坊守のブログ 平成29年7月

 お盆お膳施餓鬼供養 H29.7.31

あっという間に7月も終わりましたね
今月は一年で一番大切な供養祭、お盆施餓鬼供養会があります。
皆さんもしっかりご先祖様をお迎えして喜んでいただきましょう
8月13~15日 お膳供養 
16日 11時より お見送りの施餓鬼供養祭です。

お膳供養 13日~15日

16日は施餓鬼供養終了後、五剣の滝にて塔婆供養をします。
 送り火

どなたでもご自由にお申し込みいただけます。
お膳供養は50膳限定です。
あと25膳ほどで受付終了です。
お膳供養お申込みご希望の方はお早めにお申し込みください。
ご縁を待ちいたしております。合掌

先日、大法輪を読んでいると、
ブッタ。高僧が一番言いたかったこと!という特集がありまして、
真言宗 空海が言いたかったこと「曼荼羅世界の実現」
これは皆さんにお伝えしようと思いましたが、
真言宗はなかなか言葉で説明することが出来ない!
次男にそのことを話すと
「真言宗は天地宇宙の教え!
宇宙の事は、いまだ99%わかっていないのだから、そう簡単にはわからない!
自分で行をしてつかみ取るものだから!」ですって

宇宙の果てYouTube 地球から見た宇宙を検索してください。合掌

 生きる H29.7.27

今日は高野山華道教室
朝鮮槇の格花です。何度お稽古しても難しい

お稽古中、久し振りに心臓が痛くなり・・・・
何とか治まりホッとしました
帰宅して、息子たちに
「もしも私が心臓発作で死ぬようなことがあったら、皆さんに伝えてね。
皆さん今まで有難う。皆さんのお蔭で私の人生何倍も楽しかった。
そして、皆さんも人生何倍も楽しんでくださいね」と。

 左の写真は山の神様の前に立っている良縁、家族の木です。
 昨夕、あんまりうるさくヒグラシが鳴くので写真を撮りました。
 どこにいるのか全く分かりませんでしたが、確かにいるのです。  
 限られた命を必死に生きているのです。
 誰に認められなくても、この世の使命を果たすために必死に生きて          
 いるのです。そう、蝉は二週間ほどの寿命ですからね。
 
 それに比べて人間はどうでしょう。昨年の日本人の平均寿命は更新し         たと本日ニュースが流れていました。
 だとしたら、どんな生き方をしたらよいのでしょう。
 後悔をしない毎日でしょうか?人生は長いのですからね!
 昨日、軽いうつ病と診断された信者さん、必死に生きてきて少々疲れ たようですね。そんなときは、心も体も休息。自分を責めることなく、自分は今までよく頑張った。と、褒めてのんびり休息の時間を楽しんでくださいね。
白巳大明神さまが言われたように
「どんな時でも心を浄化して置きなさい」でしょうか。
最近、A信者さん「死にたくない」の言葉に、
本尊様から「それでも守る!」と、言われました。
日々、神仏を信じて祈っているからこそ頂いた言葉でしょうね。
私も心臓発作で突然死しないよう、精進精進
皆さんも、神仏に御すがりして良き人生をお過ごしください。合掌

 修行道場 H29.7.17

今日は修行道場参加者あり。
滝に打たれスッキリしていました。

滝行、写経、昼食、内観、阿字観瞑想、法話を学び、感想文を頂きました。
「御大師様と仏様の大いなる知恵の川に漂うことが出来ました。
新たな発見だらけで、身も心も大喜びしています。
もっと学びたい・・・・・御大師様とご縁を結んでこの法を人々に伝えたい」と。

皆さんも御大師様とご縁を結びませんか?
ご縁を御待ちいたしております。合掌

 夏祈祷と近況報告 H29.7.16

只今、夏真っ盛り、強い日差しと蝉の大合唱が真夏を感じさせる。
ですが、秋の準備もすすんでいますよ。
当山境内の渋柿の実です。

さて、今日は夏祈祷「瓜封じ」。昔から瓜二つという言葉がありますが、瓜を自分に見立てて、
自分のマイナス、悪病を瓜に封じ込める真言宗秘法の瓜封じ祈祷です。
19日から土用入りですが、神仏のご加護を頂いて、25日の土用の丑にはウナギを食べて、この夏の暑さを乗り切りましょう。今日も800人から熱中症で病院に搬送され5人が死亡とニュースが流れていましたが、油断は禁物、しっかり食べて、睡眠取りましょう。他人ごとではない!私ですが

近況報告、昨日は第15回女性部篠栗遍路。暑さにもまけず四人で遍路、楽しかった
帰宅すると住職さんが「どのへんで雨にあった?」と、聞かれたので
「雨なんか降っていないよ。日頃の行いが良いからね」と、( ̄▽ ̄)ニヤリ
今回は、奥の院と十ヶ所お参りしてきました。
第三土曜日は、私たちがお掃除遍路している情報が流れているのでしょうか?
どのお札所も綺麗に清掃されていました。気持ちいいですね。

もう一件近況報告。
最近、来られなくなって一年たつなぁ~と、思い出していた信者さんがご来山。
私の第一声は「私、お伝えしましたかしら、「これから来れなくなる」と、仏様からお言葉を頂いたこと。
最近一年たつな~、どうしているかな?と、思い出していたんですよ」と。
信者さん「来ようとすると何故か来れなくなるんです。やっと念願が叶ってお参りが出来ました」と。

お不動様にやっと呼ばれました。
この一年間は学びの場だったことと、呼ばれなかった理由もお話させていただきました。
人助けをされる方。私の言葉をしっかりメモして学んでいます。将来が楽しみな信者さんです。

さて、忘れていましたがお四国の帰りのフェリーで見た夢
「篠栗の面白い住職さんが面白おかしく護身法をしながら歌っている?夢」
しっかり印を組んで身を守りなさい、。と、仏様が夢で教えてくださったのでしょうね。有り難い。

昨日、奥の院でおみくじを引きました。
願望、積極的な考え方をすれば叶う!でした。
膝を痛めている私は三百礼が出来ないので、教会教師の講習は受けられないと諦めていましたが、
挑戦してみようかな?来年、お弟子さんと本山に上り教会教師の講習受けているのかな?
さて、どうなるのでしょう楽しみ、楽しみ 合掌

 許す H29.7.13

7月10日の五剣の滝
あの豪雨が嘘のような五剣の滝です。

今日、6日から昨日まで朝倉にボランティアに行ってきたという信者さん。
テレビでみる映像ばかりではありませんよ。現実はもっと悲惨で・・・・・。
人々は、戸惑い、怒りや不安でいっぱいでした・・・・・と。
そして、ボランティアに行きたいと言っている次男に・・・・・とアドバイスをしていました。

そこへ、家族みんなののり弁もって来ますとお約束の信者さんが。
そして、お弁当いただきながら、・・・・・。

確かに相手が間違っている!ですが、今回の事は、両者共に宿題がある。
相手の方は自分で反省して正しい生き方をしなければ、また同じ過ちを繰り返す。
そして、ご自分自身、今回の事で学ばなければ、本当の幸せは来ない。私はあなたに幸せになってもらいたい。その為には、相手を責めて怒り、憎しみ、心を乱していたのでは幸せにならない。
許すこと、これがあなたの宿題です。気持ちはわかります。でも、魂を磨くために精進してください・・・と。

笑って!笑って!福の神を味方に付けましょう 自分で不幸を呼び込まないように気を付けましょう 合掌

 後ろ姿 H29.7.12

先日11日、やっと古希のお祝いを届けに次男と春日市まで行ってきました。
玄関で出迎えてくださった信者さん「やっと来てくださった」と、快く迎えてくださいました。有り難いことです。
京都で在家得度を受け自分で九条袈裟を縫われたという信者さん、次男に「もう袈裟を使うことはないのでもらってください」と、布施行をしてくださいました。
6月に本山で受戒を受けた次男は大喜び。何故なら、儀式のときこの九条袈裟を授けていただくのですが、形だけ授与されるのです。「本山には売っていないという理由=あまり使わないということでしょうか?
よくわかりませんが、ひと針ひと針丁寧に縫い合わされた袈裟は心のこもった有り難い袈裟でした。

そして、昨日は東京に住んでいる従妹から「今、仕事で篠栗の若杉屋さんに来ています」と、メールが届く。
早速、迎えに行くと糸島の友人と福岡を紹介する冊子を作るため取材に来ているとのこと。
南蔵院を案内し、涅槃像参拝。巨大なお釈迦様に感動していましたよ。
その後、当山へ案内。愛染堂、境内を参拝し、本堂へ。
勿論、いつものように仏教の話、気が付くと1時間半たっていて、「あらまぁ~子守で母が待ちくたびれている!」と。急いで駅まで送ったものの、お茶も差し上げず、申し訳なかった。ごめんなさい。
ですが、糸島のご友人「今日はここに来てよかった。とても心が洗われました。」と、感動してくださいました。
「私は、糸島に住んで30年になりますが、二週間前に初めて雷山観音にお参りしました。
急にお経の意味ってどんな意味があるのかな?気になっていたら100均でお経の意味書いているお経本を見つけて買ったばかりでした。偶然でしょうね」と。勿論、必然ですよ!と私
昨日も楽しい出会い。従妹は旅行会社に勤める傍らいろんな町の紹介をする冊子を作っているとのこと。
只今3歳の息子のママですが、ご懐妊、来年2月に二人目が生まれるとのこと。41歳高齢出産。
東京で家を購入し夫婦で協力して頑張っています。連休は旦那様が福岡まで迎えに来て、両家で親孝行。
祖父母は孫の顔を見て大喜びですね。

さて、先日「父」と題したレポートをくださった従兄の続きです。
「・・・・それと私にはもう一つ父にまつわる強烈な思い出がある。
それは、私が中学一年生の時、父が原因で、こともあろうに自動車の無免許運転で警察に捕まったことである。
この時も父が先駆けて、また当時珍しかった自動車を買ったことが原因となっている。
それは、大衆車の先駆けとして当時発売されたキャロルという小さな自動車だった。
父はこの自動車を手に入れたことがよほど嬉しかったようで。私たち家族を乗かけせては、あちこち連れまわして得意になっていた。この時は、私たち家族だけでなく近所の子供達に何かと声をかけて乗せていた。
 ある時、私に車の運転を教えてやると言って、父はメモリアルクロスの先の足立公園の一角の観光道路に私を連れ出した。今は桜並木の立派な道路となっているが、当時は舗装もされてなく沿道の木々も小さく見えて見通しの良い、人道りの少ない道路だった。
今思うと、確かに人目を避けて運転を教えるには格好の場所であったようである。
そこで私に運転してみろと言って、父と私が運転を代わった。
父は運転する私の手の上に助手席から伸ばした自分の手を添えて、しばらく私に運転させていた。その前に、一通りブレーキの掛け方とアクセルの踏み方だけは私に教えていた。
そのようにしてしばらく私が運転していたところ、先方からパトロールカーがこちらにやってくるのに父も私も同時に気付いた。私はあわてて父と運転を代わろうとするが、時、既に遅しの状態で、たちまち近づいてきたパトロールカーに行く手をふさがれてしまった。
車から降りたった警察官はゆっくりと私たちの車の横にやってきた。そして、私と父が席を代わろうとして身を乗り出しているところをその警察官にしっかり見られてしまった。
後は、お決まりの手続きを経て出頭通知の切符が渡された。何せ中学一年生のことなので、罰金を納めるということはなかった。その代り、後日裁判所に行き、私はこっぴどく叱られることとなった。その時は、さすがに父も職場から駆け付けて二人して叱られた。
 また、父の意表をつく行動として、「かつら」の件も忘れがたい。
禿げ頭の父がある日、ふさふさの髪で帰ってきたことがある。この時は、玄関の扉をいきなり開けて家に入ってきた。家にいた私たち兄弟は見知らぬ人が突然押し入って来たかと思い、腰を抜かすほど驚いた。
父がかつらを被ったのは私が中学生の頃のわずか数か月のなつのことであった。
始めの頃の始めの頃のかつらは、よほど通気性のないものだったようで、汗だくになって役所から帰ってきた父は、もう我慢がならぬとばかりに、がばっとかつらを脱いで、禿げた頭をしばらくうちわで煽いでいた。
このかつらの件は、父の職場の人も驚いたようで、何人かの人から、「あの時は突然、黒々とした髪で出勤して来たのでびっくりしたよ」と、後日聞かされた。
 今、私は小倉北区の〇〇に住んでいる。五年ほど前から出勤前に、毎朝、一時間ほど歩いている。
歩いているのは、何の因縁か父と無免許運転で捕まった足立公園の一角の観光公園である。
また、気が付くと私も、父が勤めた北九州市役所の建築職としての道を歩き、二年前に定年を迎えた。
先日は親子揃って建築関係の退職者で組織するOB会に出席した。親子揃ってのOB会への出席は私たち父子初めてだという。
 父は、戦後混乱の中で、父祖の地である沖縄に戻ることが出来なかった。今はこの地で静かに余生を送っている父の若かりし日、このようなことがあったことを、私は娘や先日五歳になった孫娘に伝えたく思っている。了」
              平成二十五年八月二十五日 北九州市立文学館主催 文学館セミナー 発表作品 と。

私にこのレポートをくださった従兄の思い。暖かいものを感じます。父親が大好きだったのですね。
息子に尊敬された叔父の人生は素晴らしい人生だったのですね。96歳の叔父、いつまでも長生きしてくださいね。

人はみな、自分の人生を一生懸命、そして楽しく生きている。
それはきっと、辛いことも悲しいこともたくさん経験したからこそ、夢と希望をもって前に向かって生きているのでしょうね。親の後ろ姿、美しい後ろ姿でいたいですね。子や孫に伝承したい生き方を伝えたいですね。
子孫繁栄間違いなし!ですね合掌

 供養祭 H29.7.9

今日は供養祭。
5日から降り始めた雨はまだまだ降り止まず、数十キロ離れた場所は今だ避難勧告が出ていて
供養祭の参加者が少なかったのはそのためだったのでしょうか?
大玉数珠繰りの際、少人数では数珠はくれないので、久し振りに私も参加させていただきました。
これも必然だったのでしょうか?お嫁に来て初めての数珠繰りとなりました。
今回の九州豪雨で亡くなられた方々のご冥福と息子の友人30歳で亡くなった方の供養と、心からご供養させていただきました。残されたものが出来ることは祈りと救援物資や寄付金。

先日、東京の方から心配していますメールが届いていましたので、「大丈夫メール」を送りましたら届いたメールです。
「メール、ずっと、ずっと待っていました。
東京は雨が降らず、給水制限にはいりました。
一般家庭では制限はまだ出ていませんが、それでも気にかけ、節水するにこした事はありません。
そちらの濁流を全部東京で受け入れたいです。
救援物資とありますが、あのような悲惨な状態では輸送手段にも影響が出て居る事とおもいます。
必要な物質とはどのような物か、もう少し具体的に、遠慮なく話してください。
寄付金は郵便事情はどのようになっていますか?
・・・・・・・・
生前母が良く言ってました、人様に物を差し上げる時は、ちょっと もったいない
と思う物差し上げなさい、これ、いらないからと思う物は先方もいらないのですからと。

とにかく、テレビでは降水量、被害映像、救出映像が毎回同じで新しい情報が手にはいりません。

内容の貧しい報道が残念です。

とにかく無事がわかり良かったです。

無理のないように具体的に私に出来る事、必要な事を知らせてください。〇〇」と。

日本中の方が、困っている方々のために少しでも手を差し伸べてくださることを心よりお祈りいたします。早速明日調べてみますと返信メールしました。

息子たちと話します。
「もし雨の通り道がほんの少しずれていたら、篠栗も最悪な災害になっていたね。他人ごとではないね」と。
我が家は東、南、西は川に挟まれ、北は山。8年前の水害では、西側の川は橋が土砂と流木でせき止められ道路がナイアガラ状態、一夜公民館に避難をした恐ろしい体験をしました。
その時、篠栗では2名が亡くなり、篠栗のお寺さんはヘリで救助され・・・‥また、広範囲での被害でしたので、役場が滝つぼの流木を撤去してくれるの待っていたらいつになるのか?わからないので個人で処理。復興もなかなか進みませんでした。

今日の報道番組では、日本中のどこで今回のような災害が起こってもおかしくない。
と、言っていましたが、他人ごとではなく、もしもの時のために家族で話し合い災害に備えておくことが大切ですね。合掌

石鎚山、四国参拝 H29,7,8

石鎚山成就社参拝、そして四国遍路から6日の朝、無事に帰宅しました。
帰宅してみると九州は豪雨で大変なことになっていてびっくりしました。
篠栗も大雨警報が出ていましたが、大丈夫でしたよ。メールをくださった皆さん、ありがとうございました。
災害で亡くなられた方々のご冥福と、被災者の方々には心よりお見舞い申し上げます。
まだまだ、雨に注意が必要ですが、一日も早く雨が止んでくれることを寺内一同心よりお祈り申し上げます。

さて、石鎚山参拝、今回も膝を痛めてしまいましたので、石鎚山参拝は成就社まで、その後四国遍路に変更。
成就社無事参拝。下山し始めると雨が降り始め・・・車乗ると土砂降り。
私が「日ごろの行いが良いから!」と、いうと息子に「ほらほら、また始まった!」と、謙虚さがないと叱られた。

その後、お弟子さんの希望で、番外極楽寺へ。写真の人形さんが出迎えてくれました。
ここは、亡き老僧の学友のお寺で久し振りに私も参拝。
お寺に着くと土砂降りだった雨が小降りになり、またまた私が「日ごろの行いが・・・」と、いうと息子に・・・・。
ですが、摩訶不思議でした。そして、お参りをすませると、
お弟子さんが「極楽寺でお経本を買う夢を見たのでお経本を買いたいのですが」と。
売店にて経本を購入。何故、極楽寺のお経本を購入することになったのでしょうね?
車に戻るとき雨は止んでいました。そして、車に乗り込むとまたまた土砂降り。
やっぱり摩訶不思議ですね。
その後、高松、四国85番霊場、八栗寺へ。
当山は篠栗霊場85番、そして31年ぶり4回目の遍路になりました。

やはり雨は止んでいましたよ。3時のケーブルカーに乗り、八栗寺到着。

まずは本堂参拝。感無量な、な、涙が・・・・

お弟子さんに「観音様から何か言われた?」と、尋ねると「恥ずかしいから言えません」と、教えてくれませんでした。
85番といえば歓喜天(聖天様)。厳しい天部の神様なので粗相のないよう参拝。
その後納経を頂いたのですが、「どうぞ、上がってお参りください」との言葉にお弟子さんが「上がりたい」と。
私は粗相があると怖い神様と思っていたのですが、「歓喜天様は、皆さんの喜びを喜びとしてご利益をくださる神様」と、聞いて心がとても嬉しくなり笑顔でお参りしてきました。
無事に大師堂も参拝を終え、ケーブルに向かう時、お弟子さんと息子が私の後ろで何やら話している。
すると、息子が「お母さん、観音様はお弟子さんにお母さんのサポートしてあげなさい!と、言われたんだって」と。それを聞いて私はまたまた涙、涙、有り難いことですね。
観音様にもお弟子さんにも、そして皆さんに愛されて!?、幸せ者ですね。感謝、感謝。
その後、84番屋島寺へ。

本堂の看板を読み、歴史を感じ・・・・参拝。
読経していると、「1300年前から現在も、人々の祈りは変わることなく続いている。仏様は変わることなくず~と私達の願いを受け止めてくださっている」そう思うと、
寺を守る私達寺内の者は、参拝者の皆さんの祈りの思いを受け止(めて出迎えなければならない!そう心に受け止めました。有り難い学びを頂きました。

こうして、四国の旅は天気にも恵まれ、楽しく有り難い、有り難い遍路となりました。

恒例の石鎚山参拝、四国遍路できるのも、住職さんの優しさですね。感謝です。
ですが、財布の中身が寂しくなりましたので、家族の皆さん再度粗食にてご協力お願いします 合掌

長生きの秘訣は好奇心 H29,7,4

昨日の67歳のいとこの思いで話、「父が長生きする秘訣は好奇心」の続きです。
父は若い頃から目新しいものはなんでも飛びついた。子供の私の眼から見ても呆れるほど好奇心が旺盛だった。自転車がまだ貴重な乗り物であった時代、父はスクーターを乗り回していた。自動車も一早く購入した。テレビのそうだった。昭和三十二年、北九州放送局がテレビ放送を開始したら、父はその日にテレビを買った。この年に小学校に入学した私にとって、このテレビには懐かしい思い出がある。
当時私達が住んでいた家は富ケ丘という市営住宅だった。今でもこの市営住宅は小倉北区の上富野に残っている。隣接地には当時、鉄工所があったが、今は紫雲閣という立派な葬祭場が建っている。この市営住宅には、今は建て替わって鉄筋コンクリート造の建物になっている。だが、私たちが住んだ当時は、木造平屋の、しかも一戸建ての庭付きの市営住宅だった。隣との境は垣根で仕切られていた。
 その我が家に、夜となると近所の人や近くにあった銭湯からの風呂帰りの人が、床の間に置かれた買ったばかりのテレビを観に来ていた。当時人気のあったプロレスや野球のナイター放送がある時は、座敷から庭先までいっぱいの人で埋まった。中には皆が帰った後の遅い時間にやって来て閉めた雨戸の節穴からこっそり覗く人もいた。その後テレビは各家に急速に普及したことを考えると、一夏か二夏の事だっただろう。 
 また、スクーターでの思い出は私自身、今思い返しても赤面する思いがする。だが、これも今は懐かしい。
合併前の小倉市役所の建築職員として勤める父は、通勤用としてそのスクーターを使っていたが、それ以外の時も このスクーターを乗り回していた。当時私たち家族は、父と母と私達兄弟三人を入れて五人家族だった。小学校低学年だった私の下に妹と弟がそれぞれ二つ違いで続いていた。その五人家族が父の運転する一台のスクーターに乗って三~四キロ離れた母方の祖母が住んでいる家までよく遊びに行っていた。(私の実家の事)
運転席とハンドルとの間に妹が立ち、後ろの座席にまだ小さかった弟と母の二人が弟を前にして座っていた。問題は残る私であるが、よくもまあ!という思いがする。そのスクーターには前のタイヤの上に泥除けカバーがついていた。私はそのカバーの上に後ろ向きにまたがり、顔の前に突き出たヘッドライトにしがみ付くようにして乗っていた。当時の道路はまったく舗装されてなく、砂利敷きのでこぼこ道が多かった。その為、揺れが激しいところでは、スクーターから振り落とされないように必死にヘッドライトにしがみついていた。後ろ向きだから景色を眺めることも出来ず、ほとんど目をつむったまま振り落とされる恐怖にひたすら堪えていた。今思うと十分程度のことだったのであろうが、私にとっては長く感じられた。六年ほど前、長女の結婚式でインドネシアのバリ島に行ったとき、広い道路いっぱいにあふれんばかりの二輪車が走っていた。それでも私が目にしたのは、せいぜい三人乗りまでであった。今は離れて暮らす兄弟が集まると、この話で盛り上がるが幼かった弟たちは覚えていないようである。それともう一つ父にまつわる強烈な思い出がある。・・・・この・続きは石鎚山参拝帰宅後、お楽しみに。
さて、明日は石鎚山参拝。夜のフェリーで四国に渡りますが、
台風接近中、フェリーが欠航しなければよいのですが!
心配していました膝の痛みは大丈夫?そうですが、お弟子さん「無理をしないで四国遍路しましょう」と、
石鎚山参拝も無し!と言わんばかりに・・・・
予定では、石鎚山成就社参拝後、四国85番八栗寺参拝(当山85番)あとは84番・・・と行けるところまで参拝。
ですが、台風と同じ方向へ移動することになるので、予定変更コースも考えています。
さてさて、今回の石鎚山参拝はどうなるのでしょう?
本来、お弟子さんと二人で参拝予定でしたが、四国遍路と変更になったので次男が運転手も兼ねて同行することになりました。「睡眠不足のお母さんが心配だから!」ですって
ではでは、四国の土産話をお楽しみに 合掌

祖母の50回忌 H29,7,3

あっという間に今年も半分が終わりましたね。
7月、暑さも厳しくなり夏バテにご注意くださいね。

さて、私は6月30日、実家の祖母の50回忌法要に行ってきました。
いつも見ている仏壇の上に飾っている祖母の遺影が、何故かいつもより笑って見えるのは?
私たち家族が祖母の50回忌を迎えた喜びからでしょうか?とても不思議でした。

叔父やいとこ、母から祖母の思い出話を聞きながら、祖母と幼少の頃の自分を思い出しました。

そんな中、67歳のいとこが自分の子供の頃の話をしてくれました。
そして帰り際、北九州市立文学館主催 平成25年度文学館セミナー発表作品と書かれたレポートをくれました。
題材は「父」  〇〇哲己
父は現在92歳である。大正9年沖縄県那覇市で生まれている。
今のところ、少々物忘れがある程度で、至って元気である。父は、私の家から車で10分ほど離れた小倉北区内で
母と一緒に弟家族と暮らしている。
先日、私は父と連れ立って北九州市立美術館で開催中のルーベンズ展を観てきた。日本人のファンの多い人気画家の展覧会とあって日曜日のその日は大勢の人で混雑していた。
その中を1時間半ほど一緒に絵を観てまわった。ルーベンズのよく知られた何枚かの大作の前で、父はしばらく立ち止まって熱心に眺めていた。その為、後がつかえるほどであった。現役時代建築の仕事をしていた父は今でも時折、風景や草花を書くことがある。中々の腕前である。
それに比べると父より五つ下の母はすっかりボケが進行している。息子である私の事がよく分からないようである。そばに行くと、いつも私の顔を珍しいものでも眺めるようにじっと見ている。私が時折「この人は誰?」と自分の顔を指して声をかけると、[ん?」としばらく考えている様子である。しかし、結局思い出せないようで、最後はごまかすように、にたりと笑って首を横に振る。
同居している弟の方も同じらしい。先日、弟は「ばあさんは、最近、俺のことが分からんようだ。と言っていた。
分かるのは長年連れ添った父だけのようである。私が父を指さして「この人誰?」と尋ねると、ためらうこともなく
「分かるよ!」と、にっこり笑って「お父さんだよ」と答える。
 その母に比べて父がこの歳においても元気であるのか、時折考えることがある。沖縄の人間として長寿の血を受け継いでいるということでもなさそうだ。父の父は戦前、沖縄の地で53歳の若さで亡くなっている。しかも父が沖縄で過ごした期間は地元の工業高校を卒業するまでわずか18年のことで戦後はずっと小倉で過ごしている。
思いつくことは、時々耳にする<長生きの秘訣は好奇心である>という言葉である。
これはまさしく父にぴったり当てはまる。・・・続きは明日。

さて、元気で長生きするためにはどんな生き方をしたらよいのでしょうね。 合掌