好きなこと!落ち込んだり嫌な思いをしてみらんな本当に好きなことは何なのかわからない!戦わずして土俵を降りることが一番つまらんぞ!」と娘を励ました。
翌日藍子は「一番大切なことは、肩の力を抜いて子供達と向き合うことかな」と出勤した。
好きなこと!仕事、趣味、恋愛!世の中には沢山好きな事があるけれど、諦めずに夢や希望に向かって努力する事、人生を何倍も楽しくする事だと思います。
私は好きなことを仕事に出来た事幸せに思っています!合掌

生きていくために仕事をする H22.9.20

好きなことを仕事にしていない人は、どんな人生を送っているのだろうか。
生きていくために、食べていくために仕事をする。
こんなつまらないことはない!
例え、好きでない仕事でも、好きになればいい!どうやったら好きになれるのか!
真剣に考えれば必ず道は開けるはず!
人生とは何なのか?生きるとは何なのか?お彼岸に考える事は大切だと思う!
お彼岸とは悟りの世界に到達する、仏教では大切な時期です。
泣いても笑っても一生は一生!如何に後悔せずに充実した毎日を過ごす事ができるのか?
一分先ではなく目の前を楽しく生きる事ができるの?真剣に考えて下さい。合掌

菩提心 H22.9.21

今日は21日。お大師様のご縁日です。
お大師様が開かれた真言宗は、即身成仏(この身で覚りを開くこと、仏様の正しい智恵と大いなる慈悲を体得するし生きて仏になること)を説きます。=菩提心の向上を勧める宗教とも言えます。
お大師様は「秘密三昧耶仏戒義」の中で人間の本当の心、菩提心を次のように定義されています。
1,悪を無くし善に生きようとする心
2,正しい教によって自己の向上を図る心
3,迷える人びとに利益をあたえて覚りに導こうとする心
戦後人々の価値観は変わり、義理人情よりも物欲に心奪われている現代人に、今一番必要なことではないでしょうか。
「今日彼岸 菩提の種を蒔く日かな」 芭蕉
私達は、彼岸の一週間だけではなく毎日、菩提の種を蒔きたいものです。
お経の中の発菩提心真言「オン ボウジシッタ ボダハダヤミ」のオンは帰依、ボウジシッタは覚りの心 、ボダハダは発起する、ヤミはわれ今。「おのれを空しうして、われ今、菩提心を発します」との誓いの言葉です。
私達は、菩提心を日々実行することによって悩みや苦しみから救われ、生きる意味や喜び、幸せを感じて生きることができるのではないでしょうか。また、縁ある人々に幸せの輪を広げていけるのではないでしょうか。どうぞお大師様の思いをしっかり受け止めて精進して下さい。
幸せになって下さい。合掌

彼岸に思う H22.9.24

「魂を彼岸に遊び、心を道場につなぐ」聖徳太子のお言葉です。
あの素晴らしい聖徳太子ですら、お彼岸は心を清める修行と考えました。
彼岸とは、波羅蜜多というインドの言葉で、理想社会、仏の国を作るいう意味です。
多くの人々に愛されている般若心経、摩訶般若波羅蜜多心経の摩訶は大いなる、般若は真実の智恵、波羅蜜多は彼岸という意味ですから、大いなる智恵によって幸せの社会世の中を作る心のお経という意味になります。お経の終わりの羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩婆訶は「行こう行こう、この世に仏の国を作るために行こう」と彼岸への道を説いています。
そのためには、ご先祖様への感謝は勿論、今ここに存在する自分自身の命に感謝と報恩の心を忘れず、六度の菩薩行、施し(布施)、ルールを守る(持戒)、忍耐(忍辱)、努力(精進)、心の平安(禅定)、正しい智恵(智恵)を実践していくことが大切です。
一人一人が幸せの種まきをして、みんなで仏の国、幸せの世界を作っていけたら嬉しいですね。
先ずは自分から精進して下さい。合掌

無くして初めて有り難さが分かる H22.9.26

彼岸も無事終え、食欲の秋、読書の秋、スポーツの秋と秋を満喫する季節となりました。
篠栗霊場も秋の参拝者で少しづつ賑わい始めました。
先日、時々霊場巡りをされている方とお話しをさせて頂いきましたが「お金も地位も名誉も無くして初めて有り難さが分かる。私自身退職して初めてお金の有り難さがよく分りました。今頃になって若いときにもっと貯金しとけば良かったと後悔していますよ。」と。
私達は日々の生活が当たり前と思っていますが、無くして初めて当たり前がどんなに幸せなことか気付きます。お金は勿論、健康であること、家族がいること、仕事が有ること、眼が見えること、耳が聞こえること、食べられること、しゃべれること、手があること、字が書けること、物をつかめること、足があること、歩けること……沢山あります」
一日眼をつぶって見て下さい。さてあなたは生活できますか。両足を縛ってみて下さい。想像しただけでも大変なことです。
無くして初めて有り難さが分かるのかもしれませんが、当たり前のことに感謝して生きて下さい。
感謝して生きる人は、バラ色の人生を歩んでいけるでしょう!
また、あなたが抱えている問題を「問題だ!問題だ!」と見るのではなくプラス思考で捉えたら問題解決のカギは見えませんか?例えば、あなたが嫌いだ、苦手だと思っている人は「嫌いだ!苦手だ!」と思っている限り好きにはなれない!この人のどこか良いところは無いかなぁ~と探して見ていると案外隠された良いところが見えてくるものですよ。本の少し見方を変えるだけで、新しい発見があり、人生は楽しく面白くなるものです。
さてさて、人生楽しくするのはやっぱり自分次第!彼岸の岸へたどり着きましょう。合掌

病とご先祖様 H22.9.27

最近、病とご先祖様は繋がっていることを強く感じる。
先日も信者さんとお話していて、「娘さんが心の病気を発症した頃どなたか亡くなった方はいませんか?もしくは法事を忘れていませんか?」と尋ねると
「そういえば娘が病気した頃私の母が亡くなりました」と。
そこで「お墓参りに行って下さい」とお願いすると「実はお墓が熊本に有るのですが、遠くてお参りできないので、私の妹が嫁いだ夫の実家の墓に母のお骨を納めているのです」と。
私はビックリして「お母様は全く知らないお墓に入れられて肩身の狭い思いをしています。それが娘さんの心の病の原因ですから、一日も早くお骨を取り出して熊本のお墓に納めて下さい」とお願いしました。
また、ある方は娘の心の病気がでた年は、祖父の妹が自殺して50回忌でした。
また、ある信者さんに「お父様が倒れた月は、どなたか命日がありませんでしたか?」と尋ねると「祖父の祥月命日でした」と。
不思議と病とご先祖様は何らか繋がりがある。
そして、原因を取り除かない限りなかなか良くならない。
もしも、病院の先生が「どこも悪くないですよ。治療のしようが有りません」と言われる場合は、ご先祖様の何らかのメッセージだと思って下さい。
決してご先祖様は悪さをしているわけではなく、お経が聞きたい!お茶が飲みたいと催促しているのです。心から忘れていて申し訳なっかたと懺悔し供養をしてあげたら今度は御礼に守護霊となって私達を思って下さいます。子孫の幸せを願わないご先祖様はいないはずです。どうぞ心からご先祖様に供養の誠を捧げて下さい。合掌

当たり前 H22.9.29

親が子供に食事を与えるのは当たり前
親が子供に衣服や靴を与えるのも当たり前
親が子供に学校行かせるのも当たり前
親は子供が一人前なるまで面倒見るのは当たり前
だから
親は子供にくどくどと説教するのは当たり前
一生懸命子供のことを思って叱責するのも当たり前
だけど
子供は親に愛されてないと反抗するのも当たり前
自分は駄目な人間だとやる気がなくなるのも当たり前
この当たり前!如何に感謝に変えることが出来るか?
親も子もこれが問題だ!
親は子供を見つめるのではなく、子は親を見つめるのではなく
感謝できない自分をしっかり見つめることです。
毎朝、掌に感謝の字を書いて飲み込んで下さい。
さて、飲み込みましたか?実行するのみです。合掌

神無月 H22.10.1

今日から10月。昨日は久しぶりに信者さんと午前2時過ぎまで話し込み、しっかり頑張っている事確認し安心しました。
頑張っていると言えば、昨日百観音満願したと信者さんからメールが届く。
信者さん「行動しなければ結果は出ない………!今回は最終回、それに相応しい人との出会いがありました。今、私に必要な人との出会いです。有り難いです。これからの私にとって必要な人だと思っています……… 」
私「行動ですね!前進あるのみです。観音様を味方に付けていますので頼もしいですね」
神仏のお力を頂き見えない力でこれからの人生を楽しく生きて行かれると思います。
これから参拝にもってこいの季節となります。皆さんも霊場巡りしてみませんか?
心に悩みやもやもやのある方は、じっと家にいても何の解決にならないと思います。
今日も父親が自殺したという若い男性がお参りしていましたが、自然の中に自分の身を置いてみると見えない何かを掴むことが出来るかもしれません。
10月は神無月と言われますが、だからこそ自分から神仏を引き寄せて幸せになって下さい。幸せのためにより良い人生を歩むために行動を取って下さい。自分のために縁ある人のために!合掌

愛宕地蔵 H22.10.2

先日夜中までお話をした信者さんからメールが届く。
「こんばんは。先日は遅くまで有り難うございました。実は気になっていた事があったのでメールしました。先日、祖聖大寺に伺った時に売店が無くなって沢山の仏様がいらっしゃり、ビックリしました。もう、暗くて良く分からないままに、お参りしていましたら、一番奥の確か、棒みたいな物を持っていらした仏様が、私が前に行ってお参りしていましたら『良く来たな待っていたぞ、嬉しい』みたいな事が胸に入ってきました。
私は『はい、私も嬉しいです』と、お参りしていました(笑)何だか今、フッと思い出してメールしました。
あの仏様は、お地蔵様ですか?もしかして友人が持って来られた仏様ですか?
以前はお堂の中で数回見たような気もしますが、良く分かりません。場所が変わった事もあるし、お堂の中は真っ暗で殆ど見えなかったので、友人が預かって頂いているお地蔵様も良く見えませんでした。私の胸に歓迎の言葉を下さった仏様の事を差し支えなければ教えてくださいますか。宜しくお願いします」と。
私「 こんばんは。有り難いですね。はい!あなたが友人の愛宕地蔵様を預かって下さいませんかと、お世話した愛宕地蔵様です!」
信者さん「え~!やっばり!もしかしてとメールしながら思っていました。一ヶ月程前に友人に電話したのですが忙しい様で、殆ど話さず『またね』と、言ったきりです。
胸に飛び込んで来たのは、友人のお地蔵様だったのですね。ビックリしました。」と。
神仏は私達にメッセージを発信していますが、私達はなかなかそのお言葉を受けとれません。しかし、しっかり私達のことを見て下さっています。信じるのか、信じないのか?これは大きく人の人生を変えると思います!
さて、あなたは信じますか?自分の力ではなかなか思うようにならない人生!神仏を味方に付けて道を切り開いてみませんか。信じる者は救われる!それしかないのです!合掌

大師堂建立の計画 H22.10.3

今境内は、キンモクセイの香りが漂い心も時間も穏やかに流れていく。一人で楽しむのはもったいないくらいです。
さて、今日信者さんに「メール遅くなって申し訳ございません。今大工さんが帰られました」とメールを送りましたら、「また、どこか工事ですか?」とメールが届き、まだ皆さんにお知らせしていなかったことに気付きました。
夏の宿題大師堂(8/30)のひとり言で触れていましたが、今の地蔵堂の後に大師堂が建っている映像を四国八十八ヶ所の掛け軸をお参りしているときに見せられました。しかし、左側面に赤い欄干が見えたのでこれはあり得ない!と私の見たものは錯覚だと思っていました。ところが9月7日、今度は今建っている地蔵堂の後ろ(隣の土地)の石垣の下に基礎工事をしている映像を見せられ、8月に見せられた赤い欄干の意味が解り納得しました。しかし、土地を売ってくれることは絶対にあり得ない。それでも神仏のメッセージを無視するわけにはいかず、隣に交渉に行ってきました。結果はやはりダメでしたが、「いつかはそうなるでしょう」とお言葉を頂きましたのでこれが神仏のシナリオだったのかと思いました。
大師堂計画は、11月7日(木を触ったらいけない日を避け)以降駐車場を整備してあわしま堂や地蔵堂を建て、12月(11月まで南を触られない)から地蔵堂を解体し、大師堂建立となります。本当に嬉しい悲鳴です。
護摩堂の寄附をお願いしてすぐなので寄附は頂かない(借金をする)つもりにしていましたが、信者さんから「寄附をしたい(徳を積みたい)人もいます。寄附をしたい人がすればいいのですから寄附を募って下さい」と言われ、皆さんへまた寄附のお願いをする事となりました。このご時世大変ですので、出来る方どうぞ宜しくお願い申し上げます。合掌

神仏の存在 H22.10.4

先日、板東参拝された方から届いたメールです。
「神仏の存在を感じるどころかビシビシきています。
〇〇さんが50代の頃の写真を見せてくれた時、別人のようでした。
〇〇さんが「当時は色々なものを背負っていたから表情も厳しかったんですよ」
と言った事、人は、色々な物を背負っていることが分かりました。
〇〇さんとの出会いに「観音様のお力はすごい」と感激しています。
偶然(霊場)であった人が繋がっていく…凄い事だと改めて思いました」
実は、信者さんが大切に思っている人と〇〇さんは仕事で繋がっていたのです。
そして「大切な人の分野は他社との競争に常にさらされ負けたときは自分のキャリヤーが終わるときと考えないといけないような大変なプレシャーの中で仕事されているはずです」と教えて頂いたのです。
信者さんの大切な人が、「ただ生きるために仕事をしている」といった深い意味が分かったそうです。
今回の偶然だけでなく前回の板東霊場参拝した後も、信者さんの大切な人は、当山の信者さんの妹さんの旦那様と同じ会社に勤めていた事がわかったのです。(九州と関東)神仏の存在を信者さんは改めて感じたそうです。百観音様を味方に付けた信者さんのこれからが楽しみです。今回のことは、神仏から与えられた心の修行、そして自分を見つめる修行のようです。
神仏のお姿もお言葉もなかなか頂けませんが、ただただ無心に祈ることです。頼ることです。感謝することです。見えない力で必ず救って下さいますし、幸せへと導いて下さいます。
神仏は眼に見えませんが、人という存在、ご縁で道を切り開いて下さいます。だから、人とのご縁を無駄にせず、絆を深めていくことが大切です。
観音様からこんな事を言われたことがあります「私には、肉体がないので境内の掃除する事も何も出来ない。今は体が疲れているから休みなさい。体をいといなさい」と。
神仏には肉体がないのです。だから人を介して、心の修行も、幸せに生きる方法も教えて下さるのです。良き縁も避けたい縁も人として成長していくために必要なのです。
さて、今日から四国参拝。楽しい嬉しいご縁にしてきますよ。
良き縁か悪き縁か自分次第なのですから。合掌

四国巡拝 H22.10.5

四国上陸。15名全員元気に出発。メンバーの顔ぶれも随分変わりました。
人とのご縁を大切に、今日のご縁を大切にお大師様と同行二人。
お大師様と人と絆を深めたいと思います。
いつか皆さんとご縁をいただける日を楽しみにしています。合掌 

心の修行!前進あるのみ H22.10.9
今日は信者さんと電話で30分程話をした。
なかなか人はこだわりを捨てきれず、前進出来ない!常識では当然相手が悪い!
しかし、与えられた心の修行、クリアしなければ幸せにならない!分かっていても進めない。
どんなにお話ししても「相手が常識無いのに何故私が我慢しなければならないのですか?」そう言って話は進まない。
そんな中一本の電話が入る「少々鬱だった友人が二日前より行方がわからない」と。
その瞬間「何を落ち込んでいる!落ち込んでいる暇なぞないぞ!救わなければならない人は山ほどいるだろう!」と神仏に修行を与えられたようにと思いました。
すぐに祈りましたが、残念ながらお観音様は何も言われませんでした。
しかしずっと誰かが私の腰にいました。勿論その人が誰なのか分かりませんでしたが、希望を捨てず祈り続けたいと思います。
今日は、私も信者さんもその場に止まることなく、前進あるのみ!そう神仏に諭されたと思いました。どうぞ一緒に自分磨き心の修行を精進しましょう。合掌

こだわり H22.10.10

人は何故こだわり、自分で自分の首を絞めるのだろう?
もっと気楽に生きたらいいのに!
人は、悔しい、歯がゆい、辛い、憎い!と拳に力を入れて疲れることをする!
拳の力をフッと緩めると楽になるように、こだわり(垢)をポイッと捨てたら楽になれるはず!
幸せになれる人は、自分の垢を上手に捨てきる人だと思います。
何度も何度も垢を付けては捨てる。繰り返し捨てきる人こそ幸せになれると思います。
気楽に生きよう!上手に捨てよう!
人生は楽しいものですよ!明るい未来は自分で実践しなければやってこないのです!
さぁ~こだわりを捨てて幸せになりましょう!合掌

スタッフベンダビリリ H22.10.11

今、来日のアフリカのミュージシャン!世界中で人気上昇中だそうだ。
HPより
「スタッフ・ベンダ・ビリリ」は、小児麻痺で下半身不随となった車椅子ミュージシャンによるバンドです。手動の三輪車型の車椅子に乗る4人のシンガー兼ギタリストたちを中心に、松葉杖のシンガー、メンバーに拾われたストリート・チルドレンなど、8人のミュージシャンから編成されています。"ベンダ・ビリリ”とは「外見を剥ぎとれ」という意味で、つまり「内面(の精神)を見よ」ということ。「外見は不自由でも精神は最大に自由なんだ」と語っているのです。こんな"哲学的"バンド名を自分たちで付けて、日々路上で演奏し、段ボールで生活をしていました。
歌にのせたメッセージ
8人のうち、6人が歌い、ソロにユニゾンにコーラスに、胸に響く歌を聴かせます。。彼らの歌詞はキンシャサで起きている日々の生活を歌い、メッセージを歌います。《ポリオ》という歌では「子供たちの世話を放棄しないでくれ」と、子供たち全員がポリオの予防接種をできるよう、親たちに呼びかけ、《トンカラ》という歌では「オレはかつて段ボールで寝ていたが、ツキに恵まれマットレスを買えた。人間に“再起不能”なんてことは絶対ない、“遅すぎる”なんてこともない」と真の障害は肉体ではなく心の中にある、と人々に呼びかけるのです。
是非一度調べてみて下さい。小さな出来事に心奪われている自分が小さな人間に思えてきますよ。どんな境遇にあっても人は幸せになれると教えてくれる音楽です。合掌

加行の面接 H22.10.12

弟子を連れて来年受ける加行(僧侶になるための行)の面接を受けるために高野山へ。
試験官の最初の一言は「何しに来たんや?」と。
弟子は緊張していたが自分の思いをしっかり伝え「分かった」と加行の許可を頂いた。
そして、「厳しい行だから、生半可な気持ちでは勤まらない。先ずは体力をつけなさい」とジョギングをするよう指導を受けていた。
来年1月に十日間の前行。そして4月から本格的百日間の加行となる。
1月の前行は、大寒!高野の大寒は半端じゃない!
真言宗の僧侶になるためには、厳しい肉体的修行と心の修行に耐えなければならない!
そこで私は言う「私達は人のお布施で生活させてもらっている。贅沢は禁物。タバコはやめなさい。しかし、なかなか難しいと思うので寺では吸わないように心がけなさい」と指導。
僧侶は人の施しで生活出来ることをしっかり受け止めてほしいからだ。
僧侶たるものどうあるべきか?少しずつ指導していきたいと思う。
一人前になるまでは、責任をもって指導していきたい。合掌

「加行の面接」を読んで信者さんからメールが届く H22.10.13

昨日のひとり言を読んで、私が落ち込んでいたときに友人が観音様をお祀りする、ある宗教団体の写真集を見せてくれたときのことを思い出しました。
1ページ開いて正直な感想。『この袈裟、一体いくらだろう(・・?)』 と思いました。と言うのも、ご住職が着ている袈裟はきらびやかですごく高そうで、動き回れる感じじゃなく。○木数子さん風の年配の女の方もきらびやか、真っ赤な口紅を塗っていました。
『祖聖大寺の住職様は皆の為に祈るとき、火の粉が飛んでお衣に穴が開いてるんだぞ!』と自慢したくなりました。 他のページにはコンサート会場を後ろから撮った感じで、何百人、何千人の信者さんの姿がありましたが『この人達はご住職に気軽に会えないよな~会うときは金額の高い順番よね~(あくまでも単なる感想です)』と思いました。
観音様も金箔がキラキラで黄金で輝いてました。が、感じるものはなかったです。
『祖聖大寺の観音様の方が皆で研いてるからキラキラしてるんだよね~』と思いました。
その団体を否定してるわけではありません。友達はそちらで救われてるんでしょうから、それはそれで、良かったねと思います。でも、見れば見るほど、お金が見えます。
それじゃ、貧乏人は救われないって話です!
『いつでも気楽にいらっしゃい』と言って頂けるご住職様とキラキラ輝いている観音様、祖聖大寺は何とも心地よく、帰りたくないと思える場所。とても魅力的な場所です。
昨日のひとり言を読んでこの事を思い出しました。
私は祖聖大寺とご縁を頂けて、本当によかった~と思いました。
信者さんの思いに恥じないようにこれからも精進してまいりたいと思います。
衣に穴が空いているのは、新しい物が買えないだけ?なのかもしれませんが、私の夢、ホッとする心が落ち着く空間の寺にするために、一歩一歩楽しみながら、踏みしめながら後悔のない人生を歩みたいと思っています!
皆さんにも後悔のない満足した人生を歩んで頂きたいと願っています。合掌

不動明王様のプレゼント? H22.10.14

二週間毎に三人で始まったお行も来月で二年。そろそろ終盤を迎えるのだろうか?
先日のお行読経中に、私の腕には七色に輝いている水晶の数珠。その後に鞘に入った唐草模様の銀の剣を見せられた。どんな意味があるのだろうか?
水晶のパワーを調べてみると、万能の強運石で悩みや不安を解決し幸運を招く。またすべてを浄化する力もあるらしい。銀の剣は不動明王の剣?鞘に入っているということはプレゼントということなのだろうか?
平成16年7月の祈願祭の時に、観音様、不動明王様、お大師様の胸から上に、水晶の玉が綺麗に縦横ビッシリ並び、水晶の右上が七色に輝いていたのを思い出す。あの水晶を数珠にしてやはりプレゼントしてくれたのだろうか?
一人でそんなこと考えながら楽しんでいる!イヤ!そうであってほしいと願っている!
もし不動明王様からのプレゼントなら、苦しみや悲しみから人々を救えるのではないか?今以上にお力を貸して下さるのではないか?
不動明王様から頂いた?数珠と剣で、皆さんの心を浄化し七色に輝いた幸せな人生を歩んで頂きたいと心から願っています。
そのためには、神仏を信じてご先祖様に感謝して幸せになるための条件実行して下さい。
祖聖大寺のHPとご縁を頂いたあなたは必ず幸せになると私は信じています。合掌

お知らせ
新しく建立致します大師堂内に水晶の身代り大師(あなたの悪いものをすべてお大師様が受けてくれる)を奉納して頂いてお祀りしたいと思っています。
堂内に入るとセンサーで七色の光で照らされます。
奉納料は一万円。奉納ご希望の方はお知らせ下さい。合掌

諦める H22.10.15

15日、氏神様は参拝されましたか?しっかり氏神様にご加護頂いて下さい。
先日、信者さんから「生きているのが辛い」そう言われて数時間後「もう大丈夫です。ご心配お掛けしました。主人のことは色々考えても仕方がありません。諦めることにしました。今日はバーゲンをやっていますので今から気分転換にショッピングに行ってきます」と電話が入りホッとした。
世の中はなかなか自分の思い通りにならない事だらけ!家族といえども難しい!
夫婦は気心しれているはずなのに、親は子供のことを一番考えてアドバイスしているはずなのに思い通りにならない。どうしたら、人はお互いに寄り添い心穏やかに幸せに暮らせるのだろう?
色々考えてみたが、人は自分の思い通りにならないものだと諦める(明確に見る)ことが一番。
人は自分に逆らう者を嫌うものだから、気付かない内に、顔はこわばり、声は刺々しくなりお互いに寄り添うどころではない。相手を批判する前に、こんな時こそ自分の欠点をしっかり見つめ自分磨きに精進して下さい。幸せは相手を変えることにあるのではなく自分を磨くことにあるのですから、寛大な人間作りに挑戦して下さい。
神仏、ご先祖様はしっかり見て下さっています。そして守られている事自信をもって下さい。
そうすれば必ず心の安らぎと幸せを感じて生きていけるのですから。 合掌

神仏の存在 H22.10.16

昨日のひとり言、「自分の欠点をしっかり見つめ自分磨きに精進して下さい」この言葉に反応してメールを下さった信者さん。
「神仏、ご先祖(両親)に守られているから大丈夫です。
以前、〇〇さんに頂いた言葉があります
『湧きあがる思いに素直に進んで下さい』当時はよく意味が解りませんでしたが、今は何を言わんとするか解ります。
私の欠点は『頭で考えてしまう』と言う事。
想いが湧きあがっても『でも、そのためにはこれだけの障害がある。無理だよね』と心の思いを頭で打ち消す。その繰り返し。
そして今は、その心の思いもいまいち湧きあがってこない。少し時間を下さい。
『大丈夫!』無理に心の思いを出そうとしたら適切な判断はできません。
親が子供に『早くしなさい』と言えば、子は焦ってなおの事判断できなくなる。それと一緒です」と。
人には、これではいけないと分かっていても、どうしても動けないときがある。
そんなときは、焦らず心穏やかにじっと待つことです。慌てる乞食はもらいが少ない!一休さんではないけれど「慌てない!慌てない!一休み!一休み」です。
但し、神仏、ご先祖様に感謝は忘れず、朝夕しっかり心から手を合わせて下さい。
神仏とご先祖様が必ず道を切り開いて下さいますから!

先日、信者さんを連れて篠栗参拝をされる先達さんに、住職のひとり言の冊子を差し上げていましたらメールが届きました。
篠栗は昭和46年か47年頃に、正月休みに惹かれるように参拝した記憶があります。
〇〇市から汽車に乗り、その日は大雪で荒田屋に泊まったと思います。
不思議な体験では、平成3年に高野山奥の院で心経を唱え始めたら、ゴーと言う音共に白い雲の塊が私の体にぶつかり、口から勝手に、「わしは空海である、皆々永らくの修行御苦労であったな、そなた達の心、確かに空海が受け取った、今後も魂の修行を続けるが良い。御苦労はんやった」と。横を見たら、白装束のお遍路さん10名程が、正座して私に手を合わせてありました。と。

世の中には、不思議な体験をされている方が沢山います。
自分が経験をしなければ分からないかもしれませんが、一心に神仏にすがることです。
頭で考えるのではなく心で受け止めることです。魂の修行です。
そうすれば、必ず神仏の心を動かし神仏の存在を感じることが出来ます。神仏の存在を感じることが出来た人は、素直に幸せの道を歩んでいけるのです。合掌

スイッチを入れる H22.10.18

先日、過去の清算をするため、すべてを吐き出しに来ますと信者さん。
結局「こんなに有り難い御利益を頂いているのに、何を小さいことにこだわって過去に執着する必要がありましょうか!これからは感謝して生きていきます」と、心の垢を取るため境内の清掃行をして帰られた。
翌日「やっとスイッチが見つかりました」と電話が入り、また翌日も「スイッチが見つかりました」と、電話がはいる。
「スイッチが見つかりました」と「スイッチを入れる」は随分違う。
私は言う「折角見つかったスイッチは、スイッチを入れなければ何もなりません」と!
真言宗の教えは、知識、智慧と実践が必要と説いています。
どんなに知識があってもそれを実行しなければ何もならない、反対に知識持って行動足らないと空回りする。二つが揃ってこそ生きてくる。
例えば、漬け物の作り方を知っていても、漬け物を漬けなければ宝も持腐れということ。
反対に行動を取るにあたって、地図を持たずに目的地に向かう旅人や登山家、海図や羅針盤やレーダーを装備しないで航海に出る船や飛行機のようなもの。
人生は、知識を智慧に変え実行してこそ幸せをつかむことが出来る。信者さんも皆さんも心のスイッチ入れて日々精進して下さい。心からお祈り申し上げます。合掌

スイッチが入らない H22.10.19

「スイッチが入らないのは何故なんでしょうか?充電が足りないのか、コンセントが抜けているのか?目的地が定まらないから地図も持てないって事…?」と昨日のひとり言に反応してメールが届く。
スイッチが入らない理由は人様々だと思いますが、私なりにスイッチが入る理由を考えてみました。
一つは、自分の思いが真剣であるか?成し遂げようとする強い意志があるのか?
自分の生きる目的をはっきりさせること。
もう一つは、誰かのために生きること。誰かのために役に立ちたい!誰かを守りたい!幸せにしたい!と、人と共に生きたい、幸せになりたい願う事。
常に向上心をもって、自分に自信と誇り、夢と希望をもつ事!
そして、悔いのない人生を歩みたいと心から願うこと!
そこには真剣さがなかったら、スイッチは入らないと思います。
しかし、人間は楽な方が良いんです!難しいことは考えたくないんです。
楽へ楽へと流されていく!それはそれで良いと思います。
何故なら自分の人生は誰のものでもない!自分の人生だから!
「しかし、私の悩みなんてちっぽけな事!何もないところから自分で作っているんだから…と、囁く自分がいる!対象が自分だから敵にまわせば苦しむだけ!自分を理解してあげれば解決できるんですけど!本当の私は何がしたいんでしょうか?どうしたいんでしょうか?素直になりたいです!」と悩んでいる信者さんが私は好きです!
悩むと言うことは、前進している証拠!生きている証拠です!
素晴らしい人生にするためには、多いに悩み、考えましょう!
分からなくなったら、「慌てない!慌てない!一休み!一休みです!」合掌

心の安堵 H22.10.20

「あ~、今日も一日終わった!」とお堂に座り今日一日の感謝をするとき、観音様、お大師様、諸仏諸菩薩様、そしてご先祖様に守られている幸せ、心の安堵を感じる。
この気持ちを皆さんにも感じてもらいたい!生きることは素晴らしい!幸せだと感じて欲しい。
今日は、10月31日の柴灯護摩大祭の道場の草取りをした。まだまだ終わらないが綺麗になっていく喜びと充実感!たったそれだけだが今日も一生懸命生きた自分に誇りを持てる。
一日を、何事もなく、健康で働けること!これは当たり前のようだが一番の幸せだと思う。
後何年、働けるだろうか?その内、体は自由に動かす事が出来なくなり、仕事も出来なくなり、家族に迷惑をかけて生きていかねければならなくなる。確実に老い死へと向かっているのだから!
だから、この瞬間!瞬間を悔いのないように生きていくことが大切だと思う!
今、自分が出来ること!やらなければならないこと!しっかり見つけて生きること!
親孝行、友達作り、夫婦和合、子育て、仕事、どれをとっても大切で愛なくしてはどれも上手くいかない。老いたとき死を迎えるときに、周りの人がどう接してくれるのか?その結果その人の生き様が見えてくる。神仏を信じて常に心の安堵を求めて生きていけば幸せは自ずと向こうからやって来るのではないでしょうか?
心の安堵感じて生きて下さい。幸せを掴んで下さい。あなたなら出来るはず!合掌

娘から小荷物が届く H22.10.22

娘から手紙と旅の土産、珍しいからと猪豚カレー2ケ(我が家はチキンカレーが定番)と熊野古道麦酒1ケ(坊守は飲まない)と熊野詣(干菓子)が送ってきた。
失業中だというのに、親の心配もよそにのんきなものだ!
しかし、お金もないのに娘の心遣いは嬉しいものだ!
家族の絆は、小さな思いやり優しさの積み重ね!
親が子へ子が親へ、互いに思いやり認め合い感謝の気持ちを伝えて絆は深まる!
最近、親へ、子へ感謝の気持ち伝えていますか?
「明日は雨が降る」とビックリするくらい喜ばせてあげて下さい。
娘から、那智の滝のパワーを送ってきてくれました。
皆さんも一緒にパワー頂いて下さい。
照れずに素直に感謝の心伝えて下さい。合掌

自己をみつめる H22.10.24

何をそんなに焦って、慌てているのですか?
今はじっと自分を見つめて下さい。己のことを知らなければ、何も始まらない!
自分がどうしたいのか?どうありたいのか?分からない!
どうしても分からないときは、一度ゼロにしてやり直し!
じっくり慌てず焦らず、じっと自己を見つめて下さい。
必ず答えは見つかるはずです!
答えは私が出すわけにはいかない!
自分が出した答えでなければ、いつか不満がでた時に責任転換する。
何故なら、人生はそう簡単に自分の思い通りにはいかないからだ!
焦って慌てて決める必要はない。自分が納得するまで、とことん考えてほしい!
自分の人生ですから、後悔しないように!
もし、あなたが答えを見つけきれないとするなら、神仏とご先祖様を心から信じていますか?
もう一度心の点検して下さい。合掌

修行 H22.10.26

鹿児島から修行のため篠栗巡拝に来られた尼僧さん。
13日から寝袋持参で篠栗三周の修行。「今日が満願です」とお話し下さるその笑顔は達成感と自信に満ちていた。
私が聞きもしないのに「落ち込んでいた私に、住職が篠栗を三周すれば心が晴れるだろうと修行を勧めてくれました」と修行を始めた理由を教えてくれた。
まだ若い尼僧さんだからこそ、心の迷いや不安があったのだろう。それは若い在家の方でも同じ。若いからこそ悩み苦しみ、孤独感や将来の不安に押しつぶされそうになる。始めて挫折を味わった人も通る道なのかもしれない。
人は過去にこだわり、未来に不安を感じていると生きられない。生きるとは過去を反省しより良い未来を築いていくこと。夢や希望をもつこと。
霊場巡拝の修行を終えた尼僧さんは、僧侶としての自信を持ち、これからどう生きていったら良いのか答えをだされたのだろう。帰り際「神仏を信じて感謝して前を向いて生きていきます」と自信満々に話され、私には尼僧さんのパワーが伝わってきた。「かなり神仏のお力を頂いていますね」と尋ねると「ハイ」とにこやかに答えた。神仏と共に僧侶として素晴らしい人生を歩んでいかれることでしょう。
あなたも、心の迷いや自分を見失った時心の修行に霊場巡りをしませんか?
神仏のお導きによって何かを見つけるかもしれません。
良かったら柴灯大護摩の火渡りをして心も体も清めて下さい。
参加人数をお知らせ下さればご昼食の用意を致します。合掌

信者さんの優しさに感謝 H22.10.28

バレーの試合で柴灯護摩に参加出来ませんのでファックス送りますと、届いたメールに「バスケの試合頑張って下さい」と返信してしまった。
すると信者さんから「バレーです!本当は試合終わったその足でお伺いして、火が消えててもいいから渡りたいのですが残念です!
今は、幸せに過ごせています。どんな時でも平常心、不動心、仏心……はもちろんまだまだ課題ですが、こんな私でも最近、長男の保護者の方が 『相談したいことがあるんですが、〇〇さんは何か他の方とは違う感じがして』と来てくれたんです!しかも別々に三人も!私は住職様から言われたことをただ、話してるだけですが、私でも誰かのお役にたててることが今有り難く思います。この状況は今まではなかった感じです。 忙しいけど割と楽しく充実してる。今はこれがずっとずっと続いてくれることが願いです。
では、ご祈願よろしくお願いします。今日もまたバレーに行ってきます!」と近況報告が届く。
私「バレーとバスケ間違えて申し訳けございません。こんな調子だから皆さんに不信感を与えてしまうのですね」
信者さん「いえいえ!そんな!大丈夫です。何百人の信者さんがいらっしゃって、毎日色々お話なさるから、そんな!間違えても大丈夫です。不信感なんか、まったくまったくこれっぽっちも全然ありませんから!!」と有り難いメールに感謝です。
人は人の優しさや思いやり(仏心)に触れたとき、心から有り難いと感謝します!。
ところで、私はどれだけ気付かずに信者さんに不信感を与えているだろうか?
私がこうして僧職に携わることが出来るのも、信者さんの優しさや思いやり、慈悲につつまれているから私は救われていると思います!信者さんは、私に不信感を抱いても黙ってついてきてくれる。私を信じてついてきてくれる。本当に有り難いことです。
もし、私に不信感を感じるなら、遠慮なくお願い致します。
人は、喧嘩して憎しみ合うのではなく、話し合って分かり合ってお互いの信頼関係、絆を深めていくものだと思います。夫婦、親子、全ての人間関係、折角結んだご縁、お互いの成長のために絆を深めていきたいものです。合掌

柴灯護摩無事厳修 H22.10.31

こんばんは。お疲れ様です。
「本日は誠にありがとうございました。
山口の親戚も住職達の迫力と神聖な儀式に感動していました。
今日17時、無事に家に帰り着いたそうです。
私も込み上げてくるものを感じました。
これからもよろしくお願い致します」と写真とメールが届く。
台風に悩まされ、どうなるかと思った柴灯大護摩無事に厳修する事ができました。草取り、道場整備、柴取り、当日は石橋地蔵会の美味しい豚汁のお接待、沢山の方のご協力のお陰で無事に終えることが出来ました。
また、沢山の添え護摩木祈願、供養の申し込みを頂きました事、遠路熊本、長崎、宮崎は車いすの98歳の信者さん、家族に付き添われ御利益いただきたいと楽しみにお越し下さった事、本当に有り難く感謝の一言です。
重ねて御礼申し上げます。有難うございました。
信者さんからのメールです。「無事に終わられましたか?みなさん、喜んで帰られましたか?
私も無事に バレー大会終わり、なんとか3連勝することができました。本当にギリギリだったけど、なんとか自分の仕事をこなせました。 体も大丈夫です!今からみんなでお疲れ様会です。まだ お忙しいでしょう。妹も無事に千葉に帰りました。昨日の検診で男の子ってわかって、〇〇家は万々歳のようです。またメールします。ありがとうございました」
私「有難うございます。無事に終わりました。お互いによく頑張りました!神仏に感謝です。
一人では達成出来ない!みんなの力で成し遂げる事が出来たのですから、皆さんに感謝です!
お疲れさん会いってらっしゃい。楽しんで来て下さい」
信者さん「はい、本当に感謝ですね。気付かないだけで、たくさんの感謝にかこまれてるのかもしれません。 楽しんできます」と。
信者さんが言われるように気付かないだけで私達は沢山の感謝に囲まれているのだと思います。本当に心から感謝申し上げます。有難うございました。合掌

「死」 H22.11.2

10月28日のひとり言を見て、「火が終わった後でも火渡りしても良いのですか?愛犬ももがいつ旅立つかわかりません!もし私がいないときに一人淋しく逝ってしまったら可愛そうで参加したくても出来ません。もし行けたら火が消えていても火渡りに行きます」と電話を切っていた信者さん。
11月1日の朝早く「日付が変わってすぐに逝ってしまいました」と。
その後「霊園に行きました。これからももがいない!死を受け入れられません!どうしたらいいかわかりません。何をするのも一緒でした」
「ももが何処にもいない!車も家の中にも助けて下さい。頭がおかしくなりそうな程痛いです」
「ごめんなさい!多分大丈夫です」とメールが届く。
子供がいない信者さんにとって、ももは我が子を亡くしたのと同じくらい辛くて悲しいこと!
しかし、私はどう慰め、どう励まして良いのかわからない。
わかっていることは、時間が解決してくれること!
しかし、それを言われた本人は、「時間で解決する?だとしたら、今まで一緒に生きてきた過去は何だったのか?全ては消えて無くなるのか?私達の思いではそんなちっぽけなものなのか?私達はそんなちっぽけな存在ではない!」と、かえって苦しませてしまう。
10月9日の行方不明の方、まだ見つからない。あの日からずっと勤行の時、誰かが私の側にいる。亡くなっているのか?数日後観音様に聞いてみた「山ですか?海ですか?」と。
すると深い森が見えてそこには綺麗なお花畑が広がっていた。そのお花畑の真中に白雪姫のように眠っている美しい女性の姿。その光景はとても穏やかで安らぎの世界だった。
私はその光景を見て、彼女は生きていることがどれだけ辛かったのか?理解してあげなければならないと思った。亡くなっているのか?それとも現状から逃避してどこかで幸せに暮らしているのか?わからないが………彼女の心を受け入れてあげなければ彼女は浮かばれない!そう観音様が教えてくれたのだと思う。彼女をとうして自殺する人の苦しみを理解してあげたいと思う。
「死」もいろいろあるけれど、残された者は「死」を受け入れることから始まると思う。
そして、祈ること。極楽浄土で幸せに暮らしていると信じて祈ること。悲しみは消えてなくならないかもしれないが、残された者が死の苦しみから救われる方法はそれしかないと私は思う。
そして、私達は必ず訪れる別れに、後悔しないように常に死を意識して、縁ある人と仲良く楽しく生きていくことが大切だと思います。お互いが感謝し合って生きていくことが大切なのです。合掌

愛宕地蔵様 H22.11.8

信者さんから「ご住職、お元気ですか?最近、ひとり言が更新されてないので、お忙しいのか?行方不明の方の事で何かあったのか、少し心配です」とメールが届く。
先週は、柴灯護摩の後片づけ、法事、駐車場整備、打ち合わせ、地鎮祭、修行道場と忙しくなかなかひとり言の更新が出来なかった。心配して下さる信者さんに感謝です。有難うございました。
この一週間いろんな事がありましたが、一番嬉しかったのは、柴灯護摩の翌日うっかりモーニングコールを忘れてしまった高校生。自分から「今学校に向かっています」とメールをくれた事。柴灯護摩の疲れが一遍に吹っ飛んだ、嬉しい一日だった。
今日は、昨年お預かりした愛宕地蔵様の台座が届く。
読経中、信者さんは「辛かったの~!もう安心しなさい。これから良くなるから」と愛宕地蔵様からお言葉を頂いたそうです。
また、こうもお話下さいました。「お地蔵様に会いにいけなくて申し訳なく毎朝自宅からお地蔵様、私の祈り届いていますか?と祈っていたら、届いているぞ!無理して来てくれても私は嬉しくないぞ。私はここに祀ってもらって心地よく満足しているから心配しなくて良い!来れるときに来てくれたらそれで良いのだから」と言われたそうです。
愛宕地蔵さまの優しさにつつまれた信者さん!お地蔵様からこんな有り難いお言葉を頂けたのは、それだけの辛い試練を乗り越えたからこそ頂いたお言葉だと思います。そしてこれからお地蔵様のご加護によって幸せの道を歩んで行かれることと思います。
しっかりご褒美頂いて幸せになって頂きたいと心からお祈り申し上げます。
人生いろんな事がありますが、苦しみは幸せの入口です。どうぞ神仏を信じて苦しみや問題を解決して下さい。そこには絶対に幸せが待っているのですから!私が保証します。合掌

生きていて良かった H22.11.9

「生きていて良かった!」自殺をしようとした信者さんのお言葉です。
「自分が惨めで情けなく死にたいと思って何度も死のうとしましたが、神仏に守られていたのでしょうか?東に行けば神社があり、南に行けばお大師様が、西に行けばお寺があり、不思議と行く先々に神社や寺があるのです。今でも胸の下に傷がありますが、死のうとしても刃物が突き刺さらず、私は死ぬな!ということなのか?そう思って止まりました。相手を怨んでも仕方がない、これが私の業と諦めて生きていこう!そう思ったら気が楽になって………今では相手を怨む気持ちも無くなり、可愛そうな人だなぁ~と思えるようになりました。あの時、もし自殺していたら、どれだけの人に迷惑をかけ、残された者にどれだけ辛い苦しい思いをさせていたか?そう思うと死ななくて良かった。生きていて良かったと心から思います」と笑顔でお話下さいました。
過去に自殺を止まった方がいますが、今は皆さん幸せに暮らしている。
最近「京都に旅行に来ています」とメールを下さった信者さんも幸せに暮らしている。
自殺しようと苦しんだ人が、自殺を止まって幸せになるのは、過去の全てを捨てて心が軽くなり、生まれ変わることが出来るからでしょうか?だとすると、人は過去を捨ててしまえばいい!過去にこだわらなければ幸せになれるということです!
信者さんが「これが私の業」と諦めたからこそ、幸せになられたように、問題を相手に向けるのではなく、常に自分に問題を向けてこそ、問題は解決するのです。
もし、あなたが悩んだり苦しんでいるのなら、自分に問題有りと心の修行!精進してみませんか?
きっと、問題は解決され幸せが訪れるはずですよ!
言葉で言うのは容易いですが、実行しなければ幸せは訪れないのです。どうぞ精進してみて下さい。合掌

親子 H22.11.10

親という者は、子供を思いやるばかりに心配が度を超してしまう、厄介な生き物です。
だから、心と裏腹な行動を取ってしまうのです。
特に母親は、十月十日血も肉も分け与えて生まれてきた我が子を自分の私物のように思ってしまう。子供は夜中であろうが乳を与えおむつを替えてあげなければ生きていけない、だから自分が守らなければと強い責任をもって育てるのですから当然と言えば当然なのかもしれない。
おまけに、親というものは鳶が鷹を生むわけ無いのに、我が子の将来に幸せいっぱいの夢ふくらませるものだから、自分の思い通りにならないと愚痴や小言を言ったり叱責してしまう。
そんな親の思いなどわからない純粋な子供は、親を批判して育ってしまう。何とも悲しいことでしょう!お互いに素直な気持ちになればよいのだが、一度崩れた親子関係はなかなか修復できない。
そこで、幸せのために私から子供達にお願いがあります。
親はなかなか子供に頭を下げきらないものです。私は親だ!と威厳を保ちたいのです。決して親は子供を憎む事はありません。ただ悔しくて歯がゆくて素直になれず心と裏腹な行動を取ってしまうのです。だから、親を憎まないで下さい。
私も独身時代父親から「親になればわかる」そう言われましたが、今はその言葉が身にしみます。
「親を許す心」それは自分が幸せになる条件であること。受け止めて下さい。
時間をかけてもかまいません。親が生きているうちに和解して親子の絆深めて下さい。
たとえ亡くなったとしても、親はあの世からもっと素直に我が子を愛すればよかったと後悔しているものです。親を許して供養をしてあげて下さい。きっと生きていたときよりもあなたを守ってくれるはずですよ。
私達は、ご先祖様と親の命の継承なのですから、沢山のご先祖様と親に守られて生きているのです。どうぞご自分の人生を大切に生きて下さい。合掌

山登り H22.11.12

朝晩めっきり寒くなり、野山は美しく彩り始めました。どんなときでも時は流れ、確実に世の中は変化している。人の心もまた、永遠ではなく変化している!
自分は心の病と、自分で自分を苦しめ迷路に入っていませんか?抜け出したくても抜け出せない心も迷路。人の心は弱いものです。しかし、人の心は守るべきものがあるとき、夢や未来に希望をもったとき、強くなれると思います!
家でじっとしていても何も始まりません!頭の中がグルグル状態に陥るだけです
自分の守るべきもの、夢や未来を探しに行きませんか!
今が最高、秋を満喫しに山登りをしませんか。自然のパワーを頂きに山へ行きませんか!
家から一番近い山でいいんです。そして自分の住む町を見下ろして下さい。そうすれば何かを感じるはずです。ちっぽけなことに心悩ませる自分がちっぽけに見えると思います!
騙されたと思って山登りしてみませんか?
そして、山へ行った後は、毎日一歩ずつ外出してみて下さい。
ゆっくりでいいんです。のんびり楽しみながら一歩一歩!
そしていつか篠栗霊場歩いてみませんか?二泊三日の歩き遍路。
神仏とご先祖様を信じて歩いてみませんか?きっと何かが変わると思います。合掌

神仏のお試しを乗り越えて H22.11.14

「ご住職様、お変わりありませんか
私達家族はみんな元気です。私は今、世界バレーにはまってます。
夜アメリカに勝てば、 32年ぶりのメダル!とっても興奮します。
最近、実感しています。必要な物事は順番にやってくるもんなんだなぁ、と。
この2ヶ月はまさにそうで、1つ1つこなしては、1つ1つやってきて。
嫌なこともこなせて、良い事や嬉しい事もたくさんやってきて!感謝、感謝、感謝です。
でも、こんなに順調で正直怖いです。
忙しくも楽しく充実してる毎日って幸せだけど、気を抜いたら また……と。
何事もないのが一番で、今までと違って、良い事があるんだもの、そりゃ 怖くなりますよ。素直に浸ってていいんですよね? 自慢はしないけど、自分だけで 嬉しい!嬉しい!って浸ってていいんですよね?本当に小心者ですね、私は!
まだまだ予定があって、そちらに伺えるのは年末になりそうです。
それまでまた、頑張りますけどぉ。。
でも早く行きたい!!またメールします」
私「こんばんは。神仏のお試しも無事に乗り越えて幸せいっぱい頂いていますね!しっかり御利益頂いて嬉しく思います。取り越し苦労しないで、今を楽しんで下さい。今のあなたならどんなことがあっても、乗り越えられます。しっかり神仏に感謝していますから大丈夫です。何かあったら神仏も私もいます。安心して家族仲良く楽しんで下さい。さて、メダルは?興奮している姿が目に浮かびます。」その後、日本銅メダル獲得「やりましたね!日本万歳」と返信。
信者さん「はい!ありがとうございます。あ~ 私が出てるわけじゃないけど、本当によかった、よかった、よく頑張りましたー日本!私は出てないけど、号泣してます(笑)
また泣いてる……って子供達から言われてます。はは(笑)
今日は……じゃなくて、今日もいい1日でした。本当に、取り越し苦労ですよね!楽しんで喜んでいいんですよね。素直が一番ですよね。何かあったら ご住職がいらっしゃいますもんね。おじいちゃんもおばあちゃんもみーんな、見守って下さってますもんね。 それに、お観音様ちゃんといて下さってますよね。不安になったら ご住職様のメールを読み返して、また頑張ります。いつもいつもありがとうございます」と、信者さんからの近況報告。
当山とご縁を頂いて一年以上になる信者さん。やっとお試しにもなれ、どんなことがあっても動揺しない強い心、不動心、平常心、仏心が備わってきた。
この間にどれだけ泣き言を言っていたわからないが、神仏の存在を感じ、精進してきたからこそ掴んだ幸せ!しっかり実感して頂き、一人でも多くの方に幸せのお裾分けして頂き幸せの輪を広げて頂きたいと思います。皆様の幸せを心からお祈り申し上げます。合掌

お不動様のお慈悲 H22.11.15

「私はこの三年間信者さんに何を伝えてきたのだろうか?何も私の思いは受け取ってくれていない!どうしたら信者さんを幸せに導く事が出来るのだろうか」と、一人読経を終えお不動様の前に座って自問自答しているところへ久しぶりに届いた信者さんからメール「篠栗霊場は二泊三日で歩き遍路できるのですか?年末年始に都合つけて行きたいなと思いました」と。
私「少々落ち込み気味の私にとって、〇〇さんのメールは救いの神でした!有難うございました」
信者さん「こんな私が?救いの神?私もうつうつとした気分でちょうどひとり言に救いを求めてみたところでした」
私「頑張ろうと前を向いている人から人はパワーを頂きます。
どうしたら信者さんを幸せに導く事が出来るのだろうか?
私は信者さんに自分の思いを押し付けて、信者さんの事を何も理解していなかったのでは無いか?と色々思い巡らしているところにあなたのメールでした!元気を頂きました。是非篠栗来て下さい。待っています」
信者さん「ありがとうございます。私はご住職様に感謝してます。理解して受け入れられない時期もありましたが、今はそのおかげだと心底思っています。ありがとうございます」と。
読経を終え、数分もしないところへ届いた信者さんからのメールは、落ち込んでいる私に下さったお不動様のお慈悲!優しさ思いやりだと思います。お不動様はしっかり私達を見ていて下さり、必要なときは手を差し伸べ勇気づけて下さいます。本当に有り難く感謝の一言です。有難うございました。合掌

「神仏とご先祖様をまだ信じられません」と言っていた信者さん H22.11.16

先日信者さんに送ったメール「これを平穏と思うか?無気力と思うか?さてさて、どちらでしょうか?どちらも正しいし間違っている!でも、そんな事どうでもよいこと!どちらでも良いんです!今は、現実を受け入れればいい!そのまま、時間に流されればいい!
その内、答えが見つかりますよ!慌てない事です。長い人生そんなこともあります!
諸行無常!幸せも苦しみも無気力も永遠に続かないものです。あまり周りに心を動かされないことです。今は、自分と対面して下さい。今のこの時間は、神仏のお計らいです。
答えが見つかるまで、私はあなたを信じてじっと待っています。合掌」
信者さん「今朝NHKの番組で、シリーズ未来をつくる君たちへ ~司馬遼太郎作品からのメッセージ~第2回 信念を貫いて生きる ~黒鉄ヒロシが語る勝海舟~ が放送されていました。出かける前でゆっくり観る事が出来なかったのが残念!
「子供達へ」とあるが大人でも十分考えさせられる事が沢山あったと思う(観る事が出来なかったので、多分)「かくあるべき」を疑う事!それが私の目に止まった。「かくあるべき」で自分を縛り、他人を縛っているんだろうな・・・なんて事を思いながら。
うまく今の心境を伝える事は出来ませんが、何かが変わりつつある予感があります。
それは外の事ではなく、私の中での事!平穏・無気力?どっちでもない、どっちでもいい
「焦り」が薄らいできたのかもしれません。 〇〇歳という歳の節目・・・なんとかせねば!「生きる」・・・明日は生きているとは限らない、ましてや10年先なんて!なんとかせねば!なんとかしたいけど、何をどうしたいのか解らない、時間がもったいない、さらに焦る!そんな気持ちも徐々に薄らいできた。今のこの時間も必要な時間と捉えればいいんだ。「かくあるべき」(~でなければはらない)から縛られなければ、自由になれば・・・縛っているのも自分、解放すのも自分。待っていてくれる人がいる、嬉しいです
メールありがとうございました」と数回のメールのやり取り。
そして今日23時22分信者さんからメールが届く
「こんばんは。私、金槌だって事忘れていました。泳げないのにバタバタして、いっそ流れに身を任せた方がスイスイ目的地へ行けそうな気がしてきました。目的地が何処なのか解りませんが大丈夫でしょう。御先祖様と神仏が目的地近くまで運んでくれるでしょう。
目的地が解った時必死で泳げばいいんです。なんだかそんな気になってきました。肩の力を抜いたら何となく楽になりました。今、与えられた事ひとつずつ丁寧に対処して行けばようですね!今回のお試しは少々時間がかかりました。おやすみなさい」と。
「神仏とご先祖様をまだ信じられません」と言っていた信者さん。
やっと心の安堵の世界へと歩み始めました。まだまだこれから本当のお試しがあるかと思いますが、心から神仏とご先祖様を信じていれば必ずお試しを乗り越えられると思います。これからが楽しみと一人喜んでいる私でした。合掌

座・ロンリーハーツ親父バンド H11.11.17

いくつになっても少年のように瞳を輝かせて生きていたい。
未来に夢や希望をもって時めいていたい!
歌手:加山雄三とザ・ヤンチャーズ
作詞:さだまさし
作曲:弾厚作
「座・ロンリーハーツ親父バンド」を聞いていたらなんだか楽しくなってきた。
「いつか未来の子供達に、心のバンドつなぐため 頼りになるような 大人になるために………」この歌詞いいなぁ。
私達が次の世代に伝えること、伝えたいこと、伝えなければならないこと!私達の生き様を、そして生きることがどんなに辛くても未来は楽しく幸せなこと、伝えたい!
歌詞はこちらから
http://www.uta-net.com/user/phplib/Link.php?ID=93024
みんな歌おうもう一度
あの日のように声を合わせて
ときめく胸 恋の歌
忘れられないあの唄
誰でもいつか年をとる
当たり前じゃないかそんなこと
大切なのは胸の炎
燃やし続けていること
唄おう恋のときめきを(恋の歌を)
若造時代に気づかない
本当の優しさや
愛や命の重さを
それぞれいろいろありまして(夢破れて)
切ないながらも生き抜いて(負けない)
やっとこうして
歌おう さあ今こそ
人は一人じゃない筈さ
ギター抱えて集まれば
あの頃と少しも変わらない
我らロンリーハーツ親父バンド
ぬくもりじゃ負けはしない
一度も結婚しない奴(一度目もだめ)
二度も分かれた不届きな奴(二度目も)
三度転んで起き上がり(三度目もほら)
また転ぶのも人生
いつかきっと笑えるさ(いつかきっと)
どんなに苦しい坂道も
どうにか乗り越えて
生きてきたのだから
話せば長い物語(思いがけず)
運の良いこと悪いこと(それぞれ)
ああ何もかも
笑い飛ばして
人は一人じゃない筈さ
ギター抱えて集まれば
あの頃と少しも変わらない
我らロンリーハーツ親父バンド
元気じゃ負けはしないぜ
生きているから楽しくて(生きているから)
生きているからこそ悲しくて(頑張れ)
生きているから辛いけど(生きているから)
明日は必ず来る(必ず)
いつか未来の子どもたちに(子供達に)
心のバトンをつなぐため(つなぐため)
頼りになるような
大人になるために
歌おうロンリーハーツ親父バンド(親父バンド)
若造時代に気づかない(気づかない)
本当の優しさや
愛や命の重さを

病気が教えてくれた本当の夫婦二人で一人 H22.11.21

先日、信者さんから届いたメールです。
来月職場復帰される、ガンで休職されていた方との会話!
「自分が病気になって色々気づかされたの
正直夫婦といっても冷めた夫婦だったわ
私は私、あなたはあなた、仕事に遊びに自由にやって来た
振り返ると自由にさせてくれて幸せだったと思うわ
私が病気になったときも毎日病院へ来てくれるし退院後も励ましてもくれた
主人の優しさが身にしみたし他人だと思っていた夫婦も今では新婚当時のような気持ちよ
自分自身の病気(再発の不安)
最近分かった主人の病気(筋萎縮症難病)・・・将来車椅子になるだろう・・・その後は
まだ来ていない未来を悪い方へ悪い方へ考えていた、自分の病気の事も
でもね辞めたの!先の事を考えてもしかたない、今、現実を受け止め今を生きようって
主人からは今まで通りにやれって言われたわ
仕事も続けられるうちは続ける
私には母や姉がいるけど主人は一人っ子
両親はいない、私達家族だけなんだ
息子の為にも生きてほしいし私も生きたい
本当の夫婦になった気分よ
二人で一人なんだなって
正直辛い事だけど、神様はこの事を教えたかったのかな
私は何もいう事ありませんでした
「うん、うん、そうそう、○○さんすご~い」の連続
彼女の話を聞き終わった時点で納経帳は彼女に渡して間違いないと思い渡しました」と。
これで二冊目の納経帳を差し上げた信者さん!
惜しむことなく、「神仏に助けてもらいたい!」その一心で差し上げた。
その後届いたメール。
「お風呂に入っていてふと思いました。二冊の納経帳!誰かの為、ご家族の為と思っていたけど違うなって!私の為にした事かもしれない?自分の心の安堵の為?
「この納経帳の神仏で彼らを助けてもらいたい、助けてもらえるだろう、助かる」という私の心の安堵!どうなんでしょう?人の為にと思ってしていた事が実は自分の安堵の為だった…妙な感覚です…!」と。
全て正しいと思います。
一番大切なことは、目の前に苦しんでいる人がいるとき、今自分が出来ることは何かないかと探して行動とる事!それは自分の心の安堵へ繋がるし、相手に心の安堵と人の心の温もりを与えるのではないでしょうか?無関心は一番悲しく淋しいことです!合掌

関心を持つことは幸せの入口 H22.11.23

先日のひとり言の最後の言葉「無関心は一番悲しく淋しいことです!」
さて、あなたは人に関心、興味を持っていますか?
人に関心を持つことは、人生を何倍も楽しくします。
関心を持つと言うこと=愛!ではないでしょうか?
愛を持って人と付き合えば、人間関係も上手くいくはずです。
あなたは人間関係でつまずいていませんか?
そんなときは、自分が相手に愛を持って接していないことに気付いて下さい。
相手の気持ちをしっかり受け止めていないことに気付いて下さい。
そうすれば、良き人間関係が築けるはずです!
特に空気のような存在、家族に関心を持って下さい!
つい、家では自己中心的になり家族に無関心になりがちです。
妻や夫、子供が横から話しかけてもテレビに夢中で上の空!そんなことはありませんか?
子供の声に耳を傾けて下さい。
妻や夫の声に耳を傾けて下さい。
愛をもって耳を傾けて下さい。
今、何を考え何をしたいのか、しているのか?関心を持って下さい。
関心を持つことは、幸せの入口です。
家族で関心を持ち合って幸せな家庭を築きましょう!
そこから全ては始まるのです。合掌

五度目の南極へ弟が出発 H22.11.24

本日正午、弟が南極越冬隊として出発した。
平成24年春無事に帰国することを祈る。先日電話で会話したが、五度目となると本人は勿論、家族も「行ってらっしゃい」と軽い気持ちで送り出す。
弟にとって、南極は自分の庭のようなもの!
ペンギンやアザラシ、自然の美しさ、そして厳しさ!
想像を超えるような現実を体験しながらも、又南極に行くのはそれだけ魅力あるところなのだろう!
人には色んな人生があるが、海上保安庁ヘリコプターの整備士として南極越冬隊に参加し、帰国後は、妻の実家の父が残した電設会社を継いだものの、20代の弟に年上の従業員を動かすことは難しく休業してしまった。その後、中国、台湾に出向しアジア進出の日本の企業の工場建設のエンジニアと頑張った。その間にも南極の機械のエンジニアとして行ったり、環境汚染の調査で行ったり……家族と離れ、親や家族に言えない苦労もあったと思うが充実した人生を送っている。私から見ると思いっきり人生を楽しんでいるように思う。と言うよりも人生を楽しむ方法を知っているように思う。
常に前向き、友達を大切にしていつも楽しんでいる。人生は後悔しないことが大切です。
今与えられた自分の人生を充実して生きることが大切です。
さぁ~!私も明日から石川県金沢へ出発です。本山布教師として法話に行ってきます。
自分の思いを一人でも多くの方に伝え幸せを掴んで頂きたいと思います。
観光は出来ませんが、楽しんできます。皆さんもどうぞ人生楽しんで下さい。合掌

無事に巡回を終え帰宅 H22.11.30

昨夜無事石川県の巡回を終え帰宅。
金沢は「弁当忘れても傘忘れるな!」と言われるくらい雨の多いところらしく、雨!雨!雨の連日…………ですが、雨も巡回(法話)も楽しんできました。
いつものように「幸せになるための条件」親子の縁、夫婦の縁、必然の縁であること。
何故、私達が生まれてきたのか?そして如何に生きるのか?
感謝を忘れることなく、明るく生きること!
子供らや次世代に自分の生き様を通して人としてどう生きるのか伝えていくこと。
それが子孫繁栄に繋がり、幸せの輪が広がっていくこと!
熱く!熱く!語ってきました。
しかし、実践しなければ何も始まりません。
先日届いたメールです「相手を認めて受け入れること。頑固な私には難しい事ですが、少しずつ試練を乗り越えて見せます。友人に無理しすぎたら怪我するぞ!と軽くつつかれましたが、怪我しても治せばいいですね!少しやり方変えてみます」と。
縁ある方々が、一生懸命前向きに生きようとしている!
私の思いをしっかり受け止めて自分で幸せを掴もうとしている。
これほど嬉しいことはありません。必ず幸せになれるのですから!
一人でも多くの方が、神仏、ご先祖様に守られて自分の人生をしっかり歩んで下さることを心からお祈り申し上げます。どうぞ祈りのパワー受け取って下さい。合掌

愛しい母親 H22.12.2

昨夜は泊まり客のため、信者さんにきちんと返信メール出来ず「落ち着いて!落ち着いて!試されていますよ!家宝は寝て待て!ゆっくり休んで下さい」と返信。
今朝、気になり電話をすると、電話に出るなり声をつまらせ今にも泣きそう!
子供の事となると母は辛くてたまらないのだろう。
しかし、ここまで母親に心配してもらえる子供は幸せ者!
何故なら28日に信者さんから届いたメール。
「今日、私、車にひかれそうになりました。あと一歩で、まさにギリギリで助かりました。その瞬間は相手への怒りだけ。
でもすぐに身体が震えて、涙がボロボロ、道端なのにそんなこと関係なく。
子供達じゃなくて、本当によかったです。相手の方は下りてきてちゃんと謝って下さったから、もちろんそれでいいと思いました。でも本当に本当に恐怖でした。初めての経験でした。
でもこの意味はすぐにわかりました。
いくらなんでもこんなお試しはないですよね。
私の行いの結果だと思いました。
少し気を引き締めて、過ごします。
ぶつからなくて、助けて頂いて良かったです。 またメールします」と報告。
「子供達じゃなくて、本当によかったです」と常に子供を守らなければと思っている母親だからこそでる母の言葉だと思う。
相手を責めることなく、自分を省みて反省をし、神仏に感謝忘れない!素晴らしい方だと思います。しかし、自分のことなら冷静に対処できるのに、子供のこととなると動揺してしまう。これが母親なのかもしれませんね。そんな信者さんがとても可愛らしく愛しいですね。愛しい母親は人情味のある子供を育て明るい楽しい素敵な家庭を築くことでしょう。
信者さんがメール下さったように
「私の行いの結果だと思いました。少し気を引き締めて、過ごします」実行すれば今回の問題は簡単に解決すると思います。何故ならお不動様からの宿題ですから。
さて師走です!今年の総決算月。皆さんは今年の神仏からの宿題達成しました。どんなことも全て必然です。とにかく前向きに楽しんで下さい!必ず道は開けますから!合掌

この世は無常だからこそ H22.12.6

昨日は結婚式。
案内状には「有難うを伝えたくて!」と書かれてあった。
感謝を伝えたくて、新郎の母方の祖母の80歳の誕生日に挙式を決めたそうだ。
ご挨拶の中で「お婆ちゃん!お母さんを生んで育ててくれて有難う。お母さん僕を生んで育ててくれて有難う!僕は〇〇家の子供に生まれてきて本当に幸せだった。これからは〇〇子さんと幸せな家庭を築いていきます」そして「最後にこの言葉で終わります。有難うございました」と、新郎の心が伝わったほのぼのとした披露宴でした。
感謝の心で育った新郎は、国立九州大学を蹴って法律を勉強したいと同志社大学に入学。今は、沢山の資格を取り職場で大活躍している。
と、幸せに浸っているのもつかの間、夕方檀家さんの訃報が届く。
小倉まで枕経に行き今日はお通や明日は葬儀………この世は無常ですね。
しかし、喜びも悲しみも永遠ではなく、必ず交互にやって来る事を忘れてはいけない!
亡くなった檀家さん。肺気腫のため二日間苦しんだそうだが、親族の方が「可愛そうなくらい二日間苦しんだけれども、死んで苦しみから解放されたからか、穏やかな顔をしています」とお話下さったことが心に残りました。
この世には、苦しみや悲しみ、不安や悩みが溢れているかもしれませんが、いつか必ず日は差し明るい未来が訪れると信じて精進していくことが大切です。
この世は無常だからこそ、私達は如何に生きるのか?
新郎が感謝の心を伝えたように、自分の生き様を次世代に伝えていく。自分の魂を伝えていく。
何をこの世に残していくのか?人様々でしょうが、着飾らない自分らしく素直な心を伝えて欲しいと思います。合掌

神仏を信じる H22.12.8

「神仏を信じて下さい」とお話しすると
「神仏を信じるとはどういう事ですか?よく分かりません」とよく言われる。
その言葉にどう答えて良いのか?戸惑う!何故なら神仏の世界は理屈ではなく、とにかく信じるしかないからです。
神仏の存在を日々感じている私は、心からご本尊様、お不動様、お大師様、諸仏諸菩薩様に感謝の心で当たり前のようにお祈りする。
しかし、神仏を信じていない人にとって、神仏は、架空の存在、幻の存在で現実味のない存在。正月の初詣も、結婚の儀式もお宮参りも葬儀も法事も、ただ昔からの習わしだからと、気休めに行っているのだろうか?
私は、地球上の人々が幸せになるために、神仏の存在を感じて生きてほしいと思っています。私達がこの世に残せるもの、子供ら(次世代)に残せる物は、お金でも土地でも家でもなく、手を合わせる心だと思います。この世に生まれてきた幸せ、感謝の心、生きていれば色々な悲しみや苦しみがありますが、手を合わせる者は、どんな境遇にも耐え、必ず乗り越える事ができるはずです。
先ずは、神仏の存在を自分が感じなければ子供らに伝えることは出来ません。
どうぞ必死に祈って下さい。そうすれば、神仏と心が一つになり、神仏の存在を疑うことなく心から感じるはずです。神仏を信じることが出来た人は心の安堵、幸せが訪れるのですから。合掌

*今日ご来山下さった○○様、留守を致しまして申し訳ございませんでした。
ご依頼のご供養、心からさせて頂きます。この場をお借り致しましてお詫びと御礼申し上げます。
また、昨日、欄の花をお供え下さいました方有難うございました。合掌

信じる者は救われる H22.12.11

最近は色んなものを見せて頂く。
腕に七色の水晶、宝剣、天守閣の屋根に家、宝珠、八代高層等々。
どんな意味があるのか?分かりませんが、自分なりに色々考えてみた。
水晶は、万能の強健石で、全てを浄化する力があり、悩みや不安を解決し幸運を招く石とされています。しかも、七色に輝いているのですから、皆様を浄め、悩みや不安から解放させ幸せに導く事ができる念珠を頂いたという事なのか?
宝剣は、皆様から悪と災いを取り除いて幸せに導きなさいということなのか?
天守閣の家は、今頂点に建っている、おごることなく精進しなさいということなのか?
宝珠は仏教では有り難い珠です。
八代高祖は真言宗を広めた僧侶きっと見守って下さっているのだろう。
神仏の思いに報いるために、これからも精進してまいりますので、皆様も神仏を信じて精進して下さい。見えない力で御加護下さいますから!
騙されたと思って付いてきて下さい。信じる者は救われるのですから。合掌

今年の総決算 H22.12.11

信者さんからのメールです。
こんにちは!
今朝、HP見ました
さて、私ですが元気にやっています。
水晶の腕輪のおかげ?…かもしれません。
ある日を境に…ご住職様とのメールのやりとりです。
「また私が迷ったら道先案内してください」
「はい、喜んで」
「安心、安心」
迷ったり、悩んでも、答えを出すのは自分だけれど、いざと言う時頼りになる人がいる。
「安心」を頂きました。
〇〇さんの事を思い出しました。
6月に再会した時、〇〇さんが離婚や弟さんの事に悩んでいた。
もちろん私は何も言えませんでした
でも最後に「答えを出すのは自分だけれど、どうしても解らなくなったらお寺(祖聖大寺)があります。お寺はその為にあるんです」と言ったのを覚えています。
〇〇さんはその時「安心」したのかもしれません。
それでお礼状の葉書を頂いたのかもしれません(ま!これは私の想像ですが・笑)
四国は供養で周り
百観音は人生の方向性
いつの間にか「何故人は悩み・苦しむのだろう」という疑問が湧いてきた。
ご住職様や一部の人は悩みや苦しみの無い世界を知っている。
そんな人達とめぐり会った。今、自分が実際体験して、悩みのある世界から無い世界へどうしたら行けるのか…
いつか辿りつきますよ!導いてくださいね!
不安は未来からやって来る(過去を不安に思う人はいない)
後悔は過去からやって来る(未来を後悔する人はいない)
では、今を悩んでいる人はナンなのだろう
現実を受け入れていないって事ですかね?
現実を受け入れて初めて事の解決に動ける、全ては与えられている、必然ってことですか?
明日は「納め供養祭とすす払い」ご苦労様です。
我が家は明日、〇〇寺のご住職が来てくださいます。
今年も無事に終われそうです。何よりです」と。
お釈迦様が弟子に、「私の言ったことを鵜呑みにしてはいけない。
先ず、本当にそうなのかと疑問に思いなさい」と言われたように、信者さんも、私の言葉に振り回されて、前進したり後戻りしたり忙しい。しかし、人は悩んだり疑問を持って悟りの世界に近づいて行くのではないでしょうか。寄り道、近道、迷い道色々な経験をしたからこそ分かることがあると思います。慌てず焦らずゆっくりと覚りの世界に近づいたらよいと思います。
今年の総決算、楽しい思い出で終わりたいですね。全ては自分の心次第ですから。合掌

本堂すす払い無事終了致しました H22.12.12

本日、八名の方々のご協力のお陰で本堂すす払い無事終了致しました。
堂内は綺麗になり気持ちよく新年を迎えることが出来ます。
ご協力下さった皆様、心より感謝申し上げます。
有難うございました。合掌

来年の課題「中道」 H22.12.13

先日信者さんから届いたメールです。
「本日もお疲れ様でした。」
今朝、メールの確認したら…あれ?返信なし?
と、思っていたらHPが返信でした。ありがとうございました。
ご住職様!私を迷わせてくださってありがとうございます(笑)
ぼちぼちまいります。
この間「真ん中」とメールしました。
特別幸せでもなく、特別不幸でもない。
不幸ではないのだからやっぱり幸せなんでしょうね、ありがたい事です。
真ん中・・・中道
中道を歩いてみようと思います。
これが結構難しいのでしょうけど!
流れにまかせて中道を行く…来年への課題です。
ところで私はご住職様と出会って一年半、成長しているのでしょうか?(笑)
私「迷わせて下さって有難うございます!」にホッとしながらもまだまだ壁にぶつかって頂きたいと思います。それは、覚りの世界へと近づけるからです。
私と出会って一年半、成長していますよ!
何故なら、悩んでいるからです。
以前、覚っていますね!と随分メールいました。
ですが、あの頃は頭で理解しているだけで心で覚っていませんでした。
悩むと言うことは、心で覚り始めたと言うことです。
全ては神仏のお計らいと信じて受け入れる事です。そして心から信じて祈ることです。
中道、来年の課題!再来年までかかりそうですね。
ゆっくり慌てずのんびりとまいりましょう。
いつでも、二人三脚で歩んでいきます。合掌」と返信。
今年の総決算!まだ終わっていない方は、しっかりと自分を見つめて下さい。
しっかりと総決算された方は、来年が充実した素晴らしい年になるでしょう。合掌

明日から地蔵堂解体工事始まる H22.12.14

明日から、大師堂建立のため地蔵堂解体工事が始まります。
弟子と昼から地蔵堂、あわしま堂、地蔵堂横の物置の片付け。
出しても出しても出てくる物。
半分は、捨てるのもったいないととっていた物。結局捨てることにした。
大師堂建立のため、境内は大掃除。
新年を迎えるにあたって、丁度良かった。
最近は、夫婦共働きの家が多く、年末の掃除をしない人が増えていますが、清掃は心の清掃です。また、神様は不浄を嫌いますので、汚い家にはたとえ御札を祀っても鎮座されません。氏神様から借りている土地、家を浄め、しっかり守って頂きましょう。
どうぞ、迎える年を良き年にするために、家族で協力して家の清掃に努めて下さい。
家族の絆は、節目節目を大切にすることから始まると思います。合掌

お大師様のお導き H22.12.17

今日ほどお大師様の偉大さ!お導きに感謝した日はない。
五月にある別格本山で僧侶として修行をしていた信者さん、本山から離宗(除名)され、悩んで眠られずにいると、当山のお大師様が現れて「私が面倒見る。今は仕事を頑張りなさい!来年の春、高野で待つ」とお言葉を頂き(5月1日のひとり言)、六月私に弟子入りした。
その弟子が、先日加行(僧侶になるための修行)の申請書を持ってきた。
「いよいよだね!もう後戻りは出来ないよ!」
「はい、前行(1月20日~31日)の寒さに耐えられるか心配ですが覚悟は出来ています。面接の時に高野はマイナス25度になることもあるから、しっかり防寒具は持ってくるように言われましたので、寒がりの私は、電気毛布を持っていこうと思っていました。ですが、お大師様から私の時代はそんな物はなかったと止められましたので、覚悟して頑張るしかありません。」
「前行は厳しいけれど、必死であれば何とかなる!しかも十日もすれば終わるのだから、そんなことに心悩ますことはない。もし、悩むなら四月から百日加行を済ませた後、自分の進路がどうなるのか、そっちの方が心配だね。しかし、お大師様が面倒見ると言われたのだから何とかなるはず!」と、話をしていた。
そして今日、面接をした高野山修行道場の監督である私の学友から電話があり、
「あの弟子はなかなかのものになる。今から自分が仕込んで一人前にしたい。行きの交通費だけも持たせてくれれば、後は前行の費用と衣代10万円までは自分がみる。自分に預けてはくれないか?」と!
私は、学友の言葉に、お大師様が「私が面倒見ると言われたのはこのことだったのか」と、お大師様の偉大さ、お導きに感謝せずにはおられませんでした。
そして、神仏お大師様は、頑張る者には、必ずお導き下さること!確信しました。
皆様も、どうぞ神仏お大師様を信じて、人として正しく生きて下さい。
愛と感謝、夢と希望をもって生きて下さい。必ず道は開けます。
神仏お大師様は、いつでも手を広げて私達を待っていて下さるのでから!
15日、お大師様が最高の笑顔だったのは、大師堂の工事が始まったからだと思っていましたが、今日の弟子の事だったのかもしれない。今日も最高の笑顔で私を迎えて下さって、私は有り難く幸せを感じています。合掌

人の思いやり優しさに感謝 H22.12.20

先日の弟子、翌日アルバイト先の店長に相談したそうです。
「急に辞めてもらっては困る。後釜が決まってから退職して欲しい」とすぐには難しいと断られたそうです。勿論世の中の常識ですが…………。
とは言え、お大師様のお導きだから何とかなると信じてお祈りしました。
すると、翌日店長が休みにも拘わらず出勤されて「君の人生がかかっているから、いつでも退職してかまわない。先方と相談しなさい」とお言葉を下さったそうです。
年末年始の稼ぎ時に、会社の事よりも、自分の立場の事よりも、年末年始のシフトの調整ほかのアルバイトの方々への迷惑よりも、一青年のこれからの人生を大切に思って下さった、店長様「本当に有難うございました」
人の思いやり優しさに感謝!世の中は、まだまだ捨てたものじゃない!と感動しました。
二歳の時始めて高野山に参拝し「僕は帰らない!ここにいる。」と親を困らせた弟子!
今月27日から高野山へ登る事が決まりました。店長の思い、高野山の監督さんの思いをしっかり受け止めて精進して欲しいと思います。勿論お大師様の思いも!
お大師様に認められた弟子だから、きっと立派な僧侶になる事でしょう。
しかし、お大師様は凄い!感謝、感謝、感動です。合掌

悲しい報告 H22.12.23

昨日10月9日のひとり言の行方不明の方、報告メールがありました。
「今夕、悲しい知らせがありました。友人が遺体で見つかったと!
それも自宅からそう遠くない山林だそうです。
数日前に発見されたそうですが
可愛そうに朽ち果てていて確認に手間取っていたそうらしいです。
もしやと思っていたことが現実として届きました。
今となっては安らかに穏やかに”やすんで”いてくれることを願うばかりです。
万が一、無事に戻ってきたら御寺へお連れしようと思っていましたが……
明日、葬儀が行われるそうですので見送ってあげたいと思います」と。
11月9日のひとり言残念ですが現実となりました。
森の中で安らかな眠りについていらっしゃったお姿を見せて頂いたときから、亡くなっている可能性が強いと思いました。そして供養と一日も早くご遺体が見つかるように祈願に切り替えてしばらくして、ずっと側にいた方(霊)がいつの間にかいなくなっていましたのでご自宅に帰られたと思いました。この時亡くなっていることは間違いないと確信しました。
年内に見つかって良かった。ご本人もやっと安心して浄土へと旅立つことが出来るでしょう。
ご冥福を心からお祈り申し上げます。南無阿弥陀仏 合掌
観音様が森の中で安らかに眠っている姿を見せたのは、
「自殺した人を責めてはいけない。本人の辛く苦しい思いをしっかり受け止めてあげなさい。責めては死んだ者は浮かばれない」と、伝えたかったのだと思います。
残された者は、辛くて悲しいと思いますが本人の思いをしっかり受け止めて心から供養してあげることが大切だと思います。それが亡くなった方にとっても残された者にとっても一番幸せなことです。合掌

今年の宿題がまた一つ解決 H22.12.24

今年は良い年でした。本当にいろんな事がありました。
そんな中解決していない宿題が二件ほどあります。その一つ、ひとり言4月29日の「関所を建てなさい」と観音様から言われた信者さん。先日七ヶ月ぶりにご来山、「やっと住職さんが言われることが分かりました。今日はその御礼に来ました」と御神酒と御宝前をお供え下さいました。そして「まこう寺が見つかりました。金の糸の意味も分かりました」と!
まこう寺とは、母親が亡くなる夜に見た夢。自分が切り立つ岩山を登っていると一人の僧侶に会い、「あなたにお願いがあります」と山の頂上の洞穴に案内された。洞穴の中央には美しく光る石があり、「これをまこう寺に届けて欲しい」と手渡されたそうです。余りの重さに目が覚め、いつまでもその感覚が忘れられられず、それからずっとまこう寺を探していると!お話下さっていた。
金の糸は、お大師様に信者さんのことをお願いしているときに金の糸を見せられた。
弟子になるのか?僧侶の道を歩くのか?と思っていたのだが?
本人曰く「まこう寺は自分の心の中にありました。金の糸は、ご住職様から頂いた数珠で一生懸命祈りなさい!と言うことです」と!
全ては自分の心にあると言うこと!
私の思い神仏の思い、全てをただただ信じて祈りなさい!という事だと私は解釈しました。
「そうですか、良かったですね」と私はうなずきながらただ笑っていた。
この七ヶ月間心の修行をされていたのか、やっと祈ること生きることの意味を分かり始めた。まだまだ入口ですが、確実に前進している。
残念ながら、まだ関所を建てていない信者さん!神仏からどうお導き頂くのか?楽しみです。
気になっていた今年の宿題が一つ解決してホッとしています。
「観音様、お不動様、お大師様有難うございました。これからも信者さんのことお導き下さい」と祈る私でした。合掌

救いたくても救えない H22.12.26

先日信者さんから届いたメールです。
「HPみました。宿題のあと一人は誰でしょう?
「関所」をたてていない信者さんは誰でしょう?
心当たりのある人は「自分だ!」と思っているのでしょう。
ご住職様が思う人と、受け留めた人が違っても、受け留めた人は考えています。
私のことかな?と(笑)」
ひとり言を読まれた方が、自分に置き換えて自分を高めてくれることを私は望んでいます。
涅槃の世界を味わって、生きる幸せを感じて欲しいからです。
自分の心次第で幸せは必ず訪れるからです。
今日、衛門三郎の話からお大師様は罰を与え、八人の子供達を殺したと信者さん。
私は正直ビックリしました。
お大師様は衛門三郎の家に訪れる不幸を知っていたから衆生済度の為、衛門三郎の家に托鉢に行った。しかし、鉢を割られ追い返されてしまう。
私は、何故ここでお大師様は諦めてしまったのか?何故正さなかったのか?疑問に思い色々考えてみた。多分衛門家に不幸が訪れると言ったところで素直に聞き入れることはなく、救いたくても救えない事をお大師様は知っていた。どんなに辛く苦しかったことか?
そんなことを考えていると、今年一番後戻りをした信者さんを思い出す。
一年前に、「朝方こんな夢を見ました。正夢でしょうか?」と尋ねられたので、私は「多分それは正夢でしょう」とお話しすると、観音様が現れて「宿命は変えられる」とお言葉を下さった。
私は、宿命を変えて欲しいばかりに、信者さんに厳しく指導するが、言えば言うほど返って信者さんを苦しめてしまう。
私には信者さんを救うことは出来ないのか?宿命を訪れる不幸をじっと見ていなければならないのか?悩んでしまう!
しかし、今私に出来ることは信者さんの心が開くまでじっと耐えるしかない!そして祈るしかない。正夢になる前に、一日も早く信者さんの心が開くことを願って。合掌